切れ味


「先輩、そういえば先輩の家って近所なんですよね?」


 買い物を終えてようやく家の近くまで戻ってきたところで、ずっと花を見つめながら無言の先輩に聞いた。


「うん、近く」

「そうですか。じゃあ、荷物置いたら送っていきましょうか?」

「うん。それじゃお願い」

「わかりました」


 さすがに買い物も終わったことだし、家についたらそこでバイバイだろうと思った俺は勇気を出して先輩に聞いてみたんだけど、あっさり承諾してくれた。

 よかった、これでもう少し先輩と一緒にいられる。

 ちょっと浮かれ気味になりながら家に着くと、俺はすぐに玄関のカギを開ける。


「ええと、それじゃ荷物置いてくるので待っててください」


 そう言って俺は靴を脱いでキッチンへ。

 しかし、なぜか先輩も一緒に家の中へ。


「あ、あれ? 先輩、そのまま待っててくれていいのに」

「夕食、どうするの?」

「え? ま、まあ適当に何か作りますよ」

「なら、私が作る。せっかく新しいフライパン買ったから」

「で、でもさすがに悪いですよ」

「いいの。包丁も、使ってみたいから」

「そ、そうですか」


 先輩は俺の上着を脱いで椅子にかけると、さっさと俺がテーブルに置いた買い物袋からフライパンや包丁を取り出して、封を開けてシンクに運んで洗い始める。


 確かに料理好きな人であれば、新しくなった調理器具をいち早く使ってみたいって思うのも不思議ではないけど。

 でも、そんな好奇心に付け込んで晩御飯まで便乗してよいものだろうかと迷ったが。


「よく切れそう」と、包丁を見つめながら心なしか楽しそうな先輩を見ると、断る方が悪い気がして。

 俺はキッチンの椅子に腰かけて先輩の料理する姿を見守っていた。



「よく切れそう」

 

 この包丁なら、常盤君にまとわりつく害虫たちもスパッと……ううん、ダメダメ。

 人間って油が多いから、切っちゃうと刃がすぐにぼろぼろになっちゃうらしいし。

 せっかく常盤君においしいものを作ってあげるために新調した包丁なんだから大切に使わないと、ね。

 

 それに今日は常盤君ったら積極的。

 じっと、私のことを見てる。

 どうしよう、緊張しちゃう。

 オムライス、卵が破れないか心配。


 私の理性が、壊れないか心配。


 ドキドキする。

 さっきお花をプレゼントされた余韻もまだ体中に残ってるのに、これ以上ドキドキさせられたら私、変になっちゃう。

 常盤君のこと、襲っちゃいそう。


 ふふっ、だけど私、初めての時くらいは押し倒されたいから。

 我慢するね、ちゃんと。

 エプロン、あってよかった。

 

 ちょっと、濡れちゃった。



 先輩は淡々と料理を始めだした。

 玉ねぎの皮を慣れた手つきでむいでからさっき買った包丁で素早くみじん切りにしていく。

 そのあと、これまたさっき買ったばかりのフライパンに入れて炒め始める。

 甘いにおいがキッチンに広がる。

 そして、鶏肉を一緒に炒めてからタッパーに入れてあったご飯を投入。

 

 何を作ってるんだろうと見入っていると、先輩はフライパンにケチャップを入れた。

 ケチャップの焦げる、酸味が混じった香りが広がる。

 どうやら、チキンライスを作っているようだ。


「いいにおい……」


 待ってる間にお腹がすいてきて、つい独り言が出てしまった。

 すると先輩は「もうすぐだから」と、振り向きもせずにそう言って。


 ご飯をいったんお皿に移すと、フライパンに油を敷きなおしてからかきまぜた卵を入れる。

 そしてチキンライスを入れると、まるで料理人のようにささっとフライパンを回してからくるっと卵を巻いてお皿に盛る。

 あっという間に、オムライスが完成した。


「すごい……」


 あまりの手際の良さに俺は終始見蕩れていた。

 空腹も重なって前のめりになる俺に対して先輩は「仕上げ。待ってて」と。

 

 ケチャップを再び手にして、オムライスにささっとかける。


 そして、


「はい、どうぞ」


 出来上がったオムライスが俺の前に出される。

 が、それを見て俺は言葉を失う。


「これって……」


 ハートマークが、描かれていた。

 薄く伸ばした卵できれいにまかれた昔ながらのオムライスの上に、赤く大きなハートが主張している。


 これ、どういうこと?

 普通こういうのって、彼女が彼氏に作るもん、だよな?


 も、もしかして先輩は俺のことを……。


「せ、先輩、これって」

「おばさまに教えてもらったの。きれいにハート作る方法」

「あ、なるほど……」


 一瞬、先輩は俺のことが好きでこんなものを描いたのかと勘違いしたが、どうやら母さんに教えてもらったことをそのままやってみたというだけだったようだ。

 そりゃそうだ、氷織先輩のような人が何もなしにこんな恥ずかしいこと、するわけないもんな。


「きれいにできてる?」

「え、ええとても。あの、いただいてもいいですか?」

「うん。足りなかったらもう一個作るから言って」

「は、はい。では……いただきます」


 崩すのがもったいないくらいきれいにかたどられたハートマークを申し訳なくなりながらスプーンで伸ばして、一口。


 食べた瞬間に、思わず「ん」と声が出た。


「うまっ。なにこれ、めっちゃおいしいんですけど」


 トマト嫌いな俺は、ケチャップこそ食べれるが酸味のある料理は好きじゃなかった。

 だからオムライスって昔から好きってほどじゃなかったんだけど。

 今食べてるものは全くの別物だ。

 中のチキンライスはしっかり炒められていて酸味がちゃんと飛んでるからしつこくないし、だからこそ逆に上にかかったケチャップがあってちょうどいいくらいのマイルドさに仕上がっている。

 あと、卵も薄く伸ばしただけなのに火の通りが絶妙で、外は固いのに内側はまだ半熟さが残っていてふわふわだ。


 なんだこれ、金払ってもこんなもん出てこないぞ。


「おいしい?」

「は、はいとても。先輩、料理お上手なんですね」

「うん、料理くらいできないとダメだから。それに、新しいフライパンがよかった」

「そ、そうですか。でも、こんなにおいしいの作れるなら俺も教えてもらおうかなあ、なんちゃって」


 食事を終えたらさすがに先輩も帰ってしまうだろうけど、もうちょっと一緒にいたいなって下心で先輩にそんなことを冗談交じりに言ってみた。


 すると、「ダメ、料理は教えない」と断られてしまった。


「そ、そうですよね。す、すみません調子乗ったこと言って」

「ううん、いいの。それより冷めないうちに食べて」

「は、はい」


 先輩はキッチンを出て行った。

 料理を教えてくれなんて、なれなれしいことを言ったから怒ってしまったのだろうか。

 ほんと、すぐに調子に乗るやつだな俺も。

 こうして晩御飯を作ってくれただけでも、ありがたいと思わないと。


 でも、本当にうまいよなあ。

 一体何をどうしたらこんな簡単な素材だけでこんな味になるんだろう。


 教えてほしかったな。

 戻ってきたら、やっぱり教えてくれるとか、ないかな。


 ないよなあ、あの感じだと。


 はあ……先輩ってほんと何考えてるのかよくわかんないや。

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