君をずっと見ていたい


 これから一年間を過ごす俺たちの教室は校舎一階の奥。

 少し日当たりの悪い場所で、外の陽気とは裏腹に少し冷たい空気が吹き込んできて、教室の一番奥の後ろ隅に席を割り振られた俺の眠気を覚ます。


「えー、このクラスの担任になりました毛利です。みんな、一年間よろしく」


 すぐに先生がやってきた。

 若い女性教諭。

 なんでも新卒二年目だそうで、大人びた美人って感じの先生だ。

 長い髪を鬱陶しそうにかき分けながら話す姿は色っぽく、若い担任に当たったことを喜ぶ男子生徒たちもちらほら。


 ただ、雑談をする連中には「こら、静かに」とぴしゃり。

 そのあと、すぐに学校の教材の説明や今後の授業の割り振りなんかの説明が始まる。


 プリントを配布され、それに沿ってこれからのことについて先生が説明を開始する。

 ただ、高校生にもなって今更学校とはなんぞや的な話は退屈だった。

 それに、俺は部活動に入る予定もないし、さっさと終わって解散にしてくれないかなあと頬杖ついて窓の外を見る。


 すると、


「……ん?」


 ちょうど教室の窓の外から見える向かいの校舎の窓のところに人が立っているのが見えた。


 あれはたしか……さっき中庭で見かけた女の人?

 今って上級生は休み時間なのかな?

 それに、こっちを見てる?


 遠目だからよくわからないけど、目が合った気がした。

 と、その時彼女はそっと窓際から離れて、どこかへ歩いていった。


 気のせい、か。


「……でも、綺麗な人だな」


 誰にも聞こえない程度の小声でぽそっと。

 そしてさっきの彼女のことを思い浮かべながらぼーっとしていると、気が付けば先生の説明は終わっていて。


 新入生はこれでお開きとなった。



「おい、お前こっちの人間じゃないよな」


 午前中に解散となったあと、教室に居残って駄弁ったり部活動の入部申し込みに向かったりと、まばらに散っていく。


 俺はゆっくり荷物をまとめてから席を立ちあがると、隣の席の男子に声をかけられた。


「ん、そうだけどなんかあった?」

「いや、珍しいなって。電車通学だろお前? 最寄りどこ?」

「ああ、赤糸浜だよ」

「へー、いいじゃん都会じゃん。なあ、俺も一回行ってみたかったんだけど案内してくれよ」

「まあ、いいけど。ていうか名前は?」

「あ、わりい。俺は金子大樹かねこたいき、お前は?」

「俺は常盤千代ときわせんだい。変わった名前だろ」

「いいじゃん、かっこいいって。じゃあ千代、行こうぜ」

「ああ」


 声をかけてきた金子は背が高く短髪のさわやか系イケメンだ。

 いかにもリア充で彼女いそうな雰囲気のやつに声をかけられてちょっと警戒したけど、話してみると気さくでいいやつ。


 聞けばバスケ部に入る予定だとか。 

 そして、中学の時に仲のよかった連中はみんな違うクラスになってしまったから俺に声をかけてくれたらしい。


「でも、この学校っていちいち上履きに履き替えないといけないのがめんどくさいよな。ほら、バスケ部だったらシューズとか持ってくるから荷物増えるんだよ」

「まあ、土足ありにしてほしいけど汚れるからな」

「お、ていうか千代の靴箱そこ? 隣じゃん」

「ほんとだ。はは、気が合うな……って、なにこれ?」


 靴箱がたまたま隣同士ってくらいではしゃぎながら靴箱の蓋を開けると。


 何かが入っていた。


 ……封筒?


「これ、中に手紙……入ってるやつ?」

「おいおい、さっそくラブレターか? 千代、お前モテるんだな」

「いや、勝手にラブレター認定するなよ。でも、開けた方がいい、よな?」

「そりゃそうだろ。おいおい、ワクワクするな」

「はしゃぐなよ。ええと……ん、何か書いてる」


 封筒を開けて中の紙を取り出すとそこには達筆な文字で一言。


『体育館裏に来て』


 そう書かれていた。


「おいおい、やっぱラブレターじゃんこれ。絶対女子の字だって。それに呼び出しって、告白されんじゃね?」

「お、おちつけよ金子。ていうか名前も待ち合わせ時間も書いてないからわかんなくねえか?」

「ん、確かに。でも、大概こういうのって放課後じゃね? 今から行ってみたら案外いるかもよー、可愛い女子がポツンと一人でお前を待って」

「そんなうまい話があるかよ。でもまあ、もし本当に誰か待ってたら困るから一応覗いてはみるけど」

「とか言いながら期待してるだろお前」

「し、してないって。まあ、もし本当に送り主が女の子なら、こういう控え目なことをしてくれる子っていいなとは思うけどさ」

「じゃあ行こうぜ。でも、いなくてもショック受けんなよー」

「はいはい、期待せずに向かうよ」


 常盤千代っていう目立つ名前のせいで、中学までもそれなりに友人はいたがモテた記憶はない。

 ただの良い人止まりってのが俺だ。

 見た目も、まあ普通だし。

 髪型とかも気を遣ったことないからぼさぼさで前髪もだらしなく伸びてるし。

 身長も、まあさほど高くもないし、ガタイもよくない。

 運動もあんまりできるタイプじゃないし頭もそこそこ止まり。

 ほんと、取り柄がないってやつだ。


 だからこそ、高校入学初日に訪れた不測の事態に胸が高鳴るのは当然である。

 もしかしたら数分後に運命の出会いが待っているんじゃないかって、そんな期待を隠し切れないまま俺と金子は体育館裏へ向かった。



「……来てくれるかな」


 日当たりの悪い体育館裏で一人、彼を待つ。

 窓際で佇む彼の姿を見つけた後、教室の近くまで行って、彼が一年一組の男子だと知った。

 外の扉に貼られたままになっていた席割りを見て、彼が常盤君って名前なのを知った。

 そして彼の靴箱に、こっそり手紙を入れた。

 直接声をかける勇気なんて、私にはない。

 でも、もしここに来てくれたらその時は……。


「あ、来たかな……だ、誰か一緒にいる?」


 足音と人の気配に、胸を躍らせながら立ち上がったのだけど。

 どうやら複数の男子がこっちにやってきてるみたい。


 私は、気まずくて階段の陰に身を隠す。


「あれー、いないじゃん。やっぱ悪戯だったんじゃね?」

「……いないな、誰も」

「おいおい千代、ショック受けるなって」

「ち、違うって。でも、それじゃこの手紙は誰が何のために?」

「だから悪戯だろ」

「うーん、こんなきれいな字を書く人がそんなことするかなあ。俺は、何かの手違いでその人がこれなくなっただけかなって思うけど」

「それこそいいように考えすぎじゃね?」

「い、いいだろ別に。それに、字が綺麗な人って心も綺麗な感じがしてさ、結構気になるんだよ」

「ふーん、会ってもない女に惚れたか。単純だな千代って」

「うっせえ。でも、一緒に待たせるのも悪いしとりあえず駅行こうぜ」

「だな。お前の傷心会だ」

「別に落ち込んでなんかねえよ」


 そんな会話をする二人を、私は階段の陰からじっと見つめながらずっと体中が熱くなっていた。

 

 常盤君が、そこにいたから。

 私の手紙を見て、ちゃんと来てくれたんだ。

 でも、ドキドキしすぎて姿を見せられない。

 それに、きっと彼の前に出たら私、目も見れない。


 ……こうして陰から見守るだけなら、ずっと彼を見ていられる。

 幸せ。

 ずっと、見ていたい。


「……あ」


 このままずっと彼の姿を堪能したかったのだけど、彼は一緒にいた男子を連れて去っていく。

 声をかけなきゃって思っても、足が動かない。

 体中が熱くて、何も考えられなくなる。


 それに、


「字、綺麗って言ってくれた。字が綺麗な人、好きって……私のこと、好き?」


 さっきの常盤君の言葉を思い出すと、もう一段階体が燃え上がるように熱くなる。


 汗が、首筋から滴る。

 体が、濡れていく。


「……好き。私も、好き。両思い、だ」


 遠くなっていく彼の背中をじっと見つめながら私は。


 ごくりと、唾をのんだ。

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