心配だから


「おい、また先輩が来てるぞ」


 次の休み時間。

 金子が俺に声をかけて廊下を指さす。

 また、先輩の姿が廊下にあった。


「え、今度はなんだろう?」

「やっぱメンヘラなんだって。お前が好きすぎて教室まで来ちゃうんだよ」

「またすぐにそういう話にしたがるよなお前って。とりあえず行ってくる」


 金子の冗談は置いておいて。

 何か用かと先輩の方へいくと、先輩は少し顔を青くしながら俺へ弱弱しい視線を向ける。


「どうしました? 何か困ったことでも」

「私、ちょっと調子悪くて。保健室、いいかな?」

「保健室? え、ええいいですけど。先生とかがついてきてくれなかったんですか?」

「うん。それに、クラスに仲のいい人、いなくて」

「そう、ですか。と、とにかく体調が悪いなら保健室に急ぎましょう」


 先輩の表情はいつになく弱弱しく、いつもなら凛とした立ち姿なのに今日は体をふらふらさせている。

 本当に体調が悪いようだ。

 早く連れて行かないと。


「おーい金子、ちょっと保健室行ってくるから、先生に言っておいてくれ」


 一度教室に戻って金子に伝えると、「おっと、保健室でいちゃらぶとはやりますなあ」とからかってきながらぐっと親指を立てる。


「からかうな。本当に調子悪そうなんだよ先輩は」

「へいへい。だけどわざわざ保健室に行くためにお前のところに来るなんて、よっぽど好かれてるんだな」

「頼る人がいないだけだ。とにかく行ってくるから」


 金子と雑談している場合ではなく、すぐに話をきりあげて先輩のもとへ戻ってから、一緒に保健室を目指す。


 廊下を歩きながら、時々先輩は「くるしい」とつぶやいている。


「胸のあたりが、苦しいんですか?」

「うん。なんか、きゅうって締め付けられるの」

「心配ですね。あの、持病とかは?」

「そういうのは、ないかな。でも、病気かも」

「それなら保健室じゃなくて、病院行った方がいいんじゃないですか? 俺、先生に言ってみましょうか?」

「ううん大丈夫。少し寝たら、楽になると思うの」


 ずっと胸のあたりを押さえながら先輩はいつもよりか細い声で喋っている。

 俺はそんな様子を見守りながら、保健室まで先輩を連れて行く。


「先生、氷織先輩が体調悪いようですので見てもらえませんか?」


 保健室に常駐している養護教諭の谷口先生は、見た目二十代のきれいな女性だ。

 気は強そうだけど美人で、結構男子生徒からの人気があるとかないとかだけど、俺は怖くて近寄ったことがなく、これが初めての会話だ。


「うん? また氷織か。今日はどうした?」

「胸が、苦しいです。先生、少し横になってもいいですか?」

「そうか。なら、ベッドで寝ていろ」


 サバサバと対応する先生はすぐに先輩をカーテンの奥にあるベッドに寝かせる。

 そして寝そべった先輩に布団をかけた後で、カーテンを一度締めてから俺の方を鋭い目つきで見る。


「な、なんですか?」

「君はあの子の彼氏か?」

「え? えと、俺は……」

「まあいい。とにかく君は教室に戻りなさい。付き添いありがとう」


 先生は厳しい表情で俺に迫る。

 

「俺は、ええと……先輩の、後輩、でして」

「それはわかった。しかし後輩の君がいたところで何もできんだろ。ここは私に任せて早く戻りなさい」


 先生にそう言われて、俺は何も言えなかった。

 俺は先輩にとって、彼氏でもなければ友人ですらない。

 いつも成り行きで一緒にいるだけの、ただの知り合いだ。

 だから先生のいうことはごもっとも。

 俺なんかが先輩を心配してもしょうがないし、そんなことをする権利もない。

 さっさと教室へ戻ろう。


 そう思った時だった。


「帰らないで……」


 カーテンの奥から、先輩の声がした。

 

「先輩……」


 昨晩、先輩は一人だと寂しいと言って俺に抱きついて眠りについていた。

 きっと、保健室でも一人にされると寂しいのだろう。

 先生こそいるけど、先輩は他人は苦手だと言ってたし。

 俺を頼って、くれてるんだ。


 ……ごめん先輩、こんなこと言う資格があるかわかりませんけど。

 俺も、先輩と離れたくない。


「先生、俺にとって先輩は大切な人なんです。心配だからここにいてもいいですか?」

「……なるほど。そういうことなら私が君の担任の先生にはうまくいっておくよ。なあに、勉強も大切だが人を思いやる気持ちより大事なものはないからな」

「先生……」

「意地悪なことを言ってすまなかった。しかし最近、友達の看病をしたいとか、そういう理由でサボる連中が後をたたないのでな。君は、そうじゃないんだな?」

「は、はい」

「それでは、私は隣の給湯室でお湯を沸かしてくる。君は氷織のことを見ていてやってくれ」

「わかりました」


 先生が奥に消えると、俺はすぐに先輩のもとへ行く。


「先輩、大丈夫ですか?」

「うん。でも、一人だと不安で、寝れそうになくて」

「先輩が寝るまで、ここにいますから。ゆっくり休んで早くよくなってください」

「うん。じゃあ、手、握って」

「……はい」


 そっと彼女の手を握る。

 いつもより冷たい。やはり体調が悪いのだろう。

 先輩は俺の手を握ると「あったかい」とつぶやいてから、ゆっくり目を閉じて。


 やがて、静かになった。

 すやすやと、先輩は寝息を立てながら眠ってしまった。


「先輩……よっぽど疲れてたんだ」


 やっぱり、最近俺のために家事をやってくれていたせいもあるだろう。

 朝も早くから動いてくれてたし、きっとその疲れが出たんだ。


 なんか、先輩の負担になってんのかな、俺って。

 俺がいなければ先輩は普通に家に帰って、のんびり過ごして、朝もゆっくり眠って。

 こんなに疲れてしまうことなんて、ないのかもしれない。


「……先輩、今日はゆっくりしてくださいね」


 眠る先輩にそっと語りかける。

 その寝顔はとても綺麗で、不謹慎ながらこのままずっと先輩の寝顔を見ていたいなんて、そんなことを思っていた。

 それと同時に、俺はこのままでいいのかと、自問自答した。

 成り行きとはいえ俺は先輩に甘えっぱなしだった。

 料理とか、洗濯とか、今日からはもう少し自分でちゃんとしないと。

 先輩は怒るかもしれないけど、今日は自分でご飯くらい作ろうかな。


「氷織は寝たのか?」

「あ、先生。はい、よほど疲れてたみたいです」

「そうか。まあ、氷織は以前から保健室の利用が多いからな。元々虚弱体質のようだ」

「それじゃ、特に病気とかは」

「病気ねえ。そんな心配はいらんだろうが、まあある意味では病気なのかもな」

「と、言いますと?」

「いや、なんでもない。まあ、今日ばかりは氷織のわがままを聞いてやったらどうだ? 案外、ストレスが溜まっていただけかもしれないし」

「ストレス、ですか」


 まあ、他人の家で何の特にもならない家事を散々やっていて、ストレスにならないわけがないもんな。

 でも、先輩のわがままってなんだろう。

 先輩、あんまり自分のこと話してくれないからなあ。


「とりあえず起きるまでここにいるかい?」

「先生がいいのであれば、そうします。心配なので」

「そうか。なら、私は少し出てくる。奥のやかんにお湯があるから、起きたらお茶でもいれてあげなさい」

「はい、ありがとうございます」


 先生はそのまま保健室を出て行った。


 俺は、もう一度先輩の寝顔を見ながらため息混じりに考える。


 とりあえず起きたら謝ろう。

 俺が先輩の負担になっているなら、そうならない努力もしないといけないし。

 とりあえず、早く目を覚ましてほしい。


 先輩……。

 


 



 

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