そこに君が立っていた

「……ここは?」


 目が覚めたら、教室でも廊下でもなく保健室のベッドの上にいた。

 そうだ、私は常盤君に会いにいって、でもやっぱり苦しくて保健室に連れてきてもらって……。


「常盤君……」


 常盤君は、ベッドの横の椅子に座ったまま、私の膝で眠っていた。

 ずっと、看病してくれてたんだ。

 優しい。大好き。


 ぼんやりとだけど、覚えてる。

 先生に反抗して、ここに残ってくれようとしたことも。

 私の手を握って、心配そうに声をかけてくれたことも。


「ダメだよ……そんなに優しくされたら私、ますます離れられなくなっちゃう」


 もう、このまま授業に戻るのも怖い。

 ずっと、ここで彼の寝顔を見ながら日が暮れるまで時間を潰していたい。


 常盤君、どうして常盤君はそんなに素敵なの?

 私のことをいつも第一に考えてくれる王子様でいてくれるの?

 私……私は、常盤君と少し離れただけで息もできなくなってしまうような女なのに。

 やっぱり、体目当て?

 ううん、違うね。常盤君は紳士だもん。

 じゃあ、ご飯を気に入ってくれたから?

 それだと嬉しいけど、だけど私より料理が上手な人が現れたらって思うと、全然安心できない。

 結局、幸せであるほど勝手に不安になって苦しくなる。

 かといって、常盤君に嫌いだなんて言われたら私、多分彼を殺して自分も死ぬと思う。

 ずっと、彼と一緒にいる方法って、ないのかな。

 どうしたら、ずっと一緒にいられるの?

 ねえ、教えてよ常盤君……。


「目が覚めたか、氷織」

「先生……はい、お騒がせしました」


 すやすやと眠る彼を見つめながらまとまらない思考をぐるぐると巡らせている私のところに、谷口先生が戻ってきた。


「過呼吸気味だったが、もう大丈夫みたいだな。授業に、戻れそうか?」

「……今日は、難しいです」

「そうか。しかし彼までさぼらせるわけにはいかんだろ。いい加減起こすぞ」


 先生が常盤君の肩を揺らそうと手を伸ばす。

 その時私はとっさに、先生の手を払いのけた。


「やめて」

「ど、どうしたんだ氷織?」

「私が起こすので。先生は触らないでください」


 たとえどんな女性であっても。

 常盤君に触れてほしくなかった。

 私の中の強い感情が、反射的に体を動かしていた。


「……そうか。なら自分で起こせばいい」

「はい、すみません」


 先生は何も悪意がないことは知ってる。

 だから謝った。

 そして、ゆっくり彼の肩に手をおいて、軽く揺らす。



「……ん? あ、あれ? ここは」

「おはよう」

「あ、先輩? お、俺寝てました?」

「うん」


 誰かに揺らされてうっすらと目が覚めた。

 自分でも眠っていた自覚がなく、大慌てで体を起こして椅子をひっくり返す。


「すみません、看病のつもりでここにいたのに……」

「うん、大丈夫。もう、よくなったから」

「そう、ですか。ええと、授業には戻れそうですか?」

「ううん、今日は無理かな。もう少し、ここにいる」

「わ、わかりました。ていうか今、何時ですか?」


 聞きながら時計を見る。

 すると、ちょうど昼の十二時を時計の針が指していた。


「なんだ、ちょうど昼休みか。午前中、さぼっちゃったなあ」


 スマホを見ると、金子から何通かラインが来ていた。

 メッセージを読む限りでは先生にはうまくいってくれてるようだけど。

 問題なのは先生よりクラスメイト達の方だ。

 みんな、俺と先輩が学校を抜け出して遊びに行ったと、そんな話でもちきりだそう。

 

「このままさぼっちゃいたいけどなあ」


 そんな空気の教室に戻る気も起きず、さらに寝起きとあって気が乗らない。

 しかしそばにいた谷口先生が「理由もなくさぼることは許さないぞ」と。


「ですよね……ええと、先輩はお昼、どうするんですか?」

「お弁当、あるの」

「あ、そうなんですね。それじゃ教室に取りに戻ります?」

「うん。でも、ちょっとしんどいかな」

「そう、ですよね。うーん」

「お腹、すいたよね? 二人分、お弁当用意してあるの」

「俺の分も、ですか?」

「うん。だから、やっぱり取りに、行かないと」


 先輩は力が入らない体で、よろよろと立ち上がろうとする。

 そんな姿を見て、俺は彼女に言う。


「俺が、とってきます」


 先輩はまだ、全快ではない。

 そんな彼女を、俺が恥ずかしいからって理由だけで無理に起こしてお弁当を取りに行かせるなんて、できない。


「でも」

「いいんです。それくらいさせてください。ええと、何組でしたっけ?」

「……一組。席は、奥の一番後ろの席だから」

「じゃあ、取ってきます」


 気は乗らないが、俺は一度保健室から出て、先輩のクラスへ向かうことにした。


 二年生の教室は、一年生の教室がある校舎の真向かいにある校舎。

 その一階の一番手前にある『二年一組』の表札が付いた教室の前に到着すると、教室の中から無数の視線を感じた。


「……失礼、します」


 それでもここまで来て帰るわけにもいかず、俺は下を向いたまま教室に入り、奥の席へ。

 すると、先輩の席であろう場所の横に、今朝先輩がもっていた紙袋が。

 

「これか」


 急いでそれを手に取ると、すぐさま振り向いて出口を目指す。

 上級生たちの視線が痛い。

 ただでさえ先輩と噂されて悪目立ちしている下級生の俺がこんなところに来て先輩の荷物を代わりに取っていったなんて、自ら既成事実を作りにいってるようなものだ。


「おい、待てって」


 そんな状況だからこそ一刻も早く立ち去りたかったのに、俺は誰かに呼び止められて足を止める。


「は、はい?」


 振り向くと、見覚えのある男子が一人、むすっとした顔で立っていた。


「お前、氷織と付き合ってるって本当なのか?」


 そう聞いてくる先輩男子は、確か以前に中庭で氷織先輩に告白をしてフラれてた人だ。

 サッカー部、だったかな。

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 適当にごまかして早く先輩のところに行かないと。


「あ、あの。それが先輩と何か関係が?」

「なんでもいいだろそんなこと。質問に答えろよ、なあ」

「……」


 どう答えたらいいのか、迷った。

 はっきりと「違います」と言えばそれで安心してくれるのかもしれないけど、それならどうして今こうしてお弁当を俺が取りに来てるのかと一から説明しなきゃならないかもとも思うし。

 逆に「付き合ってます」と嘘をつけば、いよいよ噂が噂じゃなくなる上に、この人にぶん殴られるどころじゃすまないことになるかもしれない。


 でも、そんなことよりも俺は一刻も早く先輩のところに行きたいんだ。

 頼むから見逃してくれよ……。


「なあ、どうなんだよ?」

「え、ええと」

「なんだ違うのか? なんかよ、一部ではお前が氷織のストーカーしてるって、そう噂してる連中もいるからな。その荷物だって、頼まれてもない癖に勝手に持ち出そうとしてんじゃねえのか?」

「そ、そんなことはないですよ。俺は彼女に頼まれて」

「じゃあ証拠見せろよ。今からあいつに連絡して、本当かどうか見せてみろ」

「……あ」


 連絡を取れと言われて、俺は気づく。

 そういえば、先輩の連絡先なんか知らない。

 俺は、先輩のことなんか何も、知らないんだ。


「おい、どうしたんだ? まさか今時連絡先も知らないのか?」

「そ、それは……」

「ははっ、なんだやっぱりお前があいつと付き合ってるのはただの噂かよ。どうせその噂だって、お前が人に言いふらしたんだろ」

「ち、ちが……」

「その荷物、俺が届けてきてやるよ。貸せ」


 目の前の男が、先輩のお弁当を俺から奪おうとする。

 話を聞いていた周りの連中も寄ってたかって「いいぞ、やれやれ」「さっすが正義の味方は違うなあ」と騒いでいる。


 俺は、必死で抵抗した。

 だけど、運動部の上級生に力で太刀打ちなんかできなくて、すぐに紙袋を奪われる。


「わっ」

「ったく。お前みたいな勘違い野郎があいつに近づくなよ。ちゃんと俺が弁当届けてやるからな」


 尻餅をついた俺に悪態を吐く男に対して、どっちが勘違い野郎だと言い返したかったけど。

 言えなかった。

 怖くて、何も。


 先輩が作った弁当の入った紙袋を嬉しそうに手にした男は、俺をにらみつけて教室を出ようとする。


 その時だった。


「あ」


 と、声を上げたのはこの教室にいた大半の人間だった。

 皆の視線が教室の後ろ側の出入り口に集まる。

 俺は何事かと思って振り向くと、


「先輩……?」


 そこに立っていたのは、氷織先輩だった。

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