プロローグ2 電車の中で見たもの


 赤糸浜の駅は今日も多くの人でにぎわっている。

 ドラマの影響とかで、最近は特に人が増えた。


 私は、それがひどく煩わしい。

 ホームではしゃぐあの人も、スマホ片手に自撮りしてるカップルだって、みんな自分のことしか見えてない。

 これだけ人がいるのに、どうして誰も私のことを助けてくれないんだろう。

 

 私は最近ずっと、ストーカーに悩まされている。

 高校生になって電車通学を始めてしばらくしたころからずっと。

 いやらしい視線を感じることが多くなったし、何度か電車の中でシャッター音を聞いたこともある。


 盗撮とかも、されているのかもしれない。

 でも、誰もかれも知らん顔だ。

 

 警察に相談しても、証拠がないからわからないとだけ。

 駅員に相談しても、不審者がいれば対応するとだけ。

 

 結局みんな、この街の空気に酔っている。

 自分たちの地元が賑わうことが嬉しくて、少々誰が困っていてもそんなことには目をつぶるんだ。


 綺麗だった浜辺はすっかりゴミだらけだし。

 治安がよかったこの駅周辺も、最近は変な人が増えた。

 私がストーカー被害に遭ってるのだって、人が増えたせいもあると思う。


 ほんと、いいことなんてない。

 元々人が苦手な私にとって、今の赤糸浜ブームは迷惑でしかない。


 憂鬱な気分で、今日も電車に乗る。

 誰とも目が合わないように壁際に立ち、誰かにのぞき見されないようにスカートの裾を気にしながらじっと揺れを耐える。


 今日もこの中に私を見つめている変態がいるのかもしれない。

 そう思うと、胸が苦しい。

 誰が敵で、誰がそうじゃないのか。

 考えているうちに私は、人と接するのが一層怖くなった。

 

 学校でも、あまり友人と話す機会がなくなった。

 人間不信ってやつなんだろうけど。

 結局、誰も味方なんていないんだ。


 寄ってくる男子はみんな下心しかない。

 胸や足をじろじろ見つめる視線が気持ち悪い。

 良い人ぶって近づいてきても、私が誰にも興味ないことがわかるとすぐに離れていく。

 結局、やりたい目的だけなんだ。


 寄ってくる女子はみんな打算的でしかない。

 私のことを自分のことのように自慢する態度が気持ち悪い。

 『美人だから』『男子に人気だから』『あなたといるとイケメンが寄ってくるから』。

 だから、お友達でいたい。

 そんな心の声が透けて聞こえてくる。

 自意識過剰でも被害妄想でもない。

 実際、男にモテるだろうとか誰か紹介してとかそんなことしか言われないし。

 そんな人いないと答えると、みんなしらけて離れていくし。

 楽しく私とおしゃべりしたいなんて、そんな人は誰もいない。

 私に利用価値があるかないかだけ見てる。


 ほんと、世の中クズばかりだ。

 死んじゃえばいいんだ。


 みんな、死んじゃえ。

 

 私なんか……死んじゃえ。


「あっ」


 ぼーっと立ち尽くしたまま、いつものように死にたい気分になっていると男性二人が目の前に倒れてきた。


 同じ高校の制服を着た――ぴかぴかの制服を見るに多分うちの学校の新入生であろう男子と、薄汚い中年男性。


 さっきの揺れで転んだんだろう。

 朝から何をしてるんだか。


「……え」


 なんて呆れていると、男性の鞄からバラバラとこぼれてきた写真が何枚か私の足元にも散らばった。


 そして、その中身を見て言葉を失った。


 スカートの中の盗撮写真ばかり。

 そして、


「……私だ、これ」


 そこに映る足が誰のものか、すぐにわかった。

 靴下とか、足の形とかでそれが自分のものだと。


 やっぱり盗撮されてたんだって、そう知って絶望が大波のように押し寄せてくる感覚に陥った時、私の足元をはいずりまわるように写真をかき集める男性が立ち上がった。


「こ、こうなったらもうやけくそだ!」


 そう言って、私に手を伸ばしてくる男の醜悪な顔を見て思わず私は、


「きゃーっ!」


 叫んだ。

 思えば、こんなふうに誰かに助けを求めて声を上げたのは初めてかもしれない。

 手で体を庇いながら迫ってくる男を拒絶するように悲鳴をあげたと同時に、私の見る景色はスローモーションになっていく。


 みんな、私を見てる。

 男を見てる。

 

 見てる。


 見てるだけ。


 誰も、私を助けようとはしてくれない。


 きっと、声を出したその時に私はまだ期待をしていたんだと思う。

 誰か一人くらい、私のことを助けてくれる人がいるんじゃないかって。

 でも、現実は違ったようだ。

 きっとこの後、公衆の面前で知らない男に乱暴される。

 多分この人は捕まるとは思うし、周りの人は警察か誰かが犯人を捕まえてくれたらそれでいいんだろうけど。


 私は、自分がされたことをずっと抱えながら生きていくんだ。

 なんて、そんなことを不思議と冷静に考えながらも、何も抵抗する術がなく身構えた。


 その時だった。


「うわっ」


 また、さっき倒れてきた男子生徒が男に向かって倒れこんできた。

 肩から体当たりするような形で私に迫る男が押し倒され、そして床に頭を打ち付けて気絶した。


 男子生徒の方は、少し膝や腰を打ったのか痛そうに立ち上がる。


「……」


 ……って、そんなことは私にとってはどうでもよかった。

 今、目の前で私を危機から救ってくれた人が、そこにいる。

 その事実に、胸がときめいた。

 体中の血液が急激に流れ出すような感覚と同時に、ゆっくり感じていた時の流れが進みだす。


「下がってください、変質者が車内にいると通報が入ってます」


 電車がホームで止まると、流れるように降りていく乗客の群れをかき分けながら、駅員が二人ほど車内に入ってくる。


 そして私を襲おうとした男は取り押さえられる。

 駅のホームはパニック状態。

 私も、気が付けば車両から降りていて。

 その場にいた警察の人に声をかけられて駅の外まで連れ出されていた。



「……それでは何もなかったということでいいのですね?」

「はい、触られたりはしていませんので」


 その場で警察に事情を聴かれた私は、もっと被害者ぶればよかったのだろうけどさっさと学校に行きたかったので何もされていないとだけ伝えて解放してもらった。


 もしかしたらこの後押収されるだろう盗撮写真の被写体が私だとわかって、後程連絡がくるかもしれないがそれはその時。


 まず、私は学校へいかなければという気持ちだけで焦っていた。


 さっき私を助けてくれた彼の正体をつきとめるために早く学校に行かなければ。


 おそらく彼は新入生だと思うから、入学式の最中だろう。


 体育館から出てくる時が、そのチャンス。

 彼が誰なのか、早く知りたい。

 人生で初めて、勇敢に私を助けてくれたあの人のことを。

 助けてくれたのに何も言わず姿を消すような紳士的なあの人のことを。

 多分、一度目に倒れてきた時だって変質者の不審な行動を見かねて、わざとぶつかったに違いない。

 

 なんてさりげなく、それでいて勇敢なのだろう。

 私は、彼の顔を思い出すだけで胸が苦しくなって体中が熱くなる。


 この気持ちの正体は。

 一体なんなのだろう。


 それも確かめたくて。


 私は駆け足で学校へ向かった。



「……もう、そろそろかな」


 もう、始業式は終わって授業が始まっていた。

 新学期早々の遅刻だ。

 でも、事情を説明して先生に遅刻を免除してもらうとか、どうでもいい話だ。


 もう、彼の姿を探すことで夢中だ。


 ちょうど体育館の出入り口が見える中庭についたところで、ぞろぞろと新入生が出てきた。


 少し離れたこの場所から目を凝らす。

 なぜか私の方を新入生たちが見てくるが、そんな視線なんかどうでもいい。


 彼はどこ?

 どうして今、こんなにドキドキするの?


「……あ」


 胸の高鳴りと体の火照りでくらくらする気分を落ち着かせようと深呼吸していると、私の目に、探しているものが映りこんだ。


「やっぱり、新入生だったんだ」


 私を電車で助けてくれた彼がいた。

 誰とも話をしてる様子もなく、人の流れに押されるように前に進む彼もまた、私の方を見ていた。


 そして、また後ろからぞろぞろと新入生が出てきて、彼は押される格好でバランスを崩して私から目を逸らした。


 じろじろ見てくる他の男子生徒と違って、彼だけは私のことをいやらしい目で見ていない。

 さっき助けてくれたのに、何一つ恩を着せる素振りもない。


 素敵……。

 こんなに腐った世の中に、あんなに乱れたこの街に、ほんとくだらない人間しかいないこの学校に。

 

 あんな素敵な人がいたなんて。

 

 どうしよう、体が熱い。

 汗が、体の毛穴中から吹き出るような感覚。

 何かが、あふれ出してきそう。


 もう、この気持ちの正体に気づいちゃった。

 きっと、これは運命なんだ。


 今までの私の不幸も、不遇も、全部このためにあったんだ。


 そう、だよね。


「……好き。大好き」


 すぐに会いにいくから。


 待っててね。

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