休日の朝


「ん……」


 誰かからのラインメッセージの通知音で目が覚めた。


 薄暗い部屋の中で、枕元に置いたスマホを触ると、母さんからメッセージが届いていた。


『今ちょうど半分くらいきました。向こうに着いたら電話します』


 ご丁寧に写真まで。

 どこかのサービスエリアだろうか。


「でも、本当に行っちゃったんだな」


 部屋を出て、一階に降りてから昨日みんなで話したリビングに行くと、父さんのゴルフセットも、母さんの本棚の中身も既にそこにはなく。


 まるで夜逃げでもしたかのように片付いた部屋はいつもより広く、そして少し冷たく感じた。


 その光景を見て、虚しさと寂しさが込み上げてくる。

 今日から本当に一人暮らしなんだと、実感が湧いてくる。


「ん?」


 感傷に浸っていると、キッチンの方から物音がした。


 まさかとは思うが、こんな時間にもう先輩が家に来ているなんてこと、ないよな?

 いや、さすがにまだ朝の五時過ぎだぞ?


 でも、万が一泥棒とかだったら怖いし……。


「……あ」

「おはよう。早かったね」

「先輩……」


 恐る恐る向かいのキッチンへ行くと、エプロン姿の先輩が涼しげな顔をしてテーブルを拭いていた。


「どうしたの?」

「い、いえ……。は、早かったんですね」

「うん。お義母さんのお見送りに来て、ついでだからそのまま」

「あ、なるほど……」


 母さん達が何時頃に家を出たのかは知らないけど、少なくとも深夜の時間に出発したはずだ。

 そんな早くに見送りにわざわざ来るなんて、やっぱり母さんとの仲は相当深いんだな。

 娘同然って母さんは言ってて。

 家族同然と先輩は言ってた。


 まさか、俺の生き別れのお姉さん……って、それはさすがにないとして。

 でも、理由はどうあれこんな朝早くから先輩が家にいると、嬉しい反面落ち着かないなあ。


「あの、朝ごはん作るんですか?」

「うん。家のこと、お義母さんに頼まれてるから」

「そ、そうですか。あの、頼まれたのって今日だけ、ですか?」

「ううん、毎日だけど」

「毎日……毎日!?」


 思わず大きな声が出てしまった。

 すると先輩はキョトンとした顔でこっちを見ながら「何かあった?」と。

 まるで毎日ここに来ることが当たり前で、それに驚いている俺の方がどうかしてるといった様子でそう聞いてきた。


「す、すみませんびっくりして……ええと、め、迷惑じゃないんですか?」

「迷惑?」

「ほ、ほら、だって……お、俺なんかのために毎日早起きとか、大変じゃないですか」

「ううん、大丈夫。私、元々朝早いから」

「そ、そうだとしても……朝ごはん作るのも手間がかかるし」

「自分の分、毎日作ってるから気にならない。あと、お昼も夜も任されてるから」

「え、全部ですか?」

「うん。私、お義母さんに信用されてるみたいだから。ちゃんとその気持ちに応えたいの」

「は、はあ……」


 彼女は、自分の時間を犠牲にしてでも母さんからの信頼を無碍にしたくないと、そういうことのようだ。

 いかに二人が仲良しで、いかに先輩が母さんに心酔しているかがわかる。


 でも、理由はさっぱりわからないままだ。

 

「あの、先輩……いくら母さんに頼まれたからといっても、無理だけはしないでくださいね」

「うん。無理なんかしてないよ。でも、ありがと」

「い、いえ。そ、それじゃとりあえず今日の朝食くらいは俺が作りますよ。せっかく起きたし」

「大丈夫。まだ早いから部屋でゆっくりしてて」

「……わかりました」


 先輩の強い目力に圧倒されて、俺は言われるまま部屋に引っ込んだ。

 先輩がああいう目をする時は絶対に譲らないことを、ここ数日で理解させられたってのもある。


「どこまで面倒見がいいんだよあの人って……」


 再びベッドに寝転がり、さっき送られてきた母さんからのメッセージに返事を打ちながら独り言を呟く。


 これから毎日、母さん達が帰ってくるまでずっと、俺の飯を先輩が作ってくれるのだとしたら。

 それって、さすがにお近づきになるチャンスなんじゃないか?

 いや、普通に考えたらもう付き合ってる以上のことをしてもらってるんだけど。

 それでも俺と先輩はまだ、友達未満って関係だ。


 先輩が俺に飯を作ってくれるのは母さんの信頼を裏切りたくないため、なんだ。

 

「……いつか、俺のために作ってもらえるようにならないかなあ」


 そんな、来るか来ないかもわからない、むしろ来ない方が確率の高そうな未来を思い浮かべながら。


 また、ウトウトと眠りについてしまった。



「えへへ、朝からいっぱいお喋りしちゃった」


 常盤君ったら、寝癖ついたままだった。

 可愛い。好き。

 髪の毛がぴょんぴょん跳ねてる常盤君も大好き。


 それに、毎日ご飯作ってあげるって言ったら嬉しすぎてびっくりしてた。

 ふふっ、私も常盤君と同じくらい、嬉しいんだよ。


「今日は何しようかなあ。ご飯食べたらとりあえずリビングで一緒に映画とか……あ、そういえばお義母さん達の荷物片付いたから、色々買い足さないとだね。うんうん、なんか新婚生活が始まった感じ、ワクワクする」


 気分が軽い。

 体が軽い。

 

 こんなに早く、彼とできるなんて夢にも思ってなかった。


 やっぱり私たちって、赤い糸で結ばれてるんだね。

 なるべくして、こうなったんだね。

 運命だね。

 

「えへ、えへへ。ふふふっ、ふふふふふっ」


 笑いが止まらない。

 幸せすぎて、顔が緩みっぱなしだ。


 でも、彼が起きてくるまでにはちゃんとしてないと。

 だらしない女だって思われちゃう。

 常盤君は……ううん、もう、常盤君なんてよそよそしい呼び方も変えないと。


 もうすぐ私だって『常盤』さんになるんだし。

 千代……やだっ、ちょっと可愛くないなあ。

 千代君、かな。

 うん、千代君。


 千代君、千代君、千代君……。


 名前で呼んだら、どんな反応されるかな。

 ドキドキしてくれるかな。


 私も、ドキドキさせて欲しいな。

 お義母さんはもういないんだから、先輩なんてそんなかしこまった呼び方を続かなくてもいいんだよ?


「紫苑って呼んでほしいな……あっ」


 想像したら、ちょっと感じちゃった。


 えへへ、名前で呼ばれたら私、どうなっちゃうんだろう。


 

 

 


 

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