それはダメ


「びしょびしょだから、ちゃんときれいにしておかないとね」


 常盤君の汗なら大歓迎だけど。

 私の汗も、きっと彼なら歓迎してくれるだろうけど。

 でも、何もないのに濡れちゃってる女なんて、ちょっとはしたないものね。


「お風呂、一緒に入ろうって言ってくれないかなあ」


 浴槽にたまっていくお湯の水面を眺めながら、私は彼と一緒の入浴を妄想する。


 泡だらけの彼の体を舐めるように触りたい。

 彼の背中をゆっくり手で洗い流してあげたい。

 私の背中も、いっぱいごしごししてほしい。


 聞いてみようかな。

 もし、いいよって言ってくれたらいいなあ。


「お風呂で、初めてを迎えてもいいよ、ね?」



 先輩がお風呂場に行っている間に俺は鍋を洗って食器を片付けてからリビングに戻った。

 何かしていないと、妄想が膨らんで俺の理性が崩壊してしまいそうだったので、先輩に止められることを承知で洗い物をしたんだけど、全然気がまぎれない。

 

 どころか、リビングに行くとまた先輩の甘い香りが鼻腔をくすぐってくるせいで、俺の体は熱を帯びたまま。

 先輩を抱きしめたい衝動が沸いてきて、それをどこかに逃がそうとしてぬいぐるみを強く抱く。

 押しつぶすように、ぎゅうっと抱く。


 それでも完全に気が鎮まるわけではなく。

 どうにかして気を紛らわそうとテレビをつけたところで先輩が戻ってきた。


「お風呂、沸いたよ」

「あ、はい」

「ぎゅって、する?」

「え? あ、ああこれはつい……すみません、先輩のものなのに」

「ううん、いいよ。お風呂、一緒に入ったらダメ、かな?」

「え? お風呂?」


 一瞬、俺はとんでもないことを誘われてしまったと心臓を高鳴らせたがすぐにその意味を理解して冷静になった。


 そうか、このぬいぐるみと一緒に入ったらダメかってこと、だよな。

 やばいやばい、俺の頭の中がピンク色になってるせいで、とんでもない誤解をするところだった。


「ええと、一緒はさすがにまずいのかなと」

「……ダメ?」

「ダメ、じゃないですけどやめておいた方がいいのかなって」

「うん。そう言うなら、そうする。お風呂、先に入る?」

「ど、どっちがいいですか? 俺が入った後でも気にならないのであれば、先に入らせてもらいますけど」

「うん、いいよ。じゃあ、先に入ってきて」

「わ、わかりました」


 ぬいぐるみを置いてから、俺は風呂場へ向かう。

 その時すれ違う先輩は、なぜかとても残念そうな顔をしていた。


 そんなに、ぬいぐるみと一緒に入りたかったのだろうか。

 うーん、それなら何か袋に入れたりとかして……でも、難しいよな。

 あんなにしょんぼりする先輩も珍しい。

 風呂から出たら、何か代わりに喜ぶようなことでもないか、探さないとな。


「ふう」


 風呂のお湯加減はちょうどよく、俺は肩まで浸かると大きく息を吐いて天井を見上げてから、体を起こして水面を見る。


 よく考えたらこの風呂、後で先輩も入るんだよな。

 ……いいのかな。

 俺の汗を流したあとの風呂に入るなんて、気にならないのだろうか。

 俺だったら、先輩が入った後の湯船につかるなんて、考えただけで興奮してしまいそうだけど。

 

「……すっかり、一緒に生活してるな」


 同棲でも同居でもなんでもないはずなのに。

 すっかり先輩はこの家の一員のようだ。

 母さんの言う通り、先輩がいてくれたら何も寂しいことなんてないのだけど。

 いつまでこんな生活が続くのか、逆に不安になってくる。


 先輩と俺は何の関係もないんだから。

 もし、この先先輩に好きな人ができたら俺なんて構ってもらえなくなるだろうし、それに先輩は先に卒業してしまうわけだから遠くの大学に進学してしまったらこれまで通り会えなくもなる。


 もちろん先輩の方はそんな心配なんてしてるはずもないだろうけど。

 俺は先輩がいる生活に慣れるほどに、その終わりを想像すると辛くなってしまう。


「……先輩に、もっと俺のことを好きになってもらえるように頑張らないと」


 俺はもう、先輩がいない時間なんて考えられなくなっていた。

 まだ知り合ってからそんなに日は経っていないけど。

 でも、俺はもう先輩のことが……。



「常盤君の意地悪……」


 お風呂、断られちゃった。

 うん、わかってたよ。さすがにお義母さんがいないからって初日から羽目を外してたらダメだよって、言われると思ってたよ。


 でも、言われちゃうと悲しいな。 

 一緒に体、洗いっこしたかったなあ。

 今、常盤君も悶々としながら一人でお風呂に入ってるのかなあ。

 それとも、私のことをいやらしい女だなって思ってるのかなあ。


 思って、ないよね?


「やだ……そんなの思っちゃやだよ? だめだよ? 常盤君、嫌いにならないで?」


 急に不安になって、私の足は自然と風呂場へ向いた。

 近づくと、シャワーの音が聞こえる。


 脱衣所に行くと、散らかった彼の服があった。

 曇りガラスの扉の向こうに、かすかに映る彼のシルエット。

 髪を洗ってるのかな。

 もう、こんなに脱ぎ散らかしてたらダメだよ。

 ちゃんと、洗濯機に入れておくね。

 あと、お着換えもたたんで置いておくからね。


 ほんと、常盤君ったら私がいないとダメなのね。

 そういうだらしないところを見ると、ちょっと安心しちゃう。

 私も、常盤君がいないとダメなの。

 だから常盤君も、私がいないとダメになって。

 もっともっと。

 依存してほしい。

 

 聞こえるかなあ。

 聞こえないかなあ。

 彼は私に向かって、ちゃんと好きって言ってくれたのに。

 私ったら、まだ彼への気持ちをちゃんと言葉にできていない。

 彼はこんな私のことなんて見透かして、ちゃんと気持ちを理解してくれてるけど。

 でも、寂しいよね。

 ちゃんと言わなきゃ、だよね。


「……好き。大好きだよ」


 

 

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