夕飯の支度

「嘘?」


 俺は目を丸くしながら聞き返した。


「千佳が常盤君のこと、ちょっといいなって思ってるからって弄んだりしないで」

「ま、待ってよなんのこと? 俺、別に宮間さんに嘘なんかついてないし弄ぶって一体……」

「……急にごめんね。でも、その様子だと常盤君も悪意があったわけじゃないんだね。なら、これ以上はいいかな」

「いやいや、なんか誤解してない? 俺、ほんとに宮間さんとは普通に楽しく話してただけのつもりで」

「うん、だったらいいの。でも、もう千佳には連絡とかしないであげてね」

「……」


 聞きたいことはたくさんあった。

 何も悪いことをしていないのに、なんでそこまで言われないといけないのか。

 そもそも嘘ってなんのことなのか。

 どうして宮間さんは俺のことをいいと思ってくれてるのに避けるのか、そして友人の高屋さんまで俺を遠ざけようとするのか。


 あれこれ言いたかったけど、高屋さんの真剣な表情と金子の気まずそうな顔を見ていたらこれ以上何か言って揉めたいとは思えなかった。


「……わかった、何かわからないけどごめん。宮間さんにも、謝っておいてくれるかな?」

「うん、わかった」

「あ、あのさ高屋さん」

「? どうしたの?」

「ええと……」


 俺は、こんな時でも自分のことより友達の心配をしてしまっていた。

 せっかくいい感じの二人なのに、俺がきっかけでうまくいかないなんてことは、金子に申し訳なさすぎる。


「金子はさ、いいやつだから。俺に思うことがあっても、金子は悪いやつじゃないからさ」

「千代……」

「常盤君……うん、わかってる。それに、私も常盤君が悪い人じゃないって金子君から聞いてる。でも、親友が傷つくのは嫌だったからさ。それだけなの。お茶、ご馳走さま」


 高屋さんが立ち上がると、金子も一緒に席を立つ。

 そして玄関へ向かう二人を見送る。

 高屋さんは入る時と同じように頭をさげて、金子は何か言いたそうにしながら出ていった。


 俺は、静かな玄関先で一人立ち尽くしていた。

 昨日感じた充実感はもうどこにもなく。

 代わりに、心にぽっかり穴が空いたような虚無感にかられながら。


 何もする気が起こらなくて、やがて部屋に戻った。



「あら、紫苑ちゃん?」

「おばさま、こんばんは。お仕事の帰りですか?」

「そーなのよー。あ、もしかして千代に用事? だったら一緒に帰りましょ」

「いいんですか?」

「もちろんよ。いつもご飯の支度までしてくれてありがとね。ほんと、こんないい子をどうしてあの子は紹介してくれないのかしらねえ」

「とき……千代君は恥ずかしがり屋さんなんですよ。でも、今日なんかぬいぐるみを彼がプレゼントしてくれたんです。私、とても愛されてます」

「へえー、いいわね。それじゃ今日は一緒にご飯作りましょっか」

「はい、楽しみです。でも、くれぐれもおばさまから、私たちのことを聞いたりするのはやめてあげてください。彼、シャイだからそういうの嫌がるの」

「ええ、わかってるわ。あの子、そういうとこあるものね。それに紫苑ちゃんみたいないい子に逃げられたら私だって辛いもの」

「おばさま……」

「でも、あの子が隠れて付き合ってる彼女さんと私が実は仲良くなってたなんて知ったら驚くかしらね。ふふっ、ほんと自分の話をしない子だから、たまにはこういうのもいいわね。紫苑ちゃんも、私のことは気にせずに二人でよろしくやってね」

「うん、ありがとうございます」


 身支度を整えてから彼の家に向かう途中、常盤君のお母さんにばったり遭遇した。


 この前おうちにお邪魔してた時に先に帰ってきたおばさまに挨拶すると、すぐに私のことを気に入ってもらえて。

 それから、連絡をする仲になった。

 息子のことをよろしくだなんて、言ってくれるの。

 親公認なんて、許嫁みたい。

 お互い大学生になったら同棲する許可ももらったし、なんか順風満帆。


 でも、お義母さんと一緒に帰ったら常盤君もびっくりするかなあ。

 ふふっ、びっくりさせちゃお。


「ただいまー。千代、いないのー?」


 おうちに着くと、彼の靴は玄関に脱いであったのに返事はない。


「ごめんねあの子、部屋で寝てるかも。起こしに行く?」

「いえ、疲れてるのかもしれないのでゆっくりさせてあげてください。私、全然気にしないので」

「もう、ほんといい子ね。千代にはもったいないわよ」

「そんな。私こそ、彼にしてもらってばかりなので」

「こちらこそ、これからもよろしくね。じゃ、早速料理しましょっか」

「はい」


 お義母さんとキッチンへ。

 今日はハンバーグを作りたいと伝えてから、私が主導になって玉ねぎを刻んだり挽肉をこねたり。

 その間にお義母さんはサラダを盛り付けて。


 ハンバーグの型を整えてから、温めたフライパンに乗せる。


 ジューっといい音がして、部屋中に肉の焼ける匂いが充満していく。


 すると、上の階から足音が聞こえる。


 常盤君、起きたのかな?



「……いい匂いがする。母さん、帰ってきたのかな?」


 部屋で一人不貞腐れていると、外から肉の焼ける匂いがして腹が鳴る。

 そういや、晩飯まだだったっけ。

 なんも作る気になれなかったけど、母さんが帰ってきてるなら便乗しよう。

 それに、聞きたいこともあるし。

 最近やけに家のことをしてくれるけど、はたして会社でいいことがあったのか、それとも逆に悪いことがあってそれを誤魔化そうとしてるのか。

 別に俺が心配することではないのかもしれないし、ただの気まぐれなのかもしれないけど。

 ま、気まぐれならそれはそれで、ありがとうの一言くらい言えばいいか。


「母さん、今日も晩飯なんてどうしたんだ……よ?」


 母さんに話しかけながらキッチンの扉をあけると。

 そこには母さんと、もう一人女性の後ろ姿が。

 黒いTシャツにジーンズの、スラッとした女性だ。

 母さんの連れか?

 いや……その後ろ姿、見覚えがあるぞ?


「あら、千代。さっきそこで紫苑ちゃんとばったり会ったのよ」

「し、おん?」

「私と紫苑ちゃんが仲良しだなんてびっくりしたでしょ」

「……あ」


 母さんが紫苑と呼ぶ隣の女性がこっちを振り向くと、その顔には見覚えがあった。

 というより、知っていた。


「氷織、先輩……」

「千代、今日は紫苑ちゃんがハンバーグ作ってくれてるからね。ありがたくいただきなさいよ」

「え、ええと……ど、どうして母さんが先輩と知り合い、なの?」

「あら、そんなの私の勝手でしょ。ね、紫苑ちゃん」


 やけに親しげに先輩のことを名前で呼ぶ母さんに対して、先輩は少しだけ目尻を下げながら軽く頷く。


 先輩の笑った顔、初めて見た……。


「というわけだから、あんたはご飯できるまで部屋にいなさい」

「で、でも」

「紫苑ちゃんが来てくれて舞い上がるのはいいけど、料理の邪魔しちゃ悪いでしょ」

「……わかった」


 母さんに言われるまま、俺はキッチンを出て部屋に戻る。


 まさか、母さんと氷織先輩が知り合いだったなんて。

 でも、どういう繋がりだ?

 先輩の親と仕事関係の知り合いだとか?

 それとも以前通っていた料理教室とやらで面識があったとか?


 なんにせよ、世間は狭い。

 それに、


「今日は先輩の手料理、食べれるんだ」


 そう思うと、胸が疼いた。

 あの氷織先輩の料理を食べられる日が来るなんて思ってもみなくて。


 部屋に戻ってからも、昂りはおさまらず。

 ずっとそわそわした気持ちを、ベッドに腰掛けて深呼吸しながら落ち着けていた。



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