パンダのぬいぐるみ

「千代、今日俺、高屋さんと遊ぶからお先な」


 放課後、金子は嬉しそうにそう言ってさっさと教室から出て行った。


 なんともまあ薄情なやつだなあと呆れながらも、幸せそうな金子の表情を見ていると文句を言う気にもならず。


 で、俺の方はというと宮間さんと学校で一切口をきかないまま。

 宮間さんは放課後になるとすぐに帰ってしまったし。

 やっぱり俺みたいなのは相手されないってことなんだろうなあ。

 金子みたいなリア充と友達になったから俺までそうなれたと勘違いしてただけなんだ。

 結局陰キャはどこまでいっても陰キャってわけ、か。

 はあ、凹むなあ。


「弁当箱は……もう、ないか」


 ただ、どこの誰か知らない俺のファンとやらはやっぱりいるようだ。

 今日も弁当箱は回収されていた。

 ほんと、俺なんかに尽くしてくれる物好きさんと早く会ってみたいもんだよ。


「……今日はちょっと寄り道してから帰るか」


 今朝までの晴れやかな気分はどこに行ったのやら。

 モヤモヤとさせられたままの俺は直接駅へは向かわず、その手前の商店街の中にあるゲームセンターへ向かった。


 何がしたいってわけでもなかったけど。

 このまま帰って悶々とするのが嫌だった。

 

「へー、結構中は綺麗なんだ」

 

 看板や外観は古びた感じの店だが、中に入ると案外広くて綺麗な印象のゲーセンには学校終わりの近所の学生達がちらほらと。


 そしてレーシングゲームや格ゲーコーナーにはヤンチャそうな連中が陣取っていたので、避けるように奥のクレーンゲームのコーナーへ。


 ショーケースの中に陳列されたぬいぐるみやフィギュアを眺めながら欲しいものを探す。

 でも、どれもこれも少々の金では取れそうもなさそうなものばかり。


 無駄に金使いたくないし、やりだしたらムキになってお金使っちゃいそうだ。

 でも、せっかく来たんだからせめてなにか一個くらいはと、取れそうな景品を探していると。


「……氷織先輩」


 大きなパンダのぬいぐるみが入ったクレーンゲームをじいっと見つめる氷織先輩の姿を発見した。


 欲しいのだろうか?

 でも、こんなところに来るなんてちょっと意外だな。


「……」


 あんな鉄面皮みたいな人が果たして可愛いぬいぐるみ目当てにクレーンゲームなんかするのかなと、気になってその様子を見守っていると彼女は百円玉を機械に入れた。


 そして、相変わらずのクールな様子でレバーを操作し始めた。


 彼女が静かにスイッチを押すと、アームが下へ降りていく。

 そしてぬいぐるみの体にひっかかると、ぬいぐるみが持ちあがった。


 随分大きな景品だけど、このまま取れるんじゃないか。

 あまりこの手の景品が取られるところを見ることはないので、どうなるのかその行く末を見守る。


 が、穴の手前でぬいぐるみはほろりとアームから外れて。

 寝そべったような格好になって転がった。


「……まあ、そうだよな」


 惜しいところまでいっても、ああいう大きな景品は少々のことでは取れないもの。

 転がったぬいぐるみを見ながら彼女は少し残念そうに首を傾げる。


 そして、その場から離れていった。


「……もう少しで取れそうだけどな」


 彼女がいなくなったあと、俺はさっきのパンダのぬいぐるみの前に立つ。

 よく見ると、穴までの距離はもう少し。

 あと一度掴めたら、取れそうなところに景品がいる。


「……これ、取れそうだよな」


 先輩のおかげでいい位置に景品が来ていた。

 でも、このままこれをプレイするのはなんだかハイエナしたような気分でちょっと気が引けるけど。

 どうせ俺じゃない誰かが同じことをするんだ。

 だったら俺がやっても別に文句を言われる筋合いはなかろう。


「これやってみるか」


 別にほしいってわけでもないけど。

 取れそうなもの、といえば今はこれくらいだし。


 百円入れて、さっき倒れたパンダのぬいぐるみを狙う。

 すると、さっきと同じようにパンダは吊り上がる。


 そして、


「あ、落ちた」


 なんと一発で取れてしまった。

 ゴロンと、大きな穴から転がってきたぬいぐるみを手に取ると、かなりの大きさだ。

 これを持ったまま電車に乗るのはちょっと恥ずかしい。

 でも、せっかく取ったものを返すというのもなんか勿体ない気がして、店員さんに大きな袋を一つもらってそれにぬいぐるみを入れてから、店を出た。


「やれやれ、いらんものに金を使ってしまった」


 こういう時、妹でもいれば帰ってプレゼントしたら喜んでくれるのかもしれないけど。

 生憎の一人っ子だからあげる相手もいない。

 ていうかむしろ、こんなものを部屋に置いてたら母さんに何言われるかわかったもんじゃない。


 今度、メリカルででも売ろうかな。


「……そういや、氷織先輩はこれが欲しかったみたいだけど」


 駅に向かう途中でふと、さっきの先輩の姿が頭に浮かぶ。


 いつも無感情に見える彼女が、珍しく悔しそうだった、気がした。

 もちろんこれも俺の勝手な想像でしかない。

 ただでさえ人の気持ちなんて理解し難いのに、あんな顔に出ない人のことなんて、数回見た程度でわかるはずもない。


 だけどなんとなく、そう感じた。

 寂しそうというか、悔しそうというか。


「……でも、全然知らないやつからぬいぐるみ渡されても不気味だよな」


 駅のホームで電車を待つ間、氷織先輩の姿を探しながらぽつり。

 でも、もし彼女の姿があったとして、急にぬいぐるみを渡しになんていけばそれこそストーカーか何かと思われるに違いない。


 やっぱりこれは、持って帰ってネットで売るとしよう。


「……」


 帰りの電車は珍しく空いていた。

 誰かと取り合うことなく席に座り、隣にはぬいぐるみの入った大きな袋を置く。

 袋からパンダのぬいぐるみがひょこっと顔を出している。

 やっぱり恥ずかしい。 

 痛い男子高校生とでも思われてそうだ。

 人が少ないのが幸いだな。


「……あ」


 隣の車両から人が移ってきた。

 また、氷織先輩だ。

 まあ、さっき同じゲーセンにいたから電車の時間が被ってもおかしくはないけど。


 少し気まずい。

 このぬいぐるみを見られたら、なんて思われるか不安で仕方ない。

 もちろん俺のことなんて見向きもしない可能性の方が高いわけで、こんな風に勝手に気まずくなるのは自意識過剰なのだろうけど。


「……」


 黙ったまま、俯いて彼女の方を見ないようにした。

 このまま気づかれずに済めばそれでいいと、少し霞んだ床を見つめていると。


 隣に、彼女が腰掛けた。

 そして俺と彼女で、さっきのぬいぐるみを挟むような形になった。


「……」


 俺はもちろん黙ったまま。

 ていうかなんで他の席も空いてるのにわざわざここに座ったんだ?

 やっぱり、何か俺に言いたいのかな……。


「……」


 しかし彼女もまた、俺に声をかけるどころかこっちを見ることさえなく。

 互いにじっと前を見つめたまま、電車だけが俺たちを赤糸浜へ連れて行く。


 重く気まずい空気の中でも、彼女の方からは甘い香りがふわふわと漂っている。


 見るつもりもなかったんだけど、あまりにいい香りがするので横目で彼女を見ると、彼女は少し寂しそうにパンダのぬいぐるみを見つめていた。


 やっぱり、これが欲しかったんだろう。

 だけどなんの接点もない人間に物を強請るなんて非常識なことも彼女みたいな人はきっとしない。

 

 俺だって、ろくに話したこともない女子にいきなりぬいぐるみを渡すような非常識な真似はしない。

 するなら……そう、匿名でなら出来るかもだけど。

 ああ、弁当をくれたどこの誰かわからない子も、こんな心境だったのかな。

 はじめましてでいきなり弁当を渡されても重いだろうから、あんな渡し方になったのだろう。

 でも、俺は今彼女の隣にいるわけだし。

 さりげなくぬいぐるみだけ置いて行っても、忘れ物にしか思われないだろうし。


「……」


 やっぱり渡すのは無理かなと、もう一度彼女を見ると、それでもずっと彼女はパンダを見つめていた。

 その姿を見て、またしても心が揺れる。

 そして、きっと迷惑に違いないとわかりながらも、俺は小さな声で言った。


「あの……よかったらこれ、いりませんか?」


 まるで床に向いて喋るように。

 でも、俺の勝手な呟きは彼女に届いたようで。


「……いいの?」


 と、返事が来た。

 と、同時に少し電車が揺れたかと思うと、ゆっくり速度を落として赤糸浜駅に到着した。


「そ、それじゃこれ、どうぞ」


 俺は扉が開くと同時に、逃げるように先に車両を降りた。


 彼女がこの後、ぬいぐるみをどうしたかまでは見届けなかった。


 

 

 

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