結婚したい。結婚した


「はい、お弁当」

「え、ええどうも」


 保健室に戻ってすぐ、椅子とベッドにそれぞれ腰かけた俺と先輩はお弁当を広げる。

 先輩はすっかりいつもの様子に戻った。

 でも、俺はここに戻る途中で呟いた先輩の一言を聞き逃さなかった。


 死ねばいいのに。

 彼女は確かにそう言った。


 多分だけど、教室の方を向いてそう言ったと思う。

 やっぱり先輩は、クラスで何かあったのかもしれない。

 いじめ? それとも嫌がらせとか?

 もしかしたら、さっきの男にしつこく言い寄られて迷惑してるっていうのもあるのかも。

 それにあいつ以外だって。

 先輩を困らせてる連中が大勢いるのかも。


「……」

「どうしたの? おかず、嫌い?」

「い、いえ。いただきます」


 だけどそういうデリケートな問題であればあるほど、本人に聞くのは難しい。

 それに聞いたところで答えてくれるとも限らないし。

 今はおいしくお弁当をいただくことに集中しよう。


「うん、おいしいです、やっぱり先輩は料理上手ですね」

「よかった。いっぱい食べてね」

「はい。そういえば谷口先生はお昼食べに行かれたんですか?」

「そうなのかな。でも、いつも出たり入ったりだから気にしなくていいと思う」

「そう、ですか」


 いつも、か。

 ということは先輩は頻繁にここに来ていたっていうことなんだな。

 病弱、なのかな。

 それともやっぱり、クラスの人たちと合わなくてそれで……。


「先輩、何か困ってることとか、ありますか?」

「困ってること? どうして?」

「い、いえ。なんか、先輩っていつも淡々としてるけど、悩みとかないのかなって」


 まだ知り合ったばかりで、こんな踏み込んだ話をしていいのかも迷ったけど。 

 俺でよかったら聞かせてほしいし、もっと先輩のことを知りたいから、勇気を出して聞いてみた。


 すると、


「悩みなら……いっぱいあるよ」


 そう、つぶやいた。


「そう、ですよね。あの、話せることがあれば相談してください。俺なんかでも、聞くことくらいはできますし。ほら、吐き出すとすっきりするって言うじゃないですか」

「ほんと? じゃあ、一ついいかな?」

「はい。なんでしょう」


 先輩が少し沈黙する。

 そのわずかな間に、俺は胸をときめかせた。

 今から悩み事を聞こうという時に少し不謹慎だけど、先輩が自らのことを俺に打ち明けてくれようとしていると思うと、どうしても興奮せずにはいられなかった。


 そして。


 先輩は、言った。


「結婚、したい」


 と。


「……え?」

「おかしい?」

「え、えと……け、結婚、ですか?」

「うん」

「……」


 あまりにも予想外の悩みに、俺は言葉を失った。

 しかし、先輩は平然と話を続ける。


「私、昔から家族とも仲悪くて。学校でも、友達がいなくて。だから、結婚したら、家庭に入ったら、そんな悩みともおさらばできるのかなって」


 そう言って、先輩は下を向く。

 俺は、初めて何かに苦悩する先輩の姿に。

 見蕩れていた。

 冷静沈着、冷淡で冷血な氷の女王なんて呼ばれる彼女の、血の通った悩み。

 そんなものを聞かされて、心が揺れないわけがなかった。


 先輩ほどの人が、それほどまでに学校が嫌だと思っていたなんて、考えもしなかったけど。


「先輩も、結構大変だったんですね」

「うん。だけど、いきなり結婚したいなんて、やっぱり変、かな?」

「……そんなことないですよ。俺はむしろ素敵だなって」

「いい、の?」

「ええ、いいと思いますよ。俺だって、その、なんというか、結婚とかって憧れますし」

「……うん」


 暗い先輩を励まそうと、俺は全力で彼女の言葉を肯定した。

 でも、本当は少し辛くもあった。

 結婚したいなんて思うってことは、少なくとも先輩にだって、いいと思う男性の一人くらいはいるってこと、だから。


 それが誰なのかは知らないけど。

 いつか先輩が知らない誰かと結婚してしまうって思うと、弁当が喉を通らなくなってくる。

 だけど、今ここで俺が暗い顔をしてしまったら先輩をまた不安にさせてしまう。

 だから必死に、明るくふるまった。


「先輩、とにかく今は体調を整えてちゃんと授業に出れるようにしましょう。すぐに結婚とかって、ほら、色々難しいでしょうけどちゃんと学校出て社会に出たら、それこそすぐにでもできますよ」


 先輩だったら。

 美人で料理上手で優しい、あなたなら。

 すぐにでも、出来ちゃうと思う。


 考えたくもないけど。

 今は、先輩が元気で笑ってくれてるだけでいいから。

 懸命に、先輩を励ます。


「……そう、だね。うん、ちゃんと学校卒業したら、出来る?」

「もちろんですって。先輩みたいな美人を放っておくわけないじゃないですか」

「うん。嬉しい。ありがと」


 先輩は、少し目に涙を浮かべていた。

 よっぽど、学校にくることが辛いのだろう。

 それがどうしてなのか、具体的な理由はわからないままだけど、結婚して学校を辞めたいなんて思うほどに思い詰めていたと思うと、胸が痛む。


 そして、そんな悩みを少しでも俺に聞かせてくれただけでも、俺は嬉しい。

 できれば俺が先輩と……って、そう言いたいけど、そんなことはまだ、言えない。


 ちゃんと、俺が自分に自信を持てるようになって、先輩を一人で守ってあげられるようになったら、その時にちゃんと、言いたい。


 結婚、だもんな。

 ははっ、まだ付き合ってないどころか連絡先すら知らない俺には、程遠いどころの話じゃないな。

 

「先輩、さっきより顔色よくなりましたね。楽になりました?」

「うん。なんか、すごく気分がよくなった。教室、戻れそう」

「それはよかった。あの、送りましょうか?」

「ううん、大丈夫。私、頑張れそう」


 ゆっくり立ち上がると、先輩は弁当箱に蓋をして、俺の空になった弁当箱も回収して袋に入れてから、ゆっくりと保健室を出ていく。


 そして振り向きざまに、「今日は晩御飯の後に、ケーキあるから」と。


 そう言って、先に部屋を出て行ってしまった。



「婚約、しちゃった。私、結婚することになっちゃった」


 常盤君と。

 正式に。

 既成事実とかじゃなくって。

 親公認とかでもなくって。


 彼本人から。

 結婚してもいいよって、言ってもらった。


「えへへ、よかった。臆病になってた私が、バカみたい」


 信じてよかった。

 ううん、常盤君は最初っから私のことなんか疑ってないもんね。


 彼と結婚したいっていう、私の一番大きな悩み事。

 今日、すっかり解消されちゃった。


 ふふっ、常盤君も結婚に憧れてたんだ。

 じゃあ、今日からは実質、新婚生活の始まりだね。

 

 何もかもが初めてだらけの。

 二人だけの甘い生活の始まり。


 今日はケーキ、買って帰らないと。

 お祝い、しないと。


 うん、なんだか私、頑張れそう。

 授業中に少し会えなくても、ちゃんと彼とつながってるって思うと、我慢できる。


 もう、呼吸が苦しくない。

 いつもより、体調がいい。


「えへへ、帰ったら早速お義母さんにも報告しなくっちゃ」


 



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