してほしいこと
「紫苑、迎えにきたよ」
今日は俺が紫苑の教室まで迎えに行った。
どうしてもそうしたいとラインでお願いして、了解をもらった上で。
堂々と、あの氷織紫苑を呼び捨てにする下級生の存在に教室の先輩達はどよめいていたけど。
知ったことではない。
以前俺に絡んできた先輩も俺を見ながら目を泳がせているけど、関係ない。
俺はもう、紫苑の彼氏として自信を持つと決めた。
紫苑が弱い人だと知ったから。
俺まで弱いままではいられない。
それに、もしかしたらもしかするかもしれないというのに、今更甲斐性のないことはできない。
「うん。ありがと、千代君」
「体調、大丈夫?」
「平気。帰りにスーパー行こ?」
「そうだね。じゃあ、いこっか」
俺は紫苑と一緒に学校を出る。
クラスの人たちは動揺していたけど、正門の辺りでたむろする生徒や帰り道ですれ違う人たちは特に俺たちを見ても何も反応はない。
俺たちがこうして付き合ってることも、だんだんと当たり前になっていくのかもしれない。
それに、そもそも俺たちの関係を本気で妬んでいる人なんて、そう多くないのかもしれないし。
過剰に周りを気にしすぎて、見せつけようとしたい気持ちもあったりしたけど。
そんなことは全部、自分に自信がないからなんだ。
きっと紫苑も。
自分に自信がないだけなんだと思う。
だから信じてもらえるように。
ちゃんと今日、言おう。
一生……そばにいてほしい。
「電車、もうすぐくるよ」
「うん。私、電車がホームに入ってくる時、怖いの。吸い込まれそうになるの」
「そりゃあんな大きなものがあんなスピードで目の前にくるんだからね。ちゃんと手、握ってて」
「うん。ありがと、千代君」
前は互いに遠慮がちな握り方だったけど。
もう、人前でも関係なく指を絡ませて固く彼女の手を引く。
そんなことをしたら心臓が狂うように弾んで息ができなくなるくらいだったのに。
今はむしろ、ほっとする。
落ち着くというか、ずっとこうしていなきゃなって、そんな気持ちにさえなってくる。
「電車、揺れるね」
「うん。でも、千代君が支えてくれてるから大丈夫」
「ちゃんと手、握ってて」
「うん」
揺れる電車の中で。
ずっと手を繋いだまま車窓から差し込む夕日に目を細めていると。
隣で、紫苑がつぶやく。
「赤ちゃん、来ないな」
そのつぶやきは誰に向けてでもなく、自分自身に問いかけるような言い方だった。
ただ、それがどういう意味なのか、なんとなくだがわかってしまったような、気がした。
「あ、あの。赤ちゃん来ないって、言うのは?」
「え? お腹に、赤ちゃんが来ないなって」
「……え、ええと。ということはつまり、”来た”ってことでいいんですか?」
「え、来てないよ?」
「……そうじゃなくて、ええと、あの、大きな声では言えないけど、女の子の日ってやつ、来たんですか?」
「うん。今朝、なっちゃった。だから赤ちゃんは来ないなって」
「……」
話してみて、ずっと引っかかっていた違和感みたいなものが取れた気がした。
考えてみればだが、妊娠したかもっていえば済む話をわざわざ何度も来ないっていうのも変だし、それに何が何でも早すぎないかっていう気持ちはあった。
ただ、あまりの話に動揺して冷静じゃなかったせいか、てっきり先輩が妊娠したかもしれないと、思い込んでいたようだ。
……え、ということは別に何もなかったってこと、だよな。
「千代君、また敬語になってるよ?」
「う、うん。ええと、紫苑は、子供が欲しいの?」
「うん。結婚して家庭に入りたいって、話したことあったよね?」
「あ、ああ確かに。でも、あれは早く結婚して学校辞めたいからだって」
「うん、それもあるけど。でも、千代君と早く結婚したいなって。してくれる?」
「俺と……え、俺と?」
「ダメなの?」
「……」
俺は戸惑っていた。
さっきまでの、父親になるかもしれないという覚悟や自覚なんてものが一気に抜け落ちてしまって、正直拍子抜けといった感じになってしまっていた。
でも。
「ダメ?」
俺と結婚したいなんて言ってくれる彼女の気持ちにウソがなかったこともまた、真実だ。
子供ができたから仕方なく、なんかじゃなくって。
俺といたいと本気で思ってくれてるんだ。
「……もちろんいいよ。うれしい。紫苑、俺が十八歳になったら、結婚してください」
もうすぐ赤糸浜駅に着くところで。
俺は、自分の気持ちを伝えた。
周りに人がいたけど、関係なく。
誰かに見られてるような気もしたけど、やっぱり気にならない。
気になるのは、紫苑のことだけだ。
「……うれしい」
「紫苑、もうすぐ赤糸浜に着くよ。一緒に浜辺、歩いて帰る?」
「うん。もう一回、海を見ながら言ってほしい。」
「そうだね。そのあと、コンビニでも寄って帰る?」
「コンビニ、懐かしい。千代君が私を助けてくれた場所だ」
「俺が? え、あのコンビニにいたの?」
「うん。トイレの中で、震えてた私を励ましてくれたの。覚えてるよ」
「……ああ」
今になって、あの時わからなかったことがわかった。
トイレで震えていて、俺が守ろうとした女性。
あれがまさか紫苑だったなんて。
運命、だったのかな。
それとも……ううん、今となればなんでもいいや。
「なんか、そう考えたら結構前からずっと一緒にいたんだね。うれしいよ、俺も」
「うん。ずっと千代君と一緒。あの日からずっと」
「あの日から……そうだね。あの時から紫苑は家に来るようになったもんね」
「初めて料理してあげたとき、緊張した。でも、ちゃんと食べてくれてうれしかった」
「うん。紫苑の料理はいつもおいしいよ」
「大好き」
「俺も。大好きだ」
電車の中なのにキスをしようとしてしまって。
そんなときに、空気を読んだのかはたまた読んでくれなかったのか、電車がガタガタと揺れながら停車した。
俺たちの家がある、赤糸浜に着いた。
多分この場所にいる限り……いや、紫苑といる限りいつも、彼女との出会いを思い出す。
初めて紫苑を助けたというあのコンビニでの出来事も。
そのあと、母さんが家に連れてきてくれて料理をふるまってくれたことも。
懐かしいな。
でも、ずっと大切な二人の思い出なんだ。
「降りよっか」
「うん。千代君、帰ったらさっそく段取りしないとね」
「え、それは気が早い気が……ううん、でもそういうのも、楽しいか。そうだ、母さんにも話さないと」
「何を?」
「え、いや……まあ、いっか」
婚約しましたなんて、いきなり電話で言われてもだろうし。
それはまた今度、かな。
とりあえず赤糸浜へ向かおう。
今日はとても風が気持ちいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます