隣の君に思うこと

「まもなく、一番線に電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください」


 今日も平日だというのに朝から赤糸浜の駅は多くの人でにぎわっている。

 平日でも観光に来る人って結構いるんだよなあ。

 

「さてと、今日こそは席に座ってゆっくり……ん?」


 急いで改札を抜けて電車を待つ列の先頭に立つと、横の列の先頭に見覚えのある女子の姿が。


「あれは……氷織、先輩?」


 昨日何度か目撃した氷織先輩が、風に髪をなびかせながらホームに立っていた。

 立ち姿も絵になるほどの美人ってのはまさにこのこと。

 まるでドラマのワンシーンのようだ。


 でも、昨日からよく見かけるけどやっぱり近所に住んでるんだな。

 ということは地元の先輩? いや、金子のやつが引っ越してきたとかなんとか話してたっけ?

 なんにせよ、あんな美人が地元にいたらさすがの俺でも話くらいは聞いたことあるだろうし。


「ま、俺には関係ない話か」


 そっと彼女から目をそらすと、目の前に電車が止まる。

 そしてすぐに車両に乗り込み、今日こそはと角の席に座りカバンから本を取り出す。


 まあ、勉強ではなく最近はまっているラノベの続きを読むだけなのだが。

 こういう朝の過ごし方も悪くないだろ。


「よいしょ」

「……え?」


 隣に、同じ学校の制服を着た女子が腰かける。

 むさくるしい電車の中で、まるでここだけが別空間になったかのようなさわやかな香りが届く。


 ちらりと隣を横目で見ると、座ってきたのはさっき見かけた氷織先輩その人だった。


「……」


 心の中で、なんという偶然だろうとつぶやいた。

 それと同時に、勝手に心臓を高鳴らせる。


 その理由はまず、なんといっても匂い。

 女の子ってこんなにいい匂いがするんだって思うほど、さわやかで嫌みのない、どこか落ち着く香りを彼女が振りまいてくる。

 それに、どこかで嗅いだことがあるような……。


「……」


 あと、彼女の反対隣がサラリーマン風の男性だったせいもあるのかもしれないけど、妙に俺の方へ寄っている彼女の左肩が時々俺の右肩に触れる。


 もちろん触れる程度なのだけど、かわいい女性とゼロ距離というのはそれだけで俺の心臓を刺激する。

 横顔も、間近で見るとまるで作り物みたいにきれいだ。

 少し灰色がかった瞳と、みずみずしい唇に目を奪われてガン見してしまいそうになるのを必死でこらえながら本へ目をやる。


 電車が、今日もよく揺れる。

 そのたびに彼女の肩が、俺に触れる。

 そのたびに彼女の香が、俺に届く。


 もう、読書どころではなかった。

 あと三十分もこの状況が続くようなら俺は確実に心臓まひで死ぬ。

 そんなことを思いながら呼吸すら忘れてじっと窓の向こうの景色を見ていると。


 やがて電車が到着した。



「まもなく、一番線に電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください」


 今日も駅のホームは鬱陶しい人ゴミ、いえ、人混みであふれてる。

 でも、今日はそんな掃き溜めの中に鶴……いえ、≪≪私の彼≫≫を見つけたから気分がいい。


「常盤君……私と一緒の電車に乗ってくれるんだ」


 赤糸浜のジンクスなんてくだらないものは、私みたいな友達がいない人間の耳にも届くほど有名である。


 好きな人とここから同じ電車に乗ればその恋は成就する、か。

 はっきり言ってこんなくだらない戯言なんて興味のかけらもなかったけど。

 でも、常盤君と知り合ってからは違う。

 この電車に彼と一緒に乗ったから私たちは出会って、そして≪≪惹かれあってる≫≫。

 まんざら、そのジンクスも嘘じゃないんだなあって思った。


「ふふっ、だけど毎日一緒の電車に乗っちゃってたら、来世もその次もずっと結ばれることになっちゃうよね」


 と。

 嬉しそうに独り言をつぶやきながら電車に乗る。

 彼と同じ車両。

 だけど、彼に話しかける勇気なんて私にはない。

 いくら彼が私のことを好意的に見てくれていると知っていても、私は元来人見知りである。

 それに、彼と対面したら何も話せなくなる自信しかない。

 だからできれば遠目で彼のことをじっと見つめていたい。

 

 でも、周りがそうもさせてくれない。


 ほら、どこぞの女子高生が彼の隣の席を狙ってる。

 きっと、常盤君があまりに素敵だから彼の隣に座ってあわよくば声でもかけようと思っているに違いない。

 あんな化粧ばかり施した低能そうなやつがとる行動なんて、大体決まってその程度。


 低俗な連中ばかりだ。

 私のように、彼が帰ってくるまでに料理の支度を整えてお母さまにご挨拶を済ませてお部屋の片づけをしてあげてからこっそり帰宅するような、内助の功がわかる女なんてそういない。


 ね、そうだよね常盤君?

 私の昨日のオムライス、おいしかったよね?

 今朝も私、早起きして朝食作ったけどちゃんと全部食べてくれたかな?

 食べてくれたよね? うん、絶対そうだよね。常盤君は優しいから、私の作った料理を残したりなんて絶対しないもんね。


 ……うん、常盤君は本当に素敵な人だ。

 だから。

 だからこそ、あんな他校の下品な女に彼のさわやかな朝は邪魔させたくない。

 ドキドキして、何も話しかけられないとおもうけど。

 でも、彼の隣は譲らない。

 もし彼の隣を陣取る女がいたら……。


 殺してでも引きずりおろしてやる。

 えへへ、私って健気。


「……」


 足が震える。

 体が震える。

 心臓が、震える。

 でも、懸命に足を出して私は彼の隣にたどり着いて、腰かけた。


 彼がちらっと私を見たのがわかった。

 でも、話しかけてこないのはきっと彼も奥手なんだと思う。

 いつも遠回しに私へ好意を伝えてくれる常盤君のことだから、こんな公共の場では話しかけにくいんだろう。

 うん、わかるよ。私もそうだもん。それに、そういうところも好き。

 

 ああ、時々触れる彼の肩、思ってたよりずっとたくましい。

 揺れるたびに、私を気遣うようにちらっとこっちを見る弱弱しい視線、とっても愛くるしい。

 そんなに華奢なのに、とても芯が強くて勇気があって。

 その勇気をいつも私のために使ってくれる彼と、早くゆっくりお話してみたいなあ。

 ほんと、私ったらいつまでも避けてたら彼に失礼よね。


「……」


 このまま何時間でもこうしていたかったけど電車は無情にもすぐに止まる。

 そして彼も私にもう一度目配りしたあと立ち上がって電車を降りていく。

 私は、その少し後ろをつけるように電車を降りる。

 満たされた気分に、いつもの憂鬱な景色もさわやかに映る。


 軽快な足取りで、少し離れたところから彼と横並びになり、やがて追い抜いて学校へ先に向かう。

 今日は彼にお届け物があるんだから。


「えへへ、今日のお昼ご飯、喜んでくれるといいな」


 

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