至れり尽くせり


「ただいまー」


 玄関に入ると、なんだか香ばしいにおいがした。

 母さん、帰ってるのか?


「母さん?」

「あら、千代おかえりなさい。遅かったわね」

「まあ、ちょっとね。母さんこそ早かったんだ」

「ええ、この後また飲み会だけど」


 キッチンに向かうと母さんが洗い物をしていた。

 今年四十歳になる母は、同級生の親の中でも結構若く、仕事も保険関係でバリバリやっていて飲み会なんかも積極的に行くような、男勝りな人だ。

 こうして洗い物をしている姿も久々に見る。


 そしてテーブルにはオムライスが一つ置かれているのを見つけた。


「これ、今日の晩御飯?」

「ええ、そうね。ていうかあんたも隅に置けないわね」

「なんの話?」

「親に隠し事なんて、よくないわよ。ほら、言うことあるんじゃない?」

「……?」


 俺は今まで親に隠し事をしたことなんて一度もない。

 特に母さんは怒ると怖いし、テストの答案も見せろと言われる前に自分から見せるほどである。

 そんな俺が隠しごとなんて……いや、もしかしてさっきの事件のことか?

 でも、警察の人も家には連絡しないって言ってくれてたし……。


「あの、なんのことかさっぱりなんだけど」

「ふーん、千代がそういう態度なら別にいいけど。でも、オムライスの味の感想は聞かせなさいよ」

「なんだよ、料理に凝ってるのか?」

「いいから早く食べて。片付かないし」

「はいはい」


 何の変哲もないオムライスだ。

 でも、ケチャップでハートマークを作るあたりがまだ母さんも若いなと思わせてくる。


「いただきます……ん、うまいなこれ」


 少し冷めていたけど、中のチキンライスの味付けは俺好みに濃く、くるっとまかれただけの卵もどこか甘い。

 

「そりゃあおいしいわよねえ。ほんと、これなら私も心配ないわね」

「さっきから何の話だよ母さん。今日は変だぞ」

「なんでもないわよ。でも、おいしそうでなによりね。さてと、母さんは出かけてくるから。何をするのも勝手だけどくれぐれも羽目外さないようにしなさいよ」

「はいはい。じゃあ片付けはやっとくよ」


 まだ食事の途中だというのに、母さんは慌ただしく出かけて行った。

 ほんと、放任主義な両親だ。

 まあ、だからといって羽目を外そうなんて一度も考えたこともないけど。


「ふう、お腹いっぱいだ。今日は風呂入って寝ようかな」


 食器を片付けて風呂場へ。

 いつもなら風呂を沸かすのも自分でやるのだが、今日はもうお湯がしっかり張られていた。


「母さん、今日は妙にサービスいいな。いいことでもあったのかな?」


 まあ、いつもほったらかしだから家にいる時くらいは息子のためになんかしてやろうってことなのかな。


 とにかく、今日は疲れたしご好意に甘えるとしよう。


「……ふう。こうして何事もなく風呂に入れるのが一番幸せだなあ」


 湯船で天井を見上げながらしみじみ。

 つい数時間前に俺は死の淵に立たされていた。

 あのまま犯人が転ばなければ今頃俺は……。


「ううっ、思い出したら胃が痛い……。でも、俺がやられたらトイレの中にいた人も被害に遭ってたかもだし、ほんとよかった」


 しかしここ最近、よくトラブルに巻き込まれる。

 それだけ、この街に人が増えて治安が悪くなってるってことか。


 なんか、赤糸浜ブームも俺たち凡人にとっては迷惑な話でしかないな。


「さてと、今日は寝るかあ」

 

 風呂から上がってすぐ、牛乳をグッと飲み干して歯を磨いて部屋へ。


 部屋に戻るといつもならまず勉強してからゆっくりするのだけど、今日ばかりはさすがに何もする気にはならなかった。


「はあ……もう寝るか。それにしても、なんか甘いにおいがするけど、母さんのやつ香水でも撒いたのか?」


 かすかに部屋に残る女性っぽい香り。

 まあ、母さんは出かける前によく香水とかしてるし、その状態で部屋の片づけにでも来たのだろう。

 その証拠に、散らかしていた本や着替えも片付いてある。


「ほんと今日は至れり尽くせりだ。よく寝れそう」


 片付いて、どことなく新鮮な空気を感じる部屋の快適さにリラックスしながら電気を消す。


 やっと、長い一日が終わった。



 翌朝。

 ぐっすり眠れたおかげか朝早くにぱっちり目が覚めた俺は顔を洗ってからキッチンへ。

 いつも朝早くに出かけてしまう両親は気が利かないので俺の朝飯なんていつも作ってはくれない。

 母曰く「これも社会勉強よ」だそうだけど、自分が楽したい口実だってのはわかってる。

 でもまあ、大学まではしっかり行かせるって言ってくれてるし、この年で過保護なのもどうかと思うから俺にはちょうどいい塩梅だ。


「あれ?」


 当然今日も自分の朝飯を作ろうと思っていたのだけど、テーブルにはラップされた朝食らしきものが置いてある。

 そして


『冷めないうちに食べてね』


 置手紙が添えてある。

 いやはや、なんかここまでくるとちょっと不気味だ。

 母さんのやつ、まさか何か変なことでもしてんじゃないだろうな。


「でもまあ、人の好意には素直に甘えるのが吉ってもんだ。いただきます」


 目玉焼きに味噌汁とご飯。

 どれもまだ少し温かいくて、チンするまでもなく俺は箸をつける。


 どれもほっとする味だ。

 でも、昨日から思ってたけど母さんの味付けってこんなに濃い口だったっけ?

 いや、最近母さんの飯なんて食べた記憶ないし、俺の舌が変わったのかもな。


「さてと、学校行くか」


 今日も電車に乗って学校へ。

 

 間違っても二日続けて変質者に遭遇なんて、ないよな。

 頼むから何もありませんようにと。


 心の中で祈りながら駅へ向かった。


 

 

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