惹かれていく
♠
「おい千代、随分と長い間いちゃついてたんだなあ」
教室に戻ると、まず金子が俺をからかってきた。
「言うと思ったよ。でも、看病してる間に俺も転寝しちゃってさ」
「へえ。でも、保健の谷口って結構怖いって聞くけどそうでもないのか?」
「いや、多分怖いと思う。でも、先輩は体が弱いのかよく保健室に行ってたみたいで、その辺の理解はあったよ」
「ふーん。ま、なんにせよ看病イベントで先輩のポイントは稼いだわけだ」
「うっせえ。そんな下心ねえよ」
まあ、それは言い過ぎだけど。
俺だって、つきっきりで看病したんだからちょっとくらい好感度が上がっててもいいかなってくらいの期待は持ってる。
それに、色々と先輩との関係に進展はあったと思うし。
「なあ金子、結婚ってどう思う?」
「なんだなんだ、お前までメンヘラになったのか?」
「ちげえよ。一般論の話だ」
「うーん、結婚なんてまだ先の先だと思ってるけどな。ていうかできるかどうかもわかんねえし」
「ま、そうだよな。でも、ずっと好きな人と一緒って、多分幸せなことなんだよな」
「どうだろうな。窮屈に思う人もいれば、年取ってもラブラブな夫婦ってのもいるらしいし。でもよー、うちの両親なんか見てたら結婚には憧れねえな。毎日晩飯の度に喧嘩だよ」
「どこもそんなもんだろ。うちだって喧嘩こそしないけど、別にラブラブなんかしてねえし」
「なんか急に大人なこと言いだしたな千代。やっぱり先輩となんかあったか?」
「ねえよ。でも、俺もしっかりしないとなあって、そんな感じ」
「ふーん」
先輩から話を聞くまで、結婚なんてものについて考えたことは一度だってなかった。
まず彼女もいたことないし。
子供がほしいとか、まだガキな俺がそんな願望を持つわけもないし。
だけど先輩はきっと、俺なんかよりずっと先のことを考えて生きているんだろうな。
もしかしたら料理だって、いつどんな人と巡り合ってもいいようにと思って覚えたのかもしれないし。
きっと、結婚した後の自分ってものも、思い描けてるんだろうな。
帰ったら毎日好きな人がいて、好きな人の作ってくれたご飯を食べれて、好きな人と一緒に寝て、か。
なんだその天国みたいな生活。
俺も早く……ん?
「あれ?」
「どうした千代、もうすぐ授業始まるぞ」
「あ、ああすまん。なんでもない」
ふと、ここ最近の自分を想像してみるとあることに気づいた。
俺、よく考えたら結婚生活みたいなこと、してねえか?
毎日先輩が俺の飯作ってくれて、昨日は一緒に寝たし。
朝起きても先輩がいて、今日も多分先輩がいる。
……なんか、幸せすぎて怖いな。
自覚すると、とんでもない日々を送っていることに気づいてしまった。
「……」
先輩は、こんな毎日についてどう思ってるんだろう。
俺で、いつか来る結婚生活の練習でもしてるんだろうか。
ほんと、謎だ。
謎だけど、まあ。
今はこれでいいんだ。
理由はどうあれ、先輩がそばにいてくれる。
一日でも長く、先輩と一緒にいられるようにって、祈るだけだ。
◇
放課後。
金子はニヤニヤしながら「この後どうすんの?」と聞いてきた。
「別に何もないけど、今日は帰るかな」
「なんだ、先輩とデートじゃねえのかよ」
「デートだとしても関係ないだろ」
「冷たいなあ。ま、お互いうまくやろうぜ」
「ああ」
金子はすぐに高屋さんのところに向かっていった。
そして今日は、高屋さんと宮間さんと三人で教室を出て行った。
俺も、何か一つ間違っていたらあの輪の中にいたのかなあって思うけど。
でも、今はそんなことより大事なことがあるんだ。
「ええと、先輩は……あ、いた」
教室を出て、すぐに先輩の姿を探すと正門のところに彼女が立っていた。
「お疲れ様。友達はもう、いいの?」
「ええ、特に予定はありません。先輩も、まっすぐ帰ります?」
「うん。夕食の支度もしないといけないし」
すっかり先輩は元気そうだった。
その姿にほっとするが、しかし気を許してまたあれこれと押し付けたのでは、先輩に負担をかけてしまうかもしれない。
「俺、帰ったら何か手伝います。まあ、うちのことなのに手伝うっていうのも変な話ですけど」
「ううん、いいの。家事は私の仕事だから。でも、今日はお言葉に甘えて、お風呂掃除だけお願いしようかな」
「はい、喜んで。それじゃ帰ったらすぐにやっておきますね」
「うん、お願い。あと、今日も……お部屋、行ってもいい?」
「え? も、もちろん俺は構いませんけど」
「一人だと、色々考え事しちゃうから。わがまま言ってごめんね」
「な、何言ってるんですか。俺は全然というか、むしろ、そうしたいというか……い、いえ、なんでも。とにかく、全然大丈夫なので」
今日も先輩が部屋に来るんだ。
そう思うと、体が熱くなる。
いくら同じ家の中で過ごしていても、やはり同じ部屋となると話は別だ。
でも、先輩は体調も悪くて、精神的にもちょっと不調気味だから誰かといたいのだろう。
そんな時に俺に頼ってくれてるんだ。
ちゃんと、支えてあげないと。
「電車、大丈夫ですか?」
「うん、平気。でも」
先輩は何か言いかけて、そっと俺の手を握る。
「あ」
「ダメ?」
「い、いえ。これだと、安心します?」
「うん。私、まだ少し疲れてるから。支えてほしいかな」
「わ、わかりました。しっかり捕まっててください」
「うん」
先輩の手を握ったまま、駅の改札口を抜ける。
そして、一緒にホームで電車を待つ。
列の最後尾に並んだ俺たちの後ろにもまた、ぞろぞろと人が並ぶ。
人が増えるたびに先輩は緊張と恐怖からか、握力を強める。
やっぱり、人が多いのが苦手なんだろう。
電車通学だけでも、先輩にとってはかなりのストレスなんだ。
……そんなところも、可愛い。
どんなものにも屈しない態度の、凛とした先輩が見せる弱い部分。
それを俺は、愛おしいと思わずにはいられない。
「もうすぐ電車きますから。席、なんとか確保しますね」
「うん」
電車がホームに入ってくる。
その電車を待つ人々が、我先に乗り込もうと次第に前のめりになる。
そんな群衆の圧力から先輩を庇うように俺は彼女に身を寄せる。
先輩も、俺の方へ体を寄せる。
少し震える先輩の肩の振動が伝わってくる。
俺は、もう迷うことをやめた。
先輩に、好きと伝える。
たとえなんと思われたって構わない。
俺が、先輩を支えたいって。
赤糸浜に戻ったら、そんな話をしよう。
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