既成事実

「へえ」


 先輩に手を伸ばしかけたヤンキーは、再び俺の方を振り返ってニヤリとした。


 俺は、覚悟した。

 この後、どこか暗いところに連れて行かれてボコボコにされる。

 そう確信して身構えた。


 男は、俺の肩をつかむ。

 ビクッと体を震わせながらも、俺は最後の抵抗とばかりに声を絞り出す。


「……あの、俺はどうなってもいいから、その人だけは、み、見逃して、ええと」


 もう、声が震えてなにがなんだかだ。

 でも、こんな大嘘までついたんだからせめて彼女は助けたい。


 そう願って怯えていると、俺の首がガッとロックされた。

 ここで絞め殺される?

 もうダメだと諦めたとき、笑い声が聞こえた。


「はっはっは、なんだお前、めっちゃ男前じゃんか」

「……へ?」


 男は俺の首を腕で軽く絞めながらも、本気で力を込めることもなくむしろ抱きつくようにして。

 機嫌良さそうに俺に絡む。


「いやー、まじで悪かったよにーちゃん。俺ら、まじで人の彼女とかナンパするつもりはなかったんだけどよ。でも、彼女さんの為に体張れるやつとか、俺は好きだぜ」

「あ、あれ? あ、あの」

「俺は赤糸浜南高の高代ってんだけどよ。まー、こんな風貌だからよく勘違いされるわけよ。頭わりーけど不良とかじゃねーのになあ」


 気さくな雰囲気で高代と名乗る男がそう話すと、取り巻きが「いやいや、さっきイライラしてたくせに」といじる。


「だってよー、ねーちゃんがあんまりにも冷たい態度だからつい、な。でもまじごめん、じゃあそういうわけだからお構いなくデートしてくれや」

「あ、あのー」

「ま、この辺じゃ俺んことビビってるやつ多いし、困ったら名前使ってくれていいから。今日の詫びってことで」

「え、は、はい」

「んじゃな」


 高代は、さっさと取り巻きを連れて建物を出て行った。


「……はあ、よかったあ」


 確実にリンチされると身構えていた俺の緊張は一気にほぐれ、その場に崩れ落ちそうになる。

 が、そんな時に目の前で立ちすくむ先輩の姿が目に入る。


「あ……あの、大丈夫、でした?」

「……」

「あ、あのー?」

「……」


 先輩は固まっていた。

 虚な目で、じっと床を見つめている。

 相当怖かったんだろうか……。


「も、もう大丈夫ですよ。は、話してみたら案外いい人っぽかったですし」

「……」


 どう話しかけても先輩はフリーズしたまま。

 

 もしかして、俺が勝手に彼女とか言ったことを怒ってる?


「せ、先輩さっきのは、ええと、あいつらを追い払うためにですね」

「……」


 ダメだ、何を言っても無反応すぎる。

 俺がいる方が迷惑なのかなあ……。

 ただ、さっきの人たちは運良く話が通じる相手だったけど、あんな風にガラの悪い連中はその辺をうろちょろしてるし。


 置いて帰るのも心配だ。


「あの、よかったら俺、送っていきますけど」


 先輩のことだから十中八九「結構です」と断られるだろうとは思ったけど、助けたついでに気にかけるくらいのことはさせてほしかった。

  

「……」

「あの、誰かと待ち合わせ、とかですか? だったらそれまで、ここにいましょうか?」

「……」


 俺が何を言っても先輩は反応なし。

 せめて何か言ってほしかったが、これ以上しつこく話しかけたのでは、俺の方が先輩に迷惑をかけてるようになってしまう。

 放っといてくれということなら仕方ない。


 俺は諦めて、先輩を置いて建物を出ようと。

 振り返ったその時、服の裾をぎゅっと掴まれた。


「え?」

「……送って、くれる?」

「せ、先輩?」

 

 振り返ると、先輩は震える指で俺の服を掴んでいた。


「……」

「あの、帰ります?」

「うん」


 小さくうなずいた先輩は、またしてもそのまま固まってしまった。

 俺は、先輩に服をつままれた気まずさでフリーズしそうになるのを何とかこらえて、一歩踏み出しながら前を見たまま先輩に、


「そ、それじゃ、ついてきてください」

 

 ぎこちなくそう言って、一緒に建物を出た。



 常盤君、どうして君はいつもそんなに素敵なんだろう。

 私、名前を呼ばれたときにもう、意識が飛びそうになってた。


 そして、知らない人の前で堂々と彼女だって、紹介してくれた。

 うれしい。

 私、こんな内気で暗い女だから、私みたいなのと付き合ってることをほかの人に知られたくないんじゃないかなって、ちょっと心配だった。

 お義母様にだってちゃんとお話してなかったみたいだし。

 不安だった。

 でも、そうじゃなかった。


 ちゃんと、私とのことをみんなに言ってくれるんだ。

 えへへ。


 彼女、かのじょ、カノジョ……。

 常盤君ったらツンデレさんだから普段は彼女なんて言ってくれないけど、ちゃんと人前でハッキリさせてくれるところが、好き。

 大好き。

 私は大好きな常盤君の彼女。


 あの一言で、あちこち濡れた。

 そのあとは目も、見れなかった。

 立ってるのがやっとだった。

 体中が震えた。


 私みたいに一人でお留守番すらもできないダメ女のために常盤君は身を挺してくれる。

 常盤君の勇敢な姿を見せられて倒れそうになっている私を、彼は心配そうに見つめてくれる。


 だけど、そんな甘えてばかりじゃダメだってことも、ちゃんと態度で示してくれる。

 何も言わない私に愛想を尽かした≪≪フリ≫≫ して、置いて帰ろうっていじわるな態度をとってくる。

 そんな厳しい彼も好き。

 大好き。

 す、き。


 でも、おいていかれたら私、寂しいの。

 一人にされたら、死んじゃう。

 だからありったけの勇気を振り絞って、彼を止めた。

 するとちゃんと彼は、私の勇気を汲んでくれた。

 

 えへへ、一緒に帰ろうだって。

 彼女、だって。

 えへ、えへへ。


 このまま一緒に帰って、何しよっか。

 うん、その前に家までの道のりで、手をつないだりしてくれないかな。

 私、そんなことされたらまた濡れちゃいそうだし、立てなくなっちゃうかもだけど。


 しっかり支えてね。

 大好き。


「常盤君、私を支えてね」

 

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