恋人。妻。

「先輩、降りましょう」


 電車が赤糸浜駅に到着した。

 運良く空いている席に座れた俺と先輩は、ずっと手を繋いでいた。


 初めて先輩の手を握ったのは確か、吊革を譲ろうとした時だったなあ、なんて。

 ほんの少し前の出来事をやけに昔のことのように感じながら、黙りこくったままの先輩の手を引いて一緒に電車を降りる。


 しばらくそのまま歩いて、駅を少し離れたところでようやく人混みから解放された。


 しかし先輩は、


「このままで、いい?」と、ねだるように聞いてきたので、その手を握り返す。


「はい。先輩、ちゃんと握っててくださいね」


 男らしいところを見せようとか、そんなつもりはなかった。

 先輩のために、ただ男らしくありたいと。

 

 先輩は強い女性っぽく見えて、実はとても弱い子なんだ。

 そして俺は、そんな彼女が好きになってしまった。

 もう、この気持ちに迷いはない。

 本当は帰ってからって思ってたけど。


 言おう。

 この流れしかない。


「……先輩、好きです」


 先輩の手を強く握りしめながら、言った。

 この一言を伝えるだけで、俺は心臓が飛び出してしまいそうになっていたけど。


 とにかく、言った。

 そして、先輩を見ると。


「うん」


 それだけ。

 あれ? なんでこんなに反応が薄いんだ?

 い、いや、ちゃんと最後まで言わないと、急に何の話だってなってるのかもしれないし。


「……先輩。俺、先輩のことが好きです。あ、あの、よ、よかったら、俺と、ず、ずっと一緒にいて、くれませんか?」


 震える声で、それでも言い切った。

 そして再び、先輩を見ると、


「うん、ずっと一緒だよ?」


 と。

 またしても、反応が薄い。

 涼しい顔のまま。

 照れるでも恥じらうでもないその様子に俺はまたテンパりそうになるが、それでも一緒にいてくれると言ってくれたことに対して、その意味を再確認する。


「……あの、一緒にいて、くれるんですか?」

「うん。ずっと一緒だよ?」

「……それって、恋人としてって意味、ですか?」

「うん。そうだけど?」

「……」


 淡々と、先輩は答える。

 俺は今、とんでもなく幸せな瞬間を迎えているはずなのになぜか手放しに喜べないでいた。


 恋人として。

 ずっと一緒にいてくれる。

 俺が望んだ以上の答えを先輩が返してくれたのに、その反応があまりにも想像とかけ離れていたせいで戸惑いが勝ってしまっていた。


「……あの、本当に俺で、いいんですか?」

「なんで?」

「い、いえ……先輩がいいのであれば、俺は嬉しい、ですけど」

「うん。それより今日、ご飯食べた後はケーキだから。早く帰ってご飯にしよ?」

「は、はい……」


 それよりって……。

 俺、告白したんだけど。

 そんなことより晩御飯ってことなの?


 ……あれ、待てよ?

 なんか先輩の反応にがっかりして実感が湧かなかったけど。


 付き合ったってことで、いいんだよな?

 先輩が、俺の彼女ってことで、いいんだよな?


「……あの、先輩」

「どうしたの?」

「い、いえ。ええと、もうすぐ家、つきますね」

「うん。もうすぐだね」


 もう一度、ちゃんと付き合えたのかどうか確認しようと思ったけど、やめた。

 先輩のあまりに涼しげな態度に、俺は聞き返すことが怖くなったってのもある。

 勢いなのかその場の雰囲気なのかはしらないけど、とにかく先輩はたしかに俺と付き合ってくれると言ったんだから。

 改めて聞いて、気が変わったなんて言われたら辛いし。


 どういうわけかは知らないけど、先輩が俺の気持ちを受け入れてくれたことを素直に喜ばないと。


 なんだけど。


「お風呂、先に入る? それともご飯?」

「え、ええと……お風呂、入ろっかな」

「うん。それじゃゆっくりね」

「……」


 あまりにも平然と、昨日までと何も変わらない様子でそう話す先輩は、家に着くとそのままキッチンへ向かっていってしまった。


 俺は、ようやく先輩への気持ちを自覚して告白もして、そして先輩が俺の気持ちを受け入れてくれるという奇跡まで起きて。

 幸せの絶頂にいるはず、なのに。

 恋人になれたはず、なのに。


 まるで狐につままれたような気分だ。

 どうして先輩はこうもあっさり俺の告白に対してOKをくれたのか。

 そして、どうしてそこまで平然としていられるのか。


 また一つ、先輩のことを知ろうとして。

 また一つ、先輩のことがわからなくなってしまった。



「ふふっ、常盤君ったら急にどうしたのかな」


 今更改めて好きだなんて。

 私が体調悪そうだから、喜ばせようとしてくれたのかな?

 えへへっ、優しい。

 そういうところ、ほんとに大好き。

 そんな常盤君の婚約者になれて、本当によかったあ。


 ずっと一緒にいてもらえませんか? だって。

 ふふっ、将来を約束したんだからそんなこと聞かなくてもいいのになあ。

 常盤君って案外ネガティブなんだね。

 私と似てるね。

 私も、とってもネガティブだからいつも不安になっちゃうけど。


 お互い様なんだ。

 似たもの同士なんだ。

 嬉しい。

 

「でも、今日からはもう恋人じゃないものね」


 今日からはもう、婚約者として。

 いつまでも恋人気分で浮かれるだけじゃなくて、彼の為に尽くす妻として。


 支えるの。

 彼のそばでずっと。

 それが私の役目だからね。


「えへへっ。今日こそはちゃんと名前で呼んじゃうぞ」



 


 

 

 

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