かけてほしい
♤
「え、ええ。でも、今日は風が強いですね」
海が見えてきたと、呟きながら髪をかきあげる先輩を気遣うと、先輩はチラッと俺の方を見る。
「寒い?」
「い、いえ俺は大丈夫ですけど。先輩こそ、大丈夫ですか?」
「少し寒いかな」
先輩は全然寒そうな様子は見せないが、そう言って両手を顔の前に置いてフーッと息を吹きかけた。
今日は風は強いけど、日差しも暖かくてむしろ風がある方が気持ちいいくらいなんだけど。
先輩は寒がりなのかな。
「あの、寒いなら海側は避けますか?」
「ううん、大丈夫。海、好きだから」
「そ、そうですか」
先輩はまだ寒そうにしながらも、淡々と海の方へ歩いていく。
そして、海沿いの道を少し進んだ先にあるホームセンターの看板が見えてきたところで、なぜか先輩は浜辺の入り口に足を向ける。
「先輩、ホームセンターはあっちですよ?」
「うん。でも、海を見たいから」
「そ、そうですか」
また、ブルッと身震いをさせながら先輩は自身の息で指先をあたためる。
そんなに寒いのなら海なんて行かなきゃいいのにと思いながらも、先輩についていく。
だんだんと、赤糸浜を目指す観光客の姿が増えてくる。
そんな人たちについていくように黙々と歩く先輩の背中を追いかけていくと。
そのまま、浜辺に出た。
「わー、やっぱり人が多いですね」
まだ春シーズンなので海の家や出店もないただの浜辺なのに多くの観光客がぞろぞろと歩きながらはしゃいでいた。
記念撮影するカップルや、幸せそうに海を見つめる子供連れの家族も。
やっぱりみんな、ここにくる時には自分の大切な人を連れてくるんだな。
「海、綺麗だね」
先輩は潮風に髪を揺らしながらポツリ。
「そうですね。でも、人が多いですしやっぱり海側に出ると風が強いですね」
「うん、寒いね」
「……」
寒い寒いと言う割には、先輩は全く風を避けようとしない。
そしてなぜかこっちをチラチラと見ては、指に息を吹きかける。
何か言いたそうだけど……でも、何を言いたいんだ?
「……」
俺は自分の着ている上着をチラッと見た。
海の方へ行くならもしかしたら寒くなるかもと、部屋を出る前に上着を羽織ってきたんだけど、もしかして俺だけが暖かそうな格好をしているから怒っているのか?
……上着、渡そうかな。
こういう、男前なやつしか様にならない気の利かせ方は好きじゃないんだけど。
「あの、上着よかったら、着ます?」
俺は自分の上着を脱いで先輩に差し出す。
すると、先輩は小さく頷いた。
が、そのまま海を見つめたまま上着を受け取ろうとはしない。
「あ、あの……上着」
「かけて」
「え、は、はい。それじゃ……どうぞ」
そっと、俺の上着を先輩の背中にかける。
袖も通さずに先輩はそれをぎゅっと手で支えて、「うん、あったかい」と。
そんな健気な姿に、俺はまた心臓を震わせる。
一枚はだけて冷えるはずなのに、なぜか体が熱くなる。
「……もう、寒くないですか?」
「うん。これ、借りてていい?」
「は、はい。大丈夫ですよ」
「うん。じゃあ買い物、いこっか」
先輩はそのまま浜辺へ足を踏み入れる。
そして砂浜に足を取られながらよろよろと歩く先輩に俺はついて行く。
その時ふと、赤糸浜のジンクスが頭をよぎる。
一緒にここを歩いた男女は結ばれる。
先輩だって、この話を聞いたことくらいはあるだろう。
でも、先輩みたいな大人な女性はきっと、こんな迷信を真に受けたりしないのだろう。
こうして俺と一緒に浜辺を歩いたからといって、だからなんだって感じなんだろうなあ。
……俺だけが舞い上がってるな。
変な気を起こさないように、気を付けよう。
「おい、見たかあの子?」
やがて追いついて横に並ぶと、すれ違ったカップルの話し声が聞こえた。
「え、どの子?」
「ほら、そこの黒髪の子。めっちゃ美人だったぞ」
「ちょっと、何他の女の子見てんのよ」
「いや、だってあんまりにも可愛かったからさ」
「さいってー。それにほら、隣に男いるじゃん」
「えー、あれ男か? どう見ても違うだろ」
「じゃあ弟かなにか? 姉弟でこんなとこ来ないでしょ」
「たしかに。それじゃ男が無理矢理誘ったんかな」
「かもね。ほら、行くわよ」
そんな会話が嫌でも耳に入ってきたが、俺はむしろ納得していた。
やっぱり世間の人から見れば俺と先輩はどう見ても彼氏彼女になんて見えないんだ。
学校の連中はなんでもすぐに恋愛に結びつけたがるから俺たちのことを噂したりしてたけど。
本音ではみんなも、俺が氷織先輩と付き合うなんてありえないってわかっててからかってるんだろう。
ほんと、俺も変な勘違いだけはしないようにしないと、だな。
「先輩、そこから道路に出れますよ」
「……」
「せん、ぱい?」
「うん、聞こえてる。ねえ、ここに来るの初めてだったからちょっと海に見蕩れてた」
「そ、そうなんですね」
「ここ、来たことあるの?」
「俺ですか? まあ、小さい頃は海水浴とかで家族とよく来ましたけど」
「それ以外は?」
「え? い、いや、最近は観光客も多くなったから特には……あ、そういえば金子と一回一緒には来ましたけど」
「金子……男の子?」
「は、はい。今朝会ったやつですよ」
「そっか。うん、買い物、行こ」
「は、はい」
何かに納得した様子の先輩は、止まりかけていた足をまた前に進め始める。
先輩は時々、俺のプライベートについて聞いてくるけど、たぶんそれも母さんに何か言われてるからなんだろう。
俺があまり学校でのこととか交友関係とか、そういう話をしないから、先輩に詮索するようにでも話してるに違いない。
先輩に限って俺のプライベートにやきもちを妬いたりなんてことはないだろうし。
でも、先輩の方こそ彼氏とか、いないのかな。
それくらいなら聞いてみてもいいのかな。
……いや、まだそんな仲じゃないだろ。
こうして一緒に海を歩いてくれただけでも役得くらいに思っておこう。
「……」
浜辺を抜けて再び道路沿いに出る。
先輩はずっと、俺の貸した上着を持ったまま黙っている。
ほんとにクールな人だ。
話すときも、海を見つめるときも、ずっと表情を崩さない。
先輩って、こういう時何を考えてるんだろう。
俺のこと、どういう風に思ってるんだろう。
やっぱり、知人の息子ってくらいにしか、見えてないのだろうか。
その大きな目には、俺はどう映ってるんだろう。
先輩はどうして、そんなに甘い香りがするんだろう。
まだ、彼女のことを俺は何も知らない。
こんなに近くにいるのに、何もわからない。
先輩の心の中が、ちょっとでも見えたらいいのにな。
♥
常盤君の上着、いい匂いがする。
好き、全部好き。大好き。大大大好き。
私が寒いって言ったら上着貸してくれる優しい君が好き。
私のわがままに付き合って一緒に海に来てくれる君が好き。
全部私と初めてを迎えてくれる君が、好き。
一緒に、浜辺歩いちゃったね。
もう、赤い糸はしっかり私とつながってるね。
ああ、その赤い糸で常盤君に締め付けられたい。
縛られたい。
縛りたい。
絡まりたい。
上着に残る彼の体温と彼の匂いが、私をどんどんダメにしていく。
もう、これ以上好きになることなんてないって思っててもそんなものは簡単に超えていく。
彼のものに触れるたびに、好きになっていく。
彼のぬくもりを感じるたびに、理性が崩壊していく。
買い物なんて、もうどうでもよくなっちゃうくらい幸せだなあ。
ふふっ、今日の晩御飯は気合入れて作らないと。
あと、この上着はしばらく借りておきたいな。
私、この上着をパンダちゃんに着させて、抱いて寝たい。
えへへ、いいなあそれ、最高だな。
常盤君に、こんなこと考えてるってバレたら怒られちゃうかな?
ううん、きっとかわいいねって、よしよししてくれるよね?
うん、きっとそうだ。優しいもん、彼は。
だけど恥ずかしいから、言えないけどね。
ふふふっ、ふふふふふっ。
彼の上着のおかげで体が熱い。
でも、まだ指先はちょっと冷たいな。
彼の手で、温めてほしいな。
おねだり、しちゃおっかな。
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