初めては全部


「お待たせしました」


 一階へ降りると、先輩は玄関先で靴を履いて待っていた。


「うん。それじゃいこっか」

「は、はい。ええと、鍵は、と……」

「私、持ってるよ」

「え? あ、ああ母さんに預かってるんですか」

「うん。私のこと、よく思ってくれてるみたいだから安心して」

「は、はあ」


 そういえば俺が帰った時に先に先輩が家で料理してたことあったけど、その時にでも預かったままってことなんだろうか。

 しかしいくら仲がいいとはいえ、赤の他人に家の合鍵まで渡すなんてよっぽど母さんは先輩のことを信用してるんだな。


 ほんと、どういう関係なんだろう?


「ええと、とりあえず海の方に向かえばいいですよね?」

「うん」

「わ、わかりました」


 休日の昼間に、先輩と外出。

 しかも一緒に俺の家を出て、だ。

 近所の人が見たら、学校の連中みたいに俺たちの関係を誤解するのだろうか。


「……」


 家から海へ行くには徒歩十分程度。

 しかしその間も、俺は何を話したらよいかさっぱりで、ずっと先輩の少し前を歩きながら沈黙したまま。

 先輩も、俺に何か話しかけてくるわけでもなく、ちょっと気まずい空気だ。


 ……そういや、金子のやつうまくいってるのかな?

 ちょっとラインしてみるか。


「ねえ」


 俺がスマホを取り出した時、先輩が小さな声で呼びかける。


「は、はい?」

「誰かに連絡?」

「え? まあ、友達にちょっと」

「男の子?」

「は、はい。あの、金子っていうクラスメイトで」

「そ」

「あの、それが何か?」

「ううん、別に」


 先輩は俺の隣までくると、ちらりと俺のスマホを見てから小さくうなずいた。


 一体、何を気にしてるんだろう?

 もしかして、俺が友達に「今氷織先輩と一緒なんだ」って、ラインしてないかチェックしてるのか?

 いや、あの鋭い目はきっと俺を警戒してるに違いない。

 まずいなあ……。


「あの、俺は別に、ええと、今日友達が女の子とデートだから様子を聞こうかなって」

「そ。デートって、どういうのがデート?」

「え? うーん、一緒に買い物行ったり、とか?」

「ふうん、じゃあ今から買い物に行くのはデートなの?」

「え……いや、それは」


 先輩は、前を向いたまま俺が何気なく答えたことに、そう反応した。

 で、俺は口ごもる。

 デートって……俺は別にそういうつもりでいったわけじゃないんだけど。

 でも、世間の人からみたら今の状況もデートに見えるんだろうな。


 ……でも、これはデートなんかじゃない。

 そもそも俺、先輩の連絡先すら知らないんだし、そんな人とたまたま一緒に出掛けたからといって、デートなんて呼べるもんじゃないだろ。

 

「……まあ、行く人によるのかなと」


 先輩も俺なんかとデートしてると思われたくないから、そんなことを聞いたのだろうと。

 そう答えると、首をかしげながら先輩は「人?」と、聞き返してきた。

 俺はまた、真面目に考えてしまう。

 これ、一体どういう会話なんだ?

 なんのつもりでこんなことを聞いてきてるんだろう。

 勘違いするなよって、そういいたいのだろうか。

 いや、とにかく答えないと。


「え……いや、まあ、相手によるってことですよ」

「相手?」

「え、ええ。例えば好きでもない人と出かけるのはいくら遊園地に行ったってデートとも呼べないかもだし、逆に好きな人とだったら、その辺を散歩するだけでもデートなのかなって」

「うん。じゃあ、好きでもない人と一緒に歩いてるのはデートじゃないってこと、なんだね」

「ま、まあ俺はそういうことなのかなと。ほら、友達同士ってこともあるでしょうし」

「ふうん」


 先輩はどこか納得した様子でうなずくと、少し歩調を早める。

 俺は慌てて早足で先輩を追いかけて追いつく。

 どうしたんだろうと、先輩の方を向くと、正面から涼やかな風が潮の香りを連れて俺たちに吹き込んできた。


 と、同時に先輩の長い髪が後ろにたなびく。

 乱れた前髪を先輩は細い指で整える。

 そのしぐさに俺はまた、言葉を失っていた。


「……」


 やっぱりきれいだ。

 色っぽいし、大人な雰囲気も魅力的というか。

 うん、こんな人の隣を歩いてても、おれなんかせいぜい弟か何かくらいにしか思われないだろうな。

 デート、ねえ。


 俺にとってはそう思いたいことでも、先輩は全くそんな風には思ってないんだろうな。

 とか。

 ちょっとネガティブに充てられていると、やがて海が見えてきた。



 常盤君ったら、嬉しいことばっかり言ってくれる。

 好き。

 大好き。


 ふふっ、この前この道をクラスの女の子と歩いてたのは、あれはデートじゃないよってはっきり弁解してくれた。

 そうやって、自分の非を認めたうえで私に言い訳してくれるところも好き。

 そうだよね、あれは仕方なく付き合わされてただけなんだよね。

 決して、常盤君の初デートをあの女が奪ったわけじゃないんだよね。


 よかったあ。

 じゃあ、やっぱり今日が初デートなんだね。

 うん、ほんとによかった。


 私、ずっと悶々としてたんだ。

 もし、あの子が常盤君の、女の子との初デートっていう貴重なかけがえのないものを奪ったとしたら私、あの子を……


 でも、もう心配ないね。

 常盤君の初めては全部私。

 私の初めては全部常盤君。

 

 初めての、海。

 

「海、見えてきたね」

 

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