胸が苦しい


「よう、朝からやってんな千代」

「言うな金子。俺だって恥ずかしいんだよ」


 休み時間。

 金子は嬉しそうに俺をからかってくる。


「いやー、すっかり有名人だぜ。あの氷織先輩を口説き落とした一年生といえば、この学校で知らないやつはいないって」

「大げさだし口説けてないし。先輩は単に面倒見がいいだけなんだよ」

「そういや、どうやって仲良くなったんだ?」

「まあ、母さんの知り合いだったんだよ。そっから、ちょくちょく会うようになって」

「そんで仲良くなって押し倒したと」

「バカ言うな。俺はまだ童貞だ」

「でも時間の問題だろ。ほら、外見てみろよ」

「え?」


 金子に言われて廊下の方を見る。

 すると、そこには氷織先輩が立っていた。


「おい、氷織先輩だぞ」

「あー、相変わらず尊い。あー、抱きてー」

「ほんと、やばい美人だよな。でも、ここに来たのはやっぱり」

「だな」

「ほんと、うんざりするぜ」


 先輩の姿に見蕩れていた連中はみな、俺の方を振り返って恨めしそうな顔を向けてくる。


 俺と先輩は付き合っていると、誰もがそう信じて疑っていない様子だ。

 違うんだけどなあ。


「おい千代、行かなくていいのか?」

「いや、だけどこの空気でいくのまずくないか?」

「でもよ、ずっとお前の方見てるぞ、先輩」

「……わかった。ちょっと行ってくる」


 席を立って、刺さるような視線を浴びながら俺は教室を出る。

 すると、先輩はゆっくりと俺の方へやってくる。


「あの、何かありました?」

「ううん、ちゃんと教室にいるか確認」

「そ、そんなことしなくてもちゃんと授業は受けてますよ」

「ううん、ちゃんと確認。心配だから」

「そんなに心配しなくても、俺は大丈夫ですからね」

「ほんと? 女の子と話したりしてない?」

「あはは、さすがにそんなことはしませんよ。それに隣の席は金子ですし」

「ほんとに?」

「ええ、誓って。ちゃんとしてますので安心してください」

「うん、わかった。じゃあまた、後で」


 最初は不安そうな面持ちだったが、先輩はようやく納得した様子で帰っていった。

 なんか心配するところが母親みたいだよなあ。

 年上の女性ってみんな、あんなふうに母性にあふれてるんだろうか。

 さすがに俺だって授業中に女の子と私語なんて不謹慎なことはしないし。

 結構厳しい先生が多いからそもそも雑談する隙もないし。


 ほんと、心配性な人だ。

 母さんとは性格は真逆だな。どうやって仲良くなったのかが不思議なくらいだ。


「おいおい、もしかして先輩ってメンヘラなのか?」


 席に戻ると、金子はにやにやしながら俺に聞いてくる。


「は? そんなわけないだろ。俺がちゃんと授業受けてるか心配だったんだって」

「いやいや、あの感じはそうじゃないだろ。お前が他の女と仲良くしてないかチェックに来てたに決まってるよ」

「お前らってほんとそういうの好きだよな。あの先輩に限ってそんなわけあるかっての。そもそも、俺たちは付き合ってもないんだし」

「えー、そうかなあ。絶対あの感じは嫉妬だと思ったけど」

「もし本当にそうならうれしい限りだけどな。あんま変な期待を持たすなよ。あとでがっかりするのは俺なんだから」


 もし金子の言う通り、先輩が俺にやきもちを妬いてくれてるのだとすれば、たぶん俺はこの場で飛び跳ねて喜ぶだろう。

 あんなに素敵な人が、そこまで俺のことを好きでいてくれるなんて幸せ以外の何物でもない。

 それこそ、ほかに何もいらないと言っても大袈裟じゃないくらい。

 ま、ありえないんだけど。

 ほんと、変な期待しないようにしよう。

 先輩はまだ、あくまで俺の保護者代わりに過ぎない。

 うちに泊まっていったのだって、添い寝したのだって、もしかしたら俺が夜な夜な遊びに出かけて羽目を外したりしないか、監視する目的でそうしただけかもしれないし。


「そういや金子、お前は高屋さんとどうなんだよ」

「おう、今日もデートだぜ。この前は告白し損ねたんだけどよ、今日こそコクってびしっと決めるぜ」

「いよいよだな。ほんと、お前の方がうらやましいよ」


 俺だって、先輩ともっと仲良くなって、ゆくゆくはそういうことをしたいって考えてるけど。


 無理だなあ、まだ。

 今仮に先輩に好きとかいっても、「そ」って言われてあしらわれそう。

 はあ、先が長いや。


「そういやさ、千代この前宮間さんに何か言われただろ」

「え? 高屋さんに聞いた?」

「ああ、ばっちりな。お前ってモテるんだな、マジで」

「いや、いろいろ偶然が重なった結果だよ。それに、告白されてすぐにフラれた感じだったし」

「まあな。あの二人はお前が氷織先輩と付き合ってるって思いこんでるからな。でも、もし宮間さんともっかい遊びたいんなら、俺の方からちゃんと話しておいてやるけど」


 金子はそう言ってから「ま、俺的にはお前が付き合うのはお高くとまった先輩より同級生同士の方がつるみやすいからいいってだけなんだけど」と続けた。


「お前の言いたいことはわかるけど、先輩はそんなに悪い人じゃないぞ」

「へーへー、言うと思ったよ。ま、それなら宮間さんのことはもう、いいな」

「ああ、彼女には悪いけど俺、やっぱり……」

「あーあーすっかり年上のお姉さんに絆されてんな。ま、気長に行こうぜ」

「ああ」


 そんな会話がまとまったところでまた授業が始まる。

 金子がさっき言ったような、先輩が俺に嫉妬してくれるようになる日は果たしてやってくるのだろうか。

 もしそんな未来があるのなら、一日でも早く訪れることだけを切に願う。

 先輩のやきもちなら、いくらでも妬かれてみたい。



 常盤君、女の子としゃべってなかった。

 うん、ちゃんと私のことを考えてくれてる。

 でも、私が目を離した隙に誰かと話してるかも。

 今、こうしてる間にも、他の子と授業を抜けて……ダメ、信じないといけないのに、心が苦しい。

 彼が今、本当に誰とも遊んでいないかって考えるだけで、胸が苦しい。


「くる、しい……」


 心臓がきゅうっと締め付けられたように痛む。

 私は授業中だというのに胸を押さえてうずくまる。


「おい氷織、大丈夫か?」


 先生が心配そうに私の方へ寄ってくる。

 でも、来ないでほしい。

 常盤君以外の人に、触れてほしくない。


「大丈夫、です。保健室、行ってきます」

「そ、そうか。誰かついていかなくて大丈夫か?」

「はい、結構です。一人で、大丈夫です」


 私は一人で、教室を出る。

 でも、もともと不安定で保健室に行くことが多かったから、誰もその光景を不思議そうにはしない。


 私は、息苦しい教室を出ると少しに息が楽になる。

 すうっと深く呼吸して息を整えると、自然と足は彼の教室の方へ向いていた。


「早く、常盤君に会いたい……」


 ちゃんと授業を受けてるか、確認しないと。

 私って、ちょっぴり心配性だから。


 そうだ、彼の授業が終わるまで外で待ってよ。

 そうしたら、休み時間に目いっぱい彼と会える。 

 でも、こうしてる間にも、胸がまた苦しくなる。

 私、常盤君がいないと、ヤダ……。


「常盤君に、保健室へ連れて行ってもらいたい。うん、それだとずっと、一緒にいられる」


 だから早く、常盤君のところに行かないと。


 

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