その手の感触は

「なんだなんだ、千代歌うめえじゃん」

「はは、実は結構自信あったんだ」

「えー、ずるいぞ。よし、次俺な」


 友人とこうしてカラオケに行くのは実は人生で初めてだった。

 カラオケなんて、小さいころに家族で行ったことがあるのと、恥ずかしい話だがどうしても歌いたい曲があって一人で少し離れた店に行ったことがあるくらい。


 ただ、結構自信はある。

 幼いころにピアノを習っていた影響もあるのかもしれない。

 まあ、今は全くというほど弾けないのだが。


「あー、久々に歌ったら喉ガラガラだな」

「そろそろ帰るか。また明日から学校だし」

「まじめだなあ。とりあえず千代、ダブルデートの件はよろしくな」

「はいはい」


 一時間二人で歌いまくって店を出ると、少しあたりが薄暗くなっていて会社帰りの人が駅前にあふれていた。


「あー、この時間って電車混むんだよなあ」

「また変質者が出たりしてな」

「かんべんしてくれよ。あ、そろそろ電車くるからまたな」

「あいよ、また明日」


 金子と別れて急いで駅へ向かい、ホームに駆け上がるとすでに大勢の人が列をなして電車を待っていた。

 さすがに今日の帰りは座れないな。


 あきらめて最後尾に並んでから電車が来るのを待つ。

 やがて到着した電車は、今日は各駅電車。

 いつもより少しばかり長い帰り道になりそうだ。


「……しっかし人が多いな」


 朝の通勤ラッシュより人が多い。

 しかも、仕事終わりのサラリーマンが多いせいか少し男臭い。

 隣は女性専用車両。こういう時、男性専用とか学生用とかもあればいいのになんて思いながら隣の車両を見つめていると、隣からふわっとさわやかな香りが漂ってきた。


「……え?」


 その香りのする方を見ると、なんとまた氷織先輩が隣にいた。

 同じ電車で通ってるからこういうこともあるのかもしれないが、それにしても偶然ってのは重なるものだ。

 

 今日はつり革も持たずに立ったまま。

 よく揺れる電車の中でも、眉一つ動かさずまるで彼女の周りだけが止まっているかのように、静かに立っている。

 この人、すごいバランス感覚だな。

 つり革、持たないのだろうか……って、そのつり革も空いてないのか。


「……おっと」


 ガタンと、強く揺れが起きた時に俺はつり革を握る手に力を籠める。

 それでも体は少し前のめりになるほどの揺れだったが、しかし隣にいる氷織先輩は……ん?


「……」


 涼しそうな顔に見えた先輩は、しかし一瞬眉間にしわを寄せた。

 で、よく見ると足元が震えている。

 もしかして、必死に耐えてる?


「……」


 だとすれば俺のつり革を渡そうかなと、彼女の方を見る。

 でも、声をかけようにも俺は彼女と話したこともないし、何よりずっと彼女は無表情のままだ。

 目も合わない。

 だけど、また揺れたときに彼女がもし倒れたりなんて思うと、無視はできなかった。


「あの……よかったらこのつり革、使います?」


 勇気を出して声をかけた。

 すると、表情を崩さないまま彼女はそっと俺の方を見て、すぐに目をそらしながらつぶやく。


「……いいの?」

「え、ええ。危ない、ですし」

「……君は?」

「お、俺はその辺にもたれておきますから」

「……」


 彼女はうつむいたまま、何も言わなくなった。

 で、空いたつり革がぶらぶらと頭上で揺れている。

 やっぱり、見ず知らずの人間が余計なこと、したかな。


「……おわっ」


 気まずい空気に戸惑っていると。

 がたんと電車が揺れた。

 とっさに、つり革に手が伸びた。


 その時。


「あ」


 俺は、つり革ではなく人の手を握っていた。

 もちろん、手は頭上に伸ばしたはず。

 でも、俺が握ったのはつり革を持つ、女性の手だった。


「……」


 氷織先輩が、つり革を握っていた。

 そして俺は、彼女の小さな手を包み込むように手を添えていて。

 すぐに手を離した。


「す、すみません……」


 すぐに謝った。

 不可抗力とはいえ、手を触ってしまったのだから当然だ。

 しかし彼女は何も動じる様子もなく、何かをつぶやいた。

 が、電車の音や周囲の騒音で聞き取れはせず。


「……し、失礼します」


 俺は気まずくなってその場を離れた。

 横目で俺を見る彼女の目つきが、怖かったってのもある。

 さすがに同じ高校生同士で痴漢呼ばわりされることはないだろうけど、同じ学校の先輩だからこそ、何を言われるかわかったもんじゃない。

 それこそ、先輩に彼氏とかがいたらそいつに呼ばれてタコ殴りになんてことも……。


 結局、人混みをかき分けて彼女から距離を取って窓際で電車が到着するまで揺れと戦う羽目に。


 昨日みたいな事件こそ起きなかったけど、俺にとっちゃあこれもれっきとした事件だ。

 美人な先輩の手を、握ってしまった。


 先輩の手、とてもちいさくてすべすべしてた。

 冷たかった。

 でも、柔らかかった。


 いけないことなのに、なぜか彼女の手の感触が忘れられないまま。

 俺は窓の外の景色なんて気にも留めず、自分の手をじっと見つめていた。



「……好き」


 今日の常盤君、いつもよりすっごく積極的だった。

 どうしたんだろう、もしかしてお弁当がそんなにもうれしかったのかな。

 それとも、ちゃんと私が待っていたことに対するご褒美をくれたのかな。

 つり革を譲るふりをして、私の手をさりげなく握るなんて……やっぱり彼も男の子なんだね。

 ちゃんと触りたいって、思っててくれたんだね。


 えへへ、うれしい。

 私、手を洗いたくない。

 このつり革を触ってさえいなければ、自分の手をなめて彼の味を確かめたいくらい。

 でも、よっぽど恥ずかしかったんだね。

 慌てて遠くに行っちゃうなんて、そういう弱気な性格なのに勇気を出して私にちゃんとスキンシップをとってくれた彼が、好き。

 好き、大好き。

 ちゃんと帰り道はお見送りしないとだから、見失わないようにしないと。


 窓際で彼も手を見つめながら照れてる。

 私の手、どうだった? 冷たいけど、女の子らしい手だったでしょ?

 常盤君の手は、指は細いのにごつごつしてて男の子らしかった。

 素敵。大好き。あの手で、もっといろんなところ、触ってほしい。

 あったかい場所も、あるからね。


「……やだ、ちょっと濡れてきちゃった。今日はお着換えしてから、お邪魔するね」


 

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