家族同然


「先輩は……さすがにいないか」


 結局ぶらぶらしていたせいでいつもより遅い電車で帰宅することになった。

 だからさすがに今日は先輩の姿はどこにもない。

 いつものようにばったり同じ電車になったら、お弁当のお礼と母さんのことをお詫びしようと思ってたんだけど。


「……でも、俺が話しかけても迷惑かもな」


 電車に揺られながら車窓から差し込む夕日に目を細める。

 今思えば、昨日は夢のような時間だった。

 あの氷織先輩が俺の家にきて料理をしてくれて、一緒に片付けをして何度か会話もして。


 きっと家庭的な人なんだろう。

 あんな人の彼氏になれたら、さぞ幸せなんだろうな。

 綺麗で料理がうまい年上の女性、か。

 見ているだけなら、憧れで終わったんだろうけど。

 近くに感じると、どうしても意識してしまう。

 いっそのこと、今日も母さんが連れて帰ってきてくれないかなって、都合のいい期待をしてしまう。

 ま、そうそう都合のいい話もないだろうし。

 明日は休みだからさすがに会うこともないんだろう。


 ほんと、みんなどうやって女の子と仲良くなるんだろ。

 

 ……いや、俺にだってチャンスはあったんだ。

 宮間さん。

 彼女は俺のことを好きだと言ってくれた。

 俺も、彼女のことは可愛いと思ってたし話しやすくていい子だとも思ってた。

 だから、あの子と仲良くなる未来も、きっと存在したと思う。

 氷織先輩と俺が仲良しだなんて、勘違いさえされなければ。

 そして勘違いされる原因はやはり母さんの軽率な行動だ。

 そう思うとやっぱり腹が立つけど。


「でもまあ、宮間さんだって俺のことを本気だったわけじゃないんだろうな」


 フラれたことでイライラして母さんに対してもつい腹立たしくなってしまったけど。

 でも、本気で宮間さんが俺のことを好きだったなら、噂話くらいで俺のことを諦めたりはしなかったはずだと、冷静になったらそう思えてきた。


 コンビニ強盗の件で、もちろん俺が犯人を捕まえたってのは誤解だけどあんな緊張感の中で俺に助けられたと勘違いしたら誰だって少しくらい特別な感情を抱くものだろうし。

 吊橋効果って感じだったんだろう。

 だけど実際に話してみて、つまらない男だと思われたに違いない。 

 だから先輩を言い訳にして遠ざけようとしたんだ。

 うん、そうに違いない。

 もう、終わったことをくよくよ考えるのはよそう。

 また、いい出会いってのがきっと俺にだって……。


 先輩、また会えないかなあ。



「あれ、鍵があいてる?」


 赤糸浜に着いた頃には随分と母さんへの怒りもおさまっていて。

 駅からは真っ直ぐに帰宅。

 すると玄関の鍵があいていた。


「母さんのやつ、もう帰ってるのか?」

 

 しかし玄関の明かりは消えていて。

 家の中に入ると廊下は真っ暗。

 なのになぜか、いい匂いがする。


「カレーの匂い……やっぱり帰ってきてるんだ」


 匂いに誘われるようにそのままキッチンへ。


 扉を開ける前に、俺はあれこれ考えた。


 母さんに苦言を呈するべきか否か。

 気持ちの整理はついたとはいえ、また同じことをされてはたまらないから一応釘は刺しておくべきかなとも思ったけど、こうして最近は俺のために料理もしてくれてるし、毎日仕事で大変なことはわかってるからあまり息子にネチネチ言われたくもないだろうと。


 ここはグッとこらえて大人な対応をしようって決めてからキッチンに入った。


 すると。


「おかえりなさい」

「ただい……え、なんで……」


 そこに母さんの姿はなかった。

 そして代わりにキッチンに立っていたのは、制服にエプロン姿の氷織先輩だった。


「おばさまに頼まれたから」

 

 あまりに予想外の展開に、驚きを隠せない俺に対して彼女は平然とそう言った。


「母さんに? え、ええと、料理を、ですか?」

「うん。ご飯、作ってって言われたから」

「は、はあ……」


 おたまを持った彼女が、あまりにも自然にそこに立っていたこともあって、俺はこんなとんでもない状況を一旦受け入れてしまった。


 先輩が俺の家で料理をして待っているなんて、ちょっと冷静になって考えたらとんでもないことだというのに、なぜかそれが普通のことのように思えてしまったのはやっぱり、彼女の落ち着いた態度のせいだろう。


 業務的に、悪びれる様子もなく淡々と。


 彼女はカレーをよそってテーブルに置いた。


「ちょうどできたところだから。冷めないうちに食べて」


 そう言われて、俺はカレーが置かれた席に着く。

 いい匂いがする。

 すると腹の虫がくうっと鳴いた。


「あ……」

「お腹、空いてたんだね。ちょうどよかった」

「す、すみません……え、ええと」

「スプーン、どうぞ」

「ど、どうも……」


 彼女の冷静な対応に流されるまま、俺はスプーンを受け取って、手を合わせてカレーを口にした。


 少しスパイスのきいた、それでいて絶妙な味。

 おもわず、「うっま」と口に出してしまう。


「美味しい?」

「え、ええとても。あ、あの……母さんは?」

「おばさまは出かけたわ。あと、今日はお知り合いと会食で遅くなるみたい。おじさまも一緒だって」

「父さんも? そ、そっか……」


 普段から帰りの遅い父親の予定なんて聞くこともなかったので、そんな話を先輩から聞かされるのはちょっと意外だったけど。

 そんな話をするくらい、母さんとは親密な仲ってこと、か。

 だったらまあ、こうして母さんがいない留守を任されるのもあり得る話だけど。


「……なんかすみません。うちの母が無茶ばっかり言って」


 赤の他人に家のご飯まで任せるってのは、信頼してるとか以前に図々しいにもほどがある。

 だから母に代わって謝った。

 だけど先輩は、淡々と答える。


「おばさまのお願いだからいいの。気にしないで」


 そう言ってから、彼女は俺の向かいに静かに座る。

 一体、母さんと彼女はどういう関係なのだろう。

 ……聞いてみる、か。


「あの……うちの母とはどういう関係なんですか?」


 当たり前な疑問をそのままぶつけたつもりだったが、しかし彼女は、どうしてそんなことを聞くのだろうと言いたそうにキョトンとして。


「家族同然だもの」


 そう答えた。


「家族、ですか?」

「それよりカレー、美味しくない? 進んでないけど」

「い、いえすごく美味しいです」

「そ。ならいっぱい食べて。おかわり、あるから」

「は、はい」


 もっと聞きたいことはあったのだけど、彼女の澄んだ瞳にジッと見つめられると何も言えなくなった。 

 有無も言わさない雰囲気と、先輩と二人っきりという気まずさもあって、俺はカレーを黙々と食べた。

 おかわりもした。


 結局、三杯もカレーを食べてしまってお腹はいっぱいに。

 すると先輩はすかさず空いた食器を片付けてしまう。


「あ」

「まだ、食べる?」

「い、いえ、片付けくらいは俺が」

「いいの。おばさまに頼まれてるから」

「いや、でもさすがに」

「それよりお風呂、入ってきて。 沸かしてあるから」

「……それも母さんに頼まれたから、ですか?」

「うん」

「……」


 なんとまあ、うちの母は知り合いの女子高生に夕食の準備だけでなく風呂の支度までさせていた。

 ほんと、どこまで図太い神経した人なんだろう。

 我が親ながら、呆れてものも言えない。


「どうしたの? お風呂、早く済ませてきて」

「……わかりました」


 俺は昨日に続いて、今日も先輩をキッチンに残したまま風呂場へ向かう。


 先輩の鋭い目に魅入られると、あれ以上食い下がることもできなかった。


 もしかして汗臭かったのかもしれないし。

 さっさと風呂に入って、汗を流そう。


 ……さすがに、風呂に入ってる間には帰ってるよな?


 

 


 

 


 

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