おかしくなんかない

「さてと、そろそろ休み時間だから二人とも教室に戻りなさい」


 お茶を飲んでゆっくりしていると、先生にそう言われて。

 時計を見ると保健室に来てからもう三十分以上が経っていた。


「はい。お茶、ご馳走様でした。紫苑さん、戻りましょっか」

「……戻らないとダメ?」

「さすがにずっとサボるのは良くないですから。ほら、その、写真も撮りましたし」

「写真……うん、そうだね。じゃあ、行く」


 先輩もようやく踏ん切りがついた様子で立ち上がる。 

 そして二人でコップを先生に返してから保健室を出る時に。


 先生が、俺を見ながら言った。


「仮病はほどほどにな」


 そう言って、また換気扇の下でタバコに火をつける。

 先生は俺の体調がなんともないことくらい、お見通しだったようだ。


 深く頭を下げてから、扉を閉める。

 そして休み時間になって騒がしくなってきた廊下を先輩と二人で歩きながら、それぞれの教室を目指す。


 先に向かったのは先輩の教室。

 その少し手前で、先輩は足を止める。


「ここでいいよ。私、一人で大丈夫だから」

「わかりました。あの、昼休みはどうします?」

「お弁当、あるから。千代君の教室にお迎えいくね」

「い、いえ俺が迎えに」

「ううん、大丈夫。私がいくから」

「わ、わかりました。それでは」


 先輩は俺に小さく手を振りながら教室に入っていった。

 その姿を見届けてから俺も教室へ。

 すると、心配そうに金子が俺を出迎えてくれる。


「おい、大丈夫かよ千代。いきなり体調不良なんてよ」

「すまん、もう大丈夫だよ」

「そっかあ。いやーしかしあの氷織先輩と夫婦なんてとんでもない幸運があったんだから、体調不良の一つくらいないとな」

「恥ずかしいから夫婦とか言うなよ。でも、たしかに最近運が良すぎて怖いくらいだよ」


 そう言いながら、俺はスマホを取り出す。

 ちょっとだけ、この幸せを自慢したかった。

 金子にくらいならいいだろ。


「なあ見てくれよ。先輩の写真、待ち受けにしてんだ」


 何度見ても可愛い先輩の写真。

 まるで先輩がそこにいるような、カメラ目線の先輩。

 なんて可愛いんだろうと、自慢げに金子に見せると、なぜか金子は苦笑いしていた。


「はは、さすが可愛いなあ氷織先輩は」

「何だよ金子、彼女を待ち受けにしてる俺に引いてんのか?」

「なあ、それって千代が自分でしたわけじゃないんだろ?」

「ん、なんで?」

「いや、バッチリカメラ目線だし。氷織先輩にそうしてくれって言われたんじゃないかなって」

「まあ、そうだけど。でも、俺も嫌じゃなかったし」

「そっ、か。まあ、お前がいいなら俺は別にいいんだけど」

「?」


 金子はちょっと眉間に皺をよせて何か考え込む様子を見せる。

 何か俺たちのことで心配なことでもあるのかと思ったが、すぐに「まあ、千代が幸せならそれでいいか」と。


「お、おう。なんだよ、急に黙るからびっくりしただろ」

「すまんすまん。でも千代、美人と付き合うのは色々大変だから頑張れよー」

「なんだよそれ。まあ、ライバルは多いだろうけど、フラれないように頑張るよ」

「いや、まあその心配は無さそうだけど」

「え、なんで?」

「あーいやなんでもない。とにかく、幸せな千代様のご利益をもらうぜー」

「お、おい触るなよー」


 金子が俺の肩や背中をベタベタと。

 そんなことをしていたら授業開始のベルが鳴る。

 次の授業中は、先輩からの連絡はなかった。

 さっきは連絡先を交換したばかりで、浮かれていたのかな?

 だとすれば先輩って、可愛いところあるんだな。

 純粋というか、天然というか。

 そういうところも、彼女の魅力だ。


 うん、なんか幸せだな。

 昼休み、早くならないかな。

 早く先輩に会いたいな。



「えへへ、千代君……えへへへ」


 教室の隅の席で私は、ずっと彼の写真を眺めている。

 ずっと彼の顔が見られる。

 幸せ。

 それにね、さっき電話した時に彼の声も録音してたの。


『もしもし……紫苑さん』

「はい、何かなあ千代君?」


 幸せ。

 もちろん本物がいいけど、こうしてるだけで寂しさは随分と紛れる。


「おいおい、氷織が笑ってるぞ?」

「なあ、さっきから携帯に向かって何喋ってんだ?」

「壊れた……俺たちの氷織が壊れちまった」


 さっきから、なんだか視線を感じる。

 男たちからの気持ち悪い視線だ。

 いつも、いつも、いつも。

 私のことをいやらしい目で見てきては、不快にさせて。


 それでも無視してればいいかなって思っていたけど。

 今は、無理。

 私の幸せな時間を邪魔するな。

 邪魔するなら……死んで。


「……見るな」


 無意識のうちに私はは立ち上がっていた。

 そして、視線の先にいる連中を睨む。


「死にたい?」


 思ったことがそのまま口に出た。

 すると、みんな私からさーっと離れていく。


 うん、それでいいの。

 私の幸せな時間まで邪魔する権利なんて、誰にもないから。

 

 また、席について千代君の写真を眺める。

 コソコソ、ひそひそと話す周りの声が聞こえる。

 おかしいんじゃないかとか、やっぱり変なやつだとか、みんな私の悪口ばかり。

 何がおかしいのか、さっぱりわからない。

 好きな人に精一杯の愛情を見せることの何がおかしいのか。

 嫌いな人に、嫌いって言うことの何がいけないのか。

 わかんない。

 でも、いいの、別に。


「千代君がいるから、いいの。ね、千代君♡」

 

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