お持ち帰り


「どうしよう、また濡れてきちゃった」


 エプロンを外してトイレに逃げ込んでからぽつり。

 さっき、おいしそうに私のオムライスを食べてくれる常盤君の笑顔を見ただけで、あちこちが熱くなっちゃった。

 ダメ、ちゃんとしないといけないのに。

 うれしすぎて感じちゃう。

 幸せすぎて、感情も何もかもあふれ出ちゃう。


 それに料理を教えてほしいだなんて、勤勉でまじめなんだね常盤君って。

 そういう家庭的なところも好き。

 きっと子供ができたらすっごくいいパパになってくれる。

 好き。

 早く常盤君との子供、欲しい。

 男の子でも女の子でも、きっとかわいい。

 常盤君と私の血が流れてる子なんて、かわいくて仕方ないと思う。

 えへへ、子供はたくさんほしいなあ。

 男の子も女の子もほしいし。

 そうなると、結婚したら広いおうちにすまないといけないね。


「でも、お料理のこと断っちゃってごめんね。私、わがままだから」


 常盤君がお料理上手になっちゃったら、私なんて必要ないって言われるかもしれない。

 そう思うと、不安になっちゃうの。

 だからお料理は苦手なままでいてほしいの。

 常盤君が食べるものは全部、私が作ったものじゃないとダメ。

 

「……今日はいっぱい濡れちゃったなあ」


 手を洗って再びキッチンに戻ろうとしたとき、水で冷たくなった指先を見つめる。

 まだ、私の手の冷たさを彼は知らない。

 私って、とても冷え性だから手をつないだらびっくりすると思う。


「ふふっ、だけどびっくりさせちゃおうかな。帰り道、私の手をちゃんと握ってね」


 ね、常盤君。

 約束だよ?

 握ってくれないと私、拗ねちゃうよ?

 絶対、離したらだめだからね。



「ふう、うまかった」


 あっという間に完食してしまった。

 夢中になって食べたオムライスの味の余韻に浸っていると、先輩がキッチンに戻ってきた。


「食べ終わった?」

「は、はい。お腹いっぱいです」

「そう。なら片付けするから部屋にいて」

「い、いえ俺がやっておきますから」

「ダメ。料理は片付けまでがお料理だから」

「でも……」

「いいの。お部屋、戻って」

「わ、わかりました」


 なぜそんなに俺を部屋に戻したがるのかはわからないが、先輩は譲る様子もなかったので俺が従うことに。

 その時、椅子にかかった上着を取ろうとすると「それは置いておいて」と。


「え、なんでですか?」

「今日、借りたから。ちゃんと洗濯して返すから」

「い、いいですよそんなの。ちょっと羽織っただけだし」

「ダメ。洗濯するから置いてて」

「は、はあ」


 その理由もよくわからないまま、とりあえず上着を椅子に掛けて俺はキッチンを出る。

 もしかして、俺が先輩の着た上着を嗅いだりしようとしてるって思われたのか?

 そんなこと、しないのに。

 なんか信用ないよなあ、俺って。



「ふふっ、いただきます」


 彼の使ったスプーンをペロッとなめるのが私の飢えを満たしてくれる。

 汚いとか、そんなことは関係ないの。

 彼とキスをする勇気もない私はこうして彼と間接キスすることで、欲求を満たすしかないんだから。


 でも、さすがに見られちゃうと恥ずかしいから。

 ごめんね、いつも追い返すようなことしちゃって。

 それに上着も。

 常盤君ももしかしたら、私の着た上着を抱いて寝ようって、そんなこと思ってくれてたのかもしれないけど。


「それは私のものだから。常盤君の上着、今日はいっぱい堪能したいの」


 ちゃんと返すときは、私が身にまとってから渡すね。

 ふふっ、やっぱり私たちって似た者同士だ。

 お花の趣味も合うし、舌も合う。

 

 ああ、帰りたくないな。

 でも、さすがに二晩続けてだと、うちの親も心配するし。

 パンダちゃんも悲しむだろうから。

 今日は仕方なく帰るけど。

 明日はまた、泊まっちゃおうかな。

 そうだ、帰ったら荷支度しないと。

 お泊りセット、持ってこないと。


 歯ブラシはもうあるし、タオルは常盤君が使ったものを使いたいし……あと必要なのは何かなあ。


 ふふっ、足りないものがあったらまた買い物いけばいっか。

 明日もデートだね、常盤君。



「洗い物、終わったよ」


 部屋で一人ぼーっとしていると外から先輩の声がした。

 急いで外に出ると、廊下に先輩の姿はもうなく。


 一階に降りると玄関先に先輩が立っていた。

 なぜか俺の上着を羽織っていた。

 まだ寒いのかな?


「すみません何から何まで。あの、今日はもう帰ります?」

「うん。日が暮れる前に帰ろうかな」

「そ、そうですよね。ええと、それじゃ送っていきますね。あの、上着はほんと気を遣わなくても」

「ううん、いいの。洗って返すから」

「は、はい。じゃ、行きましょうか」

「うん、お願い」

 

 先輩は先に家を出る。

 俺は慌てて靴を履いて追いかけると、玄関を出たところで先輩が大事そうに、さっき買った花を抱えていた。


「あ、そういえば花、買ったんでしたね。持ちましょうか?」

「ううん、大丈夫」

「重くないですか?」

「うん、重くないよ」

「そ、それならいいんですけど。しんどくなったら言ってくださいね」

「うん」

 

 植木鉢を抱えた先輩を連れて俺は家を出た。

 そして先輩について行くと、家を出て少し左に向かったすぐの角を曲がったところで先輩が足を止めた。


「うち、ここなの」

「え、ここ? めっちゃ近所ですね」


 なんと、先輩の家は数軒隣の家だった。

 こんなに近所とは、さすがに意外すぎてちょっと驚きを隠せずにいると先輩が言う。


「中学の途中からここに引っ越してきたの」

「あ、そうなんですね」

「うん。送ってくれてありがと」

「い、いえいえ。こっちこそ何から何までいつもすみません。ご飯、美味しかったです」


 先輩の家は普通の一軒家。

 和風な作りで、綺麗な門があって石畳が玄関まで続いている。

 

 先輩の暮らす家に少し気を取られていると、先輩は片手で門を開ける。

 今日はここまで、か。


「あの、それじゃ俺はここで」

「帰るの?」

「え、ええまあ。どこもいくところとかありませんし」

「そっか。お風呂入ったら、寝るの?」

「そ、そうですね。特にやることもないですし」

「うん、わかった。お花、ありがと」

「い、いえ。こちらこそ色々とありがとうございました」


 このまま帰るのは名残惜しかったけど、ずっと植木鉢を抱えたままの先輩と玄関先で立ち話ってわけにもいかないだろうと、俺はさっさとその場を離れた。


 角を曲がる前に振り返ると、先輩はまだ門の前で俺の方を見ていた。

 それに対して一礼して、角を曲がる。

 

 先輩の姿が見えなくなると、夢から覚めたような気分になった。

 

「先輩こそ……この後、何するんだろう」


 夜は長い。

 この後、誰かとデートに行ったり、誰かが家に来たり、誰かの家にお邪魔したりするのかな。


 そんな相手、いないでほしいけど。

 いたところで俺がとやかく言える立場じゃない。


 ああ、せめて連絡先くらい聞いておけばよかった。

 口実なんかいくらでもあったはずなのに。


 ……上着、明日返しに来てくれるのかな?


 だったら、明日こそはもっと先輩のこと、教えてほしい。

 どういう男が好きだとか、どんなことが趣味だとか。


 もっと知りたい。

 

「先輩……俺……」


 家に帰ると、静かな玄関先にかすかに先輩の香りが残っていた気がした。


 その甘い香りに胸を痛めながら部屋へ戻る。


 早く明日が来て欲しい。

 早く、先輩とまた話が、したい。


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る