私の手は冷たいよ


「ん……母さんから?」


 ベッドで一人、ぼーっとスマホの画面を眺めていると電話が来た。


「もしもし、どうしたの母さん?」

「千代、そっちはどう? ちゃんと紫苑ちゃんの朝ごはん食べた?」

「うん、食べたよ。ていうか母さん、やっぱり先輩に毎日世話に来てもらうのは悪いよ。俺、一人でもなんとかするから」

「どうしたのよ、喧嘩でもしたの?」

「喧嘩って……別にそんなんじゃないって」

「それならあの子の好意には素直に甘えなさい。かわいげがない子は嫌われるわよ」

「……わかったよ」


 母さんは言いたいことだけ言って、電話を切った。

 俺が休日の昼間っからこんなに暗い気分にならなきゃいけないのは母さんのせいだって、そんな文句の一つでも言いたかったけど。


 言ったところで何も解決はしない。

 ていうか、悪いのはやっぱり俺の方だ。

 母さんも先輩も、俺のためを思って善意で動いてくれてるだけなのに。

 俺一人が下心に揺らされて浮かれたり落ち込んだりを繰り返してる。


 先輩をそういう目で見るのは一旦控えないと。 

 じゃないと俺の心がもたない。

 こんな実りのない初恋があってたまるか。

 先輩は俺に興味なんか一切……。


「ご飯、できたよ」


 ぐちゃぐちゃな思考を整頓していると、廊下から先輩の声がした。

 ゆっくり体を起こして部屋を出ると、今日は部屋の前に先輩が立っていた。


「あ……すみません、すぐおりますから」

「どうしたの? 元気ない?」

「べ、別になんでも。お腹すいたのかも」

「そ。今日のお昼はドリアにしたけどもっとあっさりしたものがよかった?」

「そ、そんなことありませんよ。いただきます」


 心配してくれる先輩の目も見ないまま、俺は先に下へおりた。


 そしてキッチンにはチーズが焼けたいい匂いが充満していて。

 テーブルにはドリアが一つだけ置かれていた。


「……食べて、またダラダラするか」


 席に着くと、すぐに先輩もやってきた。

 小さくいただきますといってからスプーンで一口。


 相変わらず、うまい。

 作ってもらってるものにそもそも文句なんてつけるわけもないのだが、そういう意味ではなく文句のつけようがない味。

 この味を、いつか他の誰かが味わう日が来るのだろうか。


「……そういえば先輩、いつもご飯はどうしてるんですか?」


 俺の向かいに座ってお茶を飲む先輩の姿を見て、率直な疑問をぶつけた。

 そういえばいつも先輩は一緒にご飯を食べない。

 俺の分だけ用意して配膳してくれるけど、先に食べてるのだろうか。


「私はあんまりお腹すかないから。つまみ食いでいいの」

「そうなんですね。でも、たまには一緒に……いえ、なんでもないです」

「一緒に、なに?」

「い、いえ別に」

「なに?」

「……一緒にご飯、食べたいかなって。す、すみません別に変な意味はないんですけど」


 せっかくのおいしいご飯だから、先輩と一緒に食べたらもっとおいしいだろうなって、ずっと思ってた。

 そういう些細なところからでも、先輩の知らない部分を知っていきたいと。

 もちろんそこまでは言えるはずもなかったが、俺の言葉に先輩は反応する。


「そっか。一緒の方が、楽しい?」

「そ、そりゃそうですよ。それに一緒の方がおいしいですから」

「一緒の方がおいしいの?」

「は、はい。なんか人と一緒にご飯食べるのって、よくないですか? 俺、いつも一人で食べてたから」

「……うん。じゃあ、夕食は一緒に食べられるものにするね」

「ほ、ほんとですか? あ、ありがとうございます。楽しみです」


 先輩はやっぱり優しかった。

 俺なんかのくだらない願望を受け入れてくれて、さっそく夕食からそうしてくれると言ってくれた。


 男なんて単純なもので、さっきまでの憂鬱な気持ちも暗い気分も全部、先輩の言葉

 で吹っ飛んでいた。


 そうだ、今すぐ好きになってもらうなんて無理な話なんだし、今は同情でも母さんのコネでもなんでもいいんだ。

 とにかく先輩と一緒にいることこそが、仲良くなる近道と信じて頑張るしかない。


「ごちそうさまでした。先輩、片づけは俺がやっておきますので先輩もゆっくりしてください」

「お気持ちはうれしいけど、夕食の買い物とか行かないといけないから」

「それなら食材を教えてくれたら俺が買ってきますよ」

「ううん、一緒に行きましょ」

「え? 一緒に、ですか?」

「うん。一緒の方が、楽しいのよね?」

「そ、そりゃあそうですけど……いいんですか?」

「荷物も、たくさんあると大変だから」

「そ、そうですね。じゃあ、早速出かけます?」

「うん。行きましょ」


 先輩は俺が食べたドリアの器をさっと取ってシンクに置くと、「準備してきて。すぐ行くから」と言って洗い物を始めた。


 すぐに部屋に戻った俺は、慌てて着替えを済ませて下に降りる。

 すると、先輩はすでに玄関先で待っていた。


「早かったね」

「い、いえ。それじゃ行きましょうか」

「うん」


 ランチデートは断られたけど、無事に先輩とお出かけができることとなった。

 やっぱり金子の誘いは断って正解だったなあと、親友にはずいぶん失礼なことを思いながら玄関を開ける。


 ちょうど雲の隙間から日が差す。

 なんだか、気分まで明るくなってきた。



 常盤君ったら大胆。

 一緒の方が楽しいだなんて、とっても嬉しいことをサラッと言ってくれるその飾らないところも好き。


 そういえば今日はスーパーでお肉が特売だって、チラシが入ってたっけ。

 お鍋にでもしようかなあ。


 常盤君と同じものを食べたいから。

 夜はまだ冷えるし、あったかいものがいいよね。


 ふふっ、常盤君も緊張してるのかな?

 スーパーに行くだけなのにおどおどして、時々不安そうに私の方を振り返る。

 好き。そういうウブなところも、大好き。

 ちゃんと私はいるから安心して。

 離れないからね。

 はぐれないように見てて。


「先輩、スーパーつきましたよ」

「うん」


 休日に一緒にお買い物、楽しみ。

 でも、今日は休みだからかやけに人が多い。

 人に酔っちゃいそう。

 私、人が多いの苦手。


「今日は人が多いですね。先輩、大丈夫ですか?」

「……」


 大丈夫、じゃないって言ったら、手、握ってくれる?

 ううん、いつも常盤君にばかり求めてたら、負担だよね?

 私からも、たまには積極的にならないとだね。


 手、握っちゃう。


「……離さないで」

「え? あ、あれ……せ、せん、ぱい?」

「手、冷たい?」

「い、いえそれは……あの」

「人混み、苦手だから」

「そ、そうなんですね。でも……」

「迷惑?」

「そ、そんなことありませんよ。あの、このままでも、いいんですか?」

「うん」


 もちろんいいよ。

 常盤君の手、あったかい。

 いつかのつり革の時より、彼の手に力がこもっててたくましい。

 そのまま、ずっと離さないでいてほしい。

 レジの時も、料理するときも、お風呂でも、寝るときも。

 起きてからも、学校についても、ずっとずっとこのままがいいなあ。


 ずっと、ずうっと。


「このまま、お願いね」

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