尽くす女


「えへへ、常盤君の使用済みスプーン……いただきます」


 カレーがこびりついたスプーンの裏をぺろり。 

 関節キス、しちゃった。

 彼の唾液、なめちゃった。

 彼のDNAが、私の中に入っちゃった。


 妊娠、しないかな。

 したらいいのにな。

 

「ふふっ、いっぱいおかわりしてくれたね。わんぱくな常盤君も可愛い、好き」


 私が作ったカレーなのに、彼が食べた後だとなんだかすごく美味しい。

 お皿も、舐めちゃお。

 こんな恥ずかしいところ、常盤君には見せられないなあ。

 ううん、彼ならこんな私を見てもきっと、お茶目だねって笑ってくれそう。


 お風呂、今日はちょっとだけ熱くしておいたから。

 早く出てきてほしいから。

 昨日は常盤君とのはじめての共同作業もあって、ちょっと疲れちゃったから帰っちゃったけど。

 今日はまだ余裕あるよ。

 一緒にテレビとか見て、そのままソファで一緒にねんねして、とか。

 

 えへへ、考えただけで濡れてきちゃう。

 今日はお義母様もお義父様も帰りが遅いって言ったけど、あれ嘘なんだ。


「今日は二人とも、帰ってこないから」


 もちろん、ちゃんと理由は知ってる。

 今日はお二人の結婚記念日だから、外食してお泊りするんだって。


 素敵。

 早く私も常盤君と記念日をお祝いしたい。

 知り合った記念、初めて目があった記念、初めて触られた記念とかも。

 ふふっ。毎日、記念日になっちゃうね。

 今日は何の記念日かなあ。


「初めてのお泊まり……とか」



「先輩……」


 湯船に浸かりながらぼんやりと天井を見上げる。

 今日はいつもより入念に身体を洗った。

 もちろん、先輩に臭いなんて思われたくないからだ。

 最も、俺の匂いなんて気にも留めていない可能性だってあるけど。

 あんなに風呂に入れと圧力をかけられたらちょっとは気にするってもんだ。


「……なんか熱い。のぼせそうだし、もう出るか」


 今日はいつもより早く体があったまった。

 そういや、風呂も当たり前みたいに風呂入ってるけどこれも先輩が準備してくれたんだよな。


 ……先輩の作ったご飯を家で食べて先輩が沸かした風呂に入る、か。

 なんかやってることは夫婦みたいだな。

 って、そんなこと考えてんのがバレたらもっと気まずくなる。

 平常心平常心……。

 ま、さすがにもう先輩は帰ってるかな。



「あ」


 風呂から出ると、今日はまだ先輩がキッチンにいた。

 テーブルに腰掛けてお茶を飲みながら静かに携帯を触っている。


「あ、早かったんだ」

「え、ええ、まあ」

「お湯加減はいかがだった?」

「と、とても気持ちよかったです」

「そ。もう、寝るの?」

「ま、まあぼちぼち」

「そ」


 また、先輩は携帯に視線を落とす。

 俺はお腹いっぱいで風呂にも入ったからさっさと部屋に戻って寝たいところなんだけど、さすがに先輩を一人で放置ってのも気が引ける。

 

「あの、母さんを待ってるんですか?」

「いえ、ちょっとゆっくりさせてもらってただけだけど。迷惑?」

「め、迷惑だなんてそんな……俺は構いませんが」

「ならよかった。そういえば食後のデザートもあるけど、食べる?」

「デザート?」


 淡々と、しかしいつもよりよく喋る印象の先輩は冷蔵庫から小さなカップを取り出す。


「プリンだけど、嫌い?」

「い、いえ大好きです。あの、これも先輩が作ったんですか?」

「うん。私が作ったものだと、不満?」

「そ、そんなわけないですよ……あの、い、いただいてもいいんですか?」

「うん」


 どういうわけか、先輩の手作りだというプリンがテーブルに置かれた。

 俺はプリンの前に座ると、先輩がさっきと同じようにスプーンを渡してくれて。

 器にかかったラップを外してから、一口いただくことに。


「……うまい。これ、めっちゃ美味しい!」


 相手が先輩だということもわすれてはしゃいでしまうほど、プリンは美味だった。

 そして思わず先輩を見ると、真顔の先輩と目が合った。


「あ、す、すみませんつい……」

「ううん、いいの。それ食べたら、もう休む?」

「そ、そうですね。先輩は?」

「私は少しゆっくりして、片付けするから」

「……なんかすみません。あの、母さんのお願いでも嫌なことはちゃんと断ってくれていいですから」

「うん、お気遣いありがとう。でも、大丈夫よ」

「はあ」


 どうして先輩はここまで母に対して献身的というか付き合いがいいのか、さっぱり俺にはわからないまま。

 プリンを食べ終えるとサッと先輩が器とスプーンを片付けてしまう。

 そして、「もう休まないと」って、催促される形で俺は部屋に戻される。


 本当は片付けも手伝いたかったし、せっかく今日は会話が続いていたからこの調子でもう少し話していたかったんだけど、先輩に何度も寝ないのかって聞かれると、さっさと部屋に戻れと言われてるような気がして退散した。


 部屋に戻ってから、歯磨きを忘れていたことに気づいたけど、今日は再び部屋を出る気にはなれなくてそのままベットに入った。

 

 口の中に広がる甘い味は、俺の心に灯る火種を確実に大きくしていった。



「えへへ、また常盤君のスプーン……いただきます」


 お口直しの一口。

 今回はちょっと甘い。

 でも、プリンの甘みなんかよりももっと甘美な何かが私を刺激する。


「はあ……常盤君といっぱい喋っちゃった。緊張して、あちこちが湿ってたの気づかれなかったかなあ」


 興奮を隠すのに必死だった。

 本当はもっと甘えたり、いっぱいおしゃべりしたかったんだけど私にはちょっとハードルが高い。


 男を見たらすぐに食いついて手垢をつけようとするその辺の下品な女たちとは、私は違う。

 私は、ちゃんと常盤君のことだけを考えて常盤君のためだけに行動できる女なの。


 それに、明日は休みだから。

 いっぱいいっぱい、一緒にいられるもんね。


「そろそろ寝たかな」


 私は彼の負担になんかならない。

 彼の束の間の休息を邪魔なんかしない。

 ちゃんと部屋で眠ってることを確認したら、そっとしておいてあげるの。


「えへへ、だけど寝顔だけ、拝見させてね」


 

 

 

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