はじめて


「ちょっ、ちょっと……紫苑さん?」

「ぎゅっ」

「……」


 部屋に入ろうとしたその時だった。

 俺は後ろから、先輩に抱きしめられた。


 そっと。

 細い腕で。

 でも、しっかりと。

 そしてその腕は、体は、少し震えていた。


「紫苑さん、部屋に戻りましょう」

「うん。あのね、私もお話したいの」

「は、はい。それじゃ」


 後ろから抱きしめられたまま。

 俺は部屋のドアをあける。


 そして一緒に部屋に入ると、先輩はそっと絡めていた腕を外してから先にベッドに腰掛ける。

 俺も、その隣へ。


「……紫苑さん、今日は色々ありましたね」

「ううん、もういいの。私、千代君が庇ってくれたからそれでいい。だけど、クラスの女の子達がなんで怒ってたのかも、よくわかんないの。私たちの邪魔をしたいってこと、なの?」

 

 紫苑さんは本当に何もわからないと言った様子で俺に聞いてくる。

 俺は、なんとなく宮間さんたちの怒っていた意味はわかる。

 要するに幸せなんてものをお裾分けなんて、できないってことだ。


 人が幸せなら妬ましくて。

 自分が幸せなら自慢したくて。

 人が不幸なら憐れむふりをして。

 自分が不幸なら人のせいにしたがる。

 

 みんな結局、そんなものなのだ。

 宮間さんも、口では応援してるなんて言ってたくせに、結局俺が先輩と仲良くしてるのが気に入らなかったってことだ。


 それに、そう思うことがおかしいとも思えない。

 それが普通だし、俺も前はそんなふうに他人を羨んでいた。


 でも……。


「紫苑さんは、純粋なんだと思います。他人が幸せそうで羨ましいとか、あんまり思ったことないんじゃないですか?」

「他人が幸せで羨ましい……うん、あんまりないかな。自分が幸せかどうかって……大切な人が幸せかどうかって。それだけだから。でも、千代君が他の子と楽しそうにしてたら、苦しいよ?」

「あははっ、そんなの俺もです。紫苑さんが男の人と喋ってるだけで落ち着かないですし、そういう嫉妬心は誰だってありますよ」

「……あの子たちも、嫉妬してたの?」

「それもあるかもですね。まあ、俺は気にしませんけどそういう人もいるってことで、学校では隠れて会いましょう」

「私と一緒にいるところを見られるのが嫌だから、じゃなくって?」

「当たり前ですよ。できることなら全校生徒の前で、「俺は紫苑さんが好きだ」って言ってやりたいくらいです。でも、そんなことしてまた邪魔されたり、紫苑さんに嫌がらせする人がいたら嫌なんで。俺は、紫苑さんのことを第一に考えて、そうしたい」

「私の為……うん、私も。千代君の言ってること、わかる。明日からは私、コソッとお迎えにいくね」

「はい。じゃあ、明日から大丈夫そうですね」

「うん」


 ちょっと意外だったけど、先輩は本当に嫉妬しやすい人なんだ。

 でも、それだけ俺のことを大事に思ってくれてるってことでもあるから。

 この人にやきもち妬かれるのなら、むしろ嬉しい。


「……寝ましょうか、そろそろ」


 普段考えないことを考えて、頭を使ったせいか少し眠くなってきた。

 先輩も、やっぱり気疲れがあるのかちょっと目をとろんとさせているように見えた。

 しかし、


「じゃあ、一緒だね」

 

 先輩がそう言って手を握ってきたことで、さっきまでの眠気がまたどこかへ。

 俺は、部屋が明るいまま自然と顔を先輩へ近づける。

 

 そして、


「……ん」

  

 ゆっくりキスをした。

 そして、ゆっくりと顔を離すと、


「電気、消して?」


 顔を赤くした彼女がそう言って俺の服を細い指でキュッと掴む。

 俺は、自分の心臓の音がどんどん大きくなるのを感じながら、震える手で枕元に置いてあるリモコンをとって。


 部屋を暗くした。

 常夜灯にするつもりがうっかり真っ暗にしてしまったのだけど。


 先輩は「この方がいい」というのでそのまま。

 一緒に、ベッドに入った。


「紫苑さん……まだ目が慣れなくてあんまり見えませんね」

「うん……でも、千代君がいる。わかるよ、私。息が、荒れてる」

「……紫苑さん」

「うん、いいよ。今日は、大丈夫な日だから。いっぱい私を、抱いて?」


 その言葉に、俺の今まで保っていた理性がプツンと切れた。


 初めて、女の人の身体に触れた。

 初めて、女の人の身体を見た。

 初めて、先輩をこの手に、抱いた。


 何がなんだか、暗くて無我夢中だったっていうのもあるけど。 

 でも、それはとても気持ちがよくて、とても満たされて、とても幸せな気分になった。


 先輩の息遣いが、先輩の喘ぐ声が、先輩の全てが俺に伝わってきた。


 そのあとのことはもう、あまり覚えてはおらず。


 体力が尽きて眠りにつく頃にはもう、窓の外はうっすらと明るくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る