私の特権


「ただいま」


 公園からはまっすぐに家に帰った。

 その道中、俺はいつ彼女に手をつながれるかと期待ばかりしていたんだけど、先輩はぬいぐるみを両手で大事そうに抱えていたので手をつないでもらえることはなかった。


 ちょっぴり寂しかったけど、それが普通なんだと切り替えながら、やがて帰宅。

 家に着くと先輩は、「これ、リビングに置いてていい?」と、ぬいぐるみを俺に見せてくる。


「ええ、いいですよ。ソファにでもおきます? かわいいし」

「そうだね。かわいいの、好き?」

「はい、好きですよ。癒されますし」

「かわいい?」

「え? はい、かわいいですよ」

「うん。じゃあ、好き?」

「? ええ、昔からずっと好きですよ」


 先輩が手に持つぬいぐるみを見ながらうなずく。

 俺は世代じゃないけど、最近もゲームは出てるし結構プレイしやすいから俺も何度かやったことがある。

 キャラはみんなかわいいし、嫌いな人はいないと思うけど。


「じゃあ、ご飯準備してくるね。ぎゅってして、いいよ?」

「い、いいですよそんな。あれは先輩の特権ですから」

「そう? じゃあ私の特権。ぎゅっ」

「あ」


 なぜか。

 また、ハグされた。

 また、俺は頭の中が真っ白になる。


「ぎゅっ」

「せ、先輩……あ、あの、ご、ご飯を、その」

「うん。じゃあ、作ってくる」

「あ」


 スッと離れた先輩は甘い香りだけを残してリビングを去る。

 俺は、しばらく放心状態が続いた後で意識を取り戻すと、先輩が置いていったぬいぐるみをそっと拾い上げて、ぎゅっと抱きしめる。


 先輩の、甘い香りが残ったぬいぐるみはとてもふわふわだった。

 思わず、ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。


「先輩……」


 どこまで天然な人なんだろう。

 そのおかげで俺はさっきからいい思いばかりさせてもらっているけど。

 でも、こんなことを毎日されてたら頭がおかしくなりそうだ。


 ……俺も、抱き枕とか、買おうかな。



「えへへ、好きだって。かわいくて好き、だって」


 えへへ。

 常盤君のストレートな告白、ごちそうさま。

 あんなに素直に言ってくれるなんて、今日の常盤君は大胆。

 それにそれに、ハグするのは私の特権だなんて。

 私の方からだったら、いつでもぎゅってしていいよって、そう言ってくれたんだよね?


 うん、私はいつでもするから。

 隙があればいつだって、どこでだってハグしちゃう。

 

 今日からは一緒にご飯を食べようって言ってくれたし。

 同棲を始めてまだ初日なのに、ずいぶんと愛がはぐくまれちゃってる。

 順調すぎて怖いなあ。

 このままだったら、初めてを迎える日もそう遠くないかな。


 学校でも、みんなの前でハグしちゃおうかな。

 下衆な女たちが彼に寄ってこないように。

 屑な男連中が私によって来ないように。


 見せつけちゃうの。

 熱い熱い、私たちの関係を。

 もう、一緒にいられたらそれでいいって思ってたのにどんどん彼を求めちゃう。

 欲張りになっちゃう。


「キスも、したいなあ。ご飯食べたら、リビングでいっぱい、したいなあ」


 あんなこともこんなことも。

 常盤君が好きって言ってくれたから私。


 大胆に、なっちゃう。



「ご飯できたよ」


 リビングでぬいぐるみを抱えたまま、先輩の残り香に酔いしれて呆けていた俺のところに先輩が来た。

 慌ててぬいぐるみを置く。


「あ、すみません。気持ちよくてつい」

「気持ちよかった?」

「は、はい。抱き心地がすごくよくて」

「えっち」

「え?」

「ううん。ご飯、お鍋にしたから冷めないうちにきてね」


 先輩はちょっと俺を避けるようにささっとリビングから出ていく。

 

 今、えっちって言われた?

 もしかして、俺が先輩の香りをかいでいたことがばれたのかな。

 ……いかん、やっぱり変なことしないように控えないと。


「ん、いい匂い」


 ぐつぐつと煮える鍋からは豚骨風味の匂いが漂う。

 きれいに並んだ野菜や豆腐、そしてお肉が鍋の中で踊っている。

 

「おいしそうですね。先輩、もう食べてもいいんですか?」

「うん。とってあげようか?」

「いえ、それくらいは自分でできますから。先輩の分こそ、とりましょうか?」

「じゃあ、お願い。私、豆腐好きだから」

「じゃあいっぱい入れますね」

「いっぱい……いれてほしい」

「はい。俺は大丈夫なのでなんでもリクエストしてください」

「頼もしいね」

「そ、そんな。俺はただ具材をよそってるだけなので」


 先輩が作ってくれた鍋を取り皿に分けると、二人で一緒にいただくことに。

 ただ、なぜか今日は先輩は向かい側に座らずに。

 俺の隣にやってきた。


「あ、あれ? 先輩、隣ですか?」

「あっち側、湯気がすごくて」

「あ、ああ確かに。風向きが悪いですね」

「うん。見えないから、こっちの方がいいの」

「はあ」


 向かい合わせでご飯を食べるだけでも緊張するってのに、今日は先輩がすぐ隣にいるもんだから俺はやっぱり食事どころじゃなくなってしまう。

 もちろん味はおいしくて、炊き立てのご飯ももりもりと食べられるのだけどなんだか食べた気がしない。


 先輩が時々「熱い」とつぶやくと、見てしまう。

 あまりにもその声が色っぽくて、つい気になってしまう。


 そして取り皿に具材がなくなると、「早く入れたい」というので俺は慌てて具材を鍋から取り皿へ盛る。


 先輩は全然暑そうでも熱そうでもなく、終始涼やかな表情で食事をしていたんだけど。

 俺の方が汗ダラダラだった。


 お鍋であったまって発汗したというのもあるけど。

 緊張で、脇あせもびっしょりだ。


 こんな状態でハグされなくて本当によかった。


「ふう。ごちそうさまです。先輩、おいしかったです」

「ほんと? お腹いっぱい?」

「はい、とても。あの、この後はどうされますか?」

「お風呂、入れるね。汗かいたよね」

「え、ええまあ。でも、先輩も今日はそろそろ」

「お風呂、いい? 私も、汗かいちゃったの」

「え……い、いいですけど、いいんですか?」

「? お風呂、入らないほうがいい?」

「い、いえいえそんなことありませんよ。自由に使ってください」

「うん。じゃあ、お風呂の準備してくるね」


 先輩は冷めたお鍋をシンクにもっていってから、キッチンを出て行った。


 まだ、先輩は家にいてくれるようだ。

 ていうか、ここで風呂まで入って帰るらしい。


 先輩がうちの風呂に入る。

 そんなことを想像しただけでまた、汗が止まらなくなる。


 もう、先輩みたいに冷静さを保つのも限界だ。

 俺、どうしたらいいんだよ……。

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