私のおうち


「……」


 正直買い物どころではなかった。

 というのも、スーパーに入ってすぐに先輩に手を握られたからだ。

 少し冷たく、小さな先輩の手が俺の手の中にある。

 ずっと意識が手に向いていて、どこを歩いて何を買ったのかもほとんど覚えていない。


 そして買い物を終えてスーパーを出たところでも、まだ俺と先輩は手をつないだままだ。


「……あの」

「何? 重い?」

「い、いえ。重くはないんですけど」

「じゃあ、このままでいい?」

「は、はい」


 スーパーの中は確かに人が多かった。

 人混みが苦手だという先輩は少し気分が悪そうだったし、たぶんそんなこともあって俺の手なんかを握ってきたのだろうけど。

 今はもう、道端には俺たち以外誰もいない。

 離すタイミングがないまま出てきちゃったけど、先輩もこのままでいいのかなあと心配になる。

 我に返ってから、先輩に怒られないだろうか。


「あの、先輩って人が多いところ苦手なんですね」

「うん。私、あまり他人が得意じゃないの」

「はは、そんなの得意な人なんていませんよ。俺も苦手です」

「そっか。ねえ、重くない?」

「大丈夫ですよ。全然きになりません」


 さっきから先輩は俺の手を握ったまま、荷物の心配ばかりしてくれる。

 片手で持つのは、実はちょっと重たいのだけどそんなことを言ったらせっかく繋いでくれた手を離されてしまいそうなので少し強がった。


 先輩の恐怖心に付け込んだような結果で罪悪感もあったけど、こうして先輩と手をつなぐことができているなんてほんと夢のようだ。

 できたらこのままずっと……って、そんなに都合のいい話はないだろうけど。

 でも、今くらいはこの幸せに浸らせてくれ。

 先輩の手、冷たくて気持ちいいなあ。



 重くないんだ。

 私、重くないんだ。

 人が大勢いるところで手をつないだり、しつこく手を離さない私みたいな女でも、重くないんだ。


 常盤君、よっぽど私のことが好きなんだ。

 うん、私もだよ。だから常盤君に何されても嫌じゃない。

 束縛されてもむしろうれしいくらい。

 だから常盤君も、実は束縛してほしい人なんだよね?

 私たちって似てるから。

 私がうれしいことはきっと、常盤君もうれしいはずだよね。


 えへへ、なんだか自信わいちゃった。

 常盤君が私を肯定してくれるから、私もこれでいいんだって思えるようになってきた。


 帰ってもずっと離さないでね?

 私、ずっと離したくない。

 一緒にお部屋行ってもいい?

 図々しいからそういうことは控えようって思ってたけど、常盤君も私のこと大好きだから、きっと許してくれるよね?

 喜んでくれるよね?


「先輩、もうすぐ家、つきますけど」

「うん」

「あ、あの……一度帰らなくてもいいんですか?」

「どこに?」

「ど、どこって、先輩の家、ですよ」

「私の家……?」

「い、いえ別に帰れと言ってるわけじゃないんですけど」

「私の家……あ、そっか。うん、大丈夫」

「そうですか。じゃあ、うちに向かいますね」

「うん」


 私の家と言われて、すぐにピンとこなかった。

 今、一緒に家に帰ってるはずなのにおかしなことを言うなあって思っちゃったけど。

 そういえば私の家って、あっちにあったんだった。

 あはは、すっかりお引越しした気分だったから忘れてた。

 でもまあ、確かに一度は帰らないと。


 パンダさん、連れてこないと。

 上着も、返さないと。

 コップも、持ってこないとだし。

 お着換えも全部、移動させちゃおっと。


「ただいま」


 常盤君は家に着くとすぐに玄関のカギを取ろうとして、私の手を握る力を弱めた。

 だから私は、「鍵出すから」と言って合鍵で玄関を開けた。


 そして手をつないだまま帰宅。

 シンと静まり返った玄関先で、両手をふさがれたまま不自由そうに靴を脱ぐ常盤君がかわいい。

 キッチンのテーブルに食材を置いてから、一緒にリビングに向かう時もまだ、手はつながれたまま。

 このまま手と手がくっついちゃうんじゃないかなって錯覚すらおきてくる。

 そして、私自身それを望んでいる。


 でも、常盤君は唐突に私の手をほどいた。


「あ」

「す、すみません暑かったですよね。俺、ちょっとトイレ行きたくて」

「ううん、こっちこそごめんなさい。やっぱり迷惑だった?」

「そ、そんなわけありませんって。お、俺の手なんかでよければいつでも……い、いえ、とりあえずトイレ行ってきます」


 恥ずかしさの限界、といった様子で常盤君はトイレに逃げ込んでいってしまった。

 私は、まだ彼のぬくもりが残った自分の手のひらを見ながら寂しくなる。


 寂しさで、無意識のうちに足が進む。


 気が付けば、トイレの前に立っていた。


「……常盤君のトイレなら、全然ついていっても構わないのに」


 君のためなら排泄物でも吐物でも、なにも気にならないのに。

 でも、好きな子に見られちゃうのはさすがに恥ずかしいのかな。

 ふふっ、やっぱりうぶなんだね。好き。

 それに、


「常盤君の手なら、いつでも好きにしていいんだ。うん、それじゃ今晩はさっそく、使わせてもらおうかな」


 ちょっとトイレが長いなあ。

 お腹痛かったのかなあ。

 早く出てきてほしいなあ。


 寂しいから待てないよ?

 早く出てきて、常盤君。


「ねえ、早く」

 

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