いただきます

「い、一緒に、ですか?」


 思わず声が裏返った。

 一緒に、ということはやっぱり一緒に寝るということなのかと、俺が目を丸くしているとベッドにぬいぐるみをポンとおいてから、


「うん、一緒に」


 そう言って俺の隣に座る。

 さっき風呂に入ったばかりで、俺と同じシャンプーやせっけんを使っているはずなのになぜか彼女の方からは全く違うさわやかな香りが漂ってくる。


「……あの、ほんとに俺は、大丈夫ですよ?」

「嫌? 私、こんな格好だし帰るのはちょっと、不安だから」

「まあ、確かに寝間着ですからその気持ちはわかりますけど。ええと、他の部屋もありますし」

「知らない部屋に一人は、不安。暗いの、怖いから」


 先輩がぶるっと身震いした。

 本当に不安そうな様子を見て、俺はこれ以上突っぱねるのはかわいそうだと、思ってしまった。

 

「……それじゃ、このぬいぐるみを挟んで、寝ます?」

「うん。それでいいよ。ぎゅっとしてくれていいよ」

「は、はい。それじゃあ、もう寝ます?」

「うん」


 先輩はゆっくり布団を剝ぐ。

 そして俺は奥に、先輩は手前にそれぞれ寝そべって、間にぬいぐるみを挟む。


「電気、消しますね」


 心臓がバクバクと脈打って呼吸が苦しい中、消灯した。

 部屋が暗くなると、自分の心臓の音がうるさいくらいに響いてくる。

 体中が脈打つ感覚で、風呂上りの時より熱くなっているのがわかる。


 先輩と、同じ布団の中にいる。

 考えまいとしてもその事実が俺に押し寄せてくる。

 部屋が真っ暗なのが幸いだ。

 目が慣れないうちに、寝てしまおう。


「ねえ」


 俺が煩悩と戦っていると、横から優しい声がした。


「は、はい」


 俺は天井を見上げたまま、返事をした。

 横を向けば先輩がそこにいる。

 でも、そこにいるとわかったら、俺はいろいろと我慢できなくなるかもしれない。

 いや、ていうかそもそもどうしてこんな状況になった?

 なんで先輩と俺、一緒に寝てるんだ?


「ねえ、ぎゅっと、しないの?」

「え? あ、ああそう、ですね。でも、大丈夫そうなので先輩が、どうぞ」


 俺はぬいぐるみの方を向く勇気がなかった。

 向けばその先にいる先輩に目が行って、理性が崩壊してしまいそうだから。

 だから結構ですと、断ったつもりだったのだけど。


「ぎゅっ」

「あ……」


 先輩は、ぬいぐるみごと俺をぎゅっと抱きしめてきた。

 緩衝材になっているぬいぐるみのおかげで体は触れないが、俺の体には彼女の細い四肢が絡みついた。


「せ、せん、ぱい……」

「ぎゅって、する。私、こうしないと、寝れないの」

「そ、そう、なんですね」

「いつも、おうちで一人だから。こうしてると、すごく安心する」


 暗闇から届く先輩の声は、普段よりも震えている気がした。

 

「先輩?」

「暗いと、怖いね。でも、こうしてると、ホッとする」

「……このままで、大丈夫ですよ」


 俺は先輩のことを何も知らない。

 どうして先輩が他人に対して臆病なのかも、いつもそんなに冷静なのに時々か弱い女の子みたいになるのかも、あんなに料理が上手なのかも、何も知らない。


 知らないけど、多分先輩にも色々あるんだと思う。

 家庭の事情とか、学校でのこととか、俺が知らない悩みや不安を、先輩だって抱えてるに違いない。

 そんな不安を、俺なんかが一緒にいることで少しでも和らげてあげられるなら……俺はいつだってそうしたい。

 こんなによくしてくれる先輩のために、そうありたい。


 一時の感情で、そんな先輩の信用を無駄にしたくはない。


「おやすみなさい、先輩。このまま、寝ましょう」

「うん。おやすみ」


 湧き上がる衝動との闘いに勝った俺は、途端に気が抜けて眠気が襲ってきた。

 先輩の手はちょっと冷たいけど、人肌の独特な安心感にも誘われて。

 俺はようやく、目を閉じた。



「寝ちゃった……?」


 すやすやと、彼の寝息が聞こえてくる。

 常盤君って、とてもウブで紳士なの忘れてた。

 私ったら、もう体も心も準備万端だったのに。

 ちょっぴり残念。

 だけど、寝る時も一緒にいられるから幸せ。

 

 ぬいぐるみさんは枕元によけて。

 彼に、ぎゅっとする。


「えへへ、私の特権だもんね。大好きだよ、千代君」


 彼の耳元でささやく。

 そして、彼の寝息にまた、私は少し興奮する。


 暗闇に目が慣れてきて、彼の唇がうっすらと目に映る。

 気持ちよさそう。


「……寝てる間だったら、ノーカウントなのかな。ね、だけどいいよね?」


 キスくらいなら。

 いいよね。

 一緒に寝ようって、言ってくれたもんね。


「えへへ、今日は私が大胆になっちゃう。ね、いただきます」



「……ん」

 

 朝。

 目が覚めると隣に先輩はいなかった。

 代わりにいたのは、昨日先輩のために取ったぬいぐるみだ。

 やっぱり、昨日先輩と一緒に寝たなんて夢だったんじゃないかと思ってしまう。

 でも。


「夢じゃ、ないんだよな」


 布団に残る先輩の甘い香りが、夢のような現実を証明している。

 ほんと、何がどうなってるんだ。


「朝ごはん、できたよ」


 ぼんやりとぬいぐるみを見つめていると、部屋の外から先輩の声がした。

 

「は、はい。起きてます」


 慌てて返事をしてからすぐに布団から飛び起きる。

 そして外に出ると、廊下には何かが焼けたいい匂いが漂っていた。


 その匂いにつられるようにキッチンへ行くと、エプロン姿の先輩がこっちを見て「おはよう」と。

 その何気ない一言にまで、俺はドキッとしてしまう。


「お、おはようございます」

「昨日は、よく眠れた?」

「え、ええ。せ、先輩こそ、寝れました?」

「うん。とてもいい夜だったよ」


 うっすらと、先輩が微笑んだ。

 よほど寝心地がよかったのか、とても上機嫌に見える。


「そ、そうですか。ええと、でも、泊まったりして、ご家族は問題なかったんですか?」

「大丈夫。それより、今日から学校だから食べたら早く着替えてきて」

「は、はい。それじゃいただきます」


 今日はこんがり焼けたソーセージとハムエッグ、そして味噌汁にご飯。

 こういう素朴なものが美味しくて、落ち着く。


 でも、なんだか唇がヒリヒリする。

 昨日の夜、乾燥してたのかな?


「あの……昨日、乾燥してました?」

「ううん。とてもみずみずしかった」

「そうなんですか? なら、いいんですけど」

「うん。とても気持ちよかった」

「そう、ですか」


 普通、他人のベッドとかだと寝にくいと思うのだけど。

 やっぱり先輩は、寂しがりやさんなのかもしれない。

 俺がいた方が気持ちいい夜を過ごせるなんて、言われるだけで変な気が起きそうだ。


「……いや、我慢しろ」

「どうしたの?」

「い、いえ。こっちの話です。それより先輩の方こそ、着替えとりに帰らなくていいんですか?」

「うん。もう、持ってきてるから」

「あ、そうなんですね」

 

 持ってきてるってことは、最初から俺の家に泊まるつもりだったってことなのか?

 いや、そうじゃないな。

 多分朝早起きして取りに帰ったんだ。

 先輩、早起きだもんな。


「ご馳走様でした。それじゃ俺、着替えてきます」

「うん。私も準備する」


 一度部屋に戻り、制服に袖を通す。

 今日はどういうわけか、先輩と一緒に登校する。

 一緒に家を出て一緒の電車に乗って一緒に学校へ。


 まだ、信じられないな。

 まさか俺が先輩とこんなに一緒にいるようになるなんて。


 ……一緒に登校してるところを見られたら、みんなにどう思われるんだろ。

 やっぱり、勘違いされるのかな。


 でも、先輩となら勘違いされても嬉しいだけだけど。

 それが勘違いじゃなくなるまでにはあとどれくらい頑張ればいいのか。

 ていうか、頑張った先にそんな未来があるのだろうかと。


 遠い目標を自覚して、少し憂鬱になりながら俺は部屋を出た。

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