第92話

私の目の前にはとぐろを巻き真っ赤な舌を出しながら獲物を狙う蛇の様なクラウスと、毛を逆立てながら威嚇して主人を守ろうとする仔犬の様なイナンが睨み合っている。


「ねぇ?ローゼル嬢。私の忠告覚えていますか?」

「え、ええ、はい……まあ……」


クラウスに睨まれて冷や汗が止まらない。なんだろうこの感じ……浮気現場を見られた彼女の様な……いやいやいや、そもそも付き合ってないし、やましい事は何もない。なんで私がこんなに恐縮しなきゃならんのだ。


理不尽だと思うが、この人に睨まれたら言葉が上手く出てこない。


「おやまあ、女性に人気の団長ともあろうお方が、その様に女性に詰め寄るのは宜しくないのでは?」


言葉に詰まっている私を援護するかのようにイナンがクラウスに物申してくれた。


「……貴方には関係の無いことです」

「へぇ?貴方様でもその様な顔をするのですね。でも……男の嫉妬は醜いですよ?」

「──なっ!!!!」


クスッと嘲笑いながら耳元で言われたクラウスの顔は真っ赤に染まった。

クラウスは手を握りしめ悔しそうにしながらイナンを睨みつけているが、イナンは涼しい顔で私の傍に寄ってきた。


「見つかってしまっては仕方ないので大人しく貴方について行くことにします」


そうクラウスに伝えると私の髪に口を付けてきた。


「───ッ!!」


クラウスは分かりやすく動揺している。それは私が呆れるような素振りは見せているが嫌がっていない雰囲気を察したのが一番大きいのかもしれない。


そんなクラウスを揶揄うようにイナンはクスクス笑いながら部屋を出て行った。クラウスは何か言いたそうにしていたが、ギリッと唇を噛みしめイナンの後を追って出て行った。


「まったく、子供っぽいところは変わってないんだから……」


そう呟いて、ベッドに転がった。




◇◇◇




ダンッ!!!!!


「なんですか!!あの者は!!!」


珍しく荒れているクラウスがやって来たのは、イナンと言う星詠みの者をシェリング家から連れて城に戻ってきてすぐの事だった。


ノックもなしに執務室のドアを開けて粗々しく入って来たかと思えば、シェリング家で何かあったらしい。ここまでクラウスの心を乱すとなれば、十中八九ローゼルの事だろう。


「随分と荒れているな。お前らしくもない」

「これが落ち着いていられますか!!」

「まあ、落ち着け。話ぐらいは聞いてやる」


手にしていた書類から目を離すと、クラウスに向き合った。


「で?一体何があった?」

「どうもこうもないですよ。シェリング家に滞在したいと言うから何か裏があると思いましたが……」


クラウスの拳を見ると、目一杯力が込められているのが分かる。必死に怒りを抑えようとしているのだろう。


(本当に何があったんだ?)


この男が感情を表に出すなんて珍しい……そう思っていたが、次に出たクラウスの言葉にその理由がよく分かった。


「あの者は……ローゼル嬢をこの国から連れ去るつもりです」

「は?」

「ローゼル嬢もローゼル嬢です!!私があれほど警戒しろと伝えておいたのに、簡単に自室に連れ込みよもや体に触れることを許しているなど……!!」


クラウスはその様子を思い出したのか、再びダンッ!!と力任せに机を殴りつけた。


その言葉を聞いた私は一瞬で全身の血が沸騰したかのように熱くなり、無意識に持っていたペンを握りつぶしていた。怒りで頭がどうにかなりそうで殺気が部屋に充満している。


確かに探れと依頼をしたのはこちにらだが、慣れなしくしろとは一言も言っていないぞ……!!


やり場のない怒りに思わずお茶を運んできた侍女を睨みつけてしまい「ヒッ」と悲鳴をあげ足早に去って行くのを見てクラウスに「殺気を抑えてください」と苦言され、落ち着かせるために深く深呼吸した。


「………………お前が荒れている理由は分かった」

「そうみたいですね」


先ほどまで荒れていたクラウスは落ち着きを取り戻し、いつものクラウスに戻っていた。


「それで?ローゼルを連れ去ると?」

「ええ。どういう理由で彼女を欲しているのは分かりませんが……この短期間であそこまで親しくなるのはおかしいです。私ですら警戒されていたんですよ!?」


比べる所は間違っているが言っている事は正しい。

仮にもシェリング家の令嬢だ。得体の知れない者に簡単に心を開くとは思えない。我々ですら今だ警戒心を向けられることがある。


何か術にかけられているのか……?いや、あそこにはローゼルに従順な獣がいる。少しでも変な動きがあれば黙ってはいないだろう。ではなんだ……?


「…………ド…………アルフレード!!」

「!!!」


クラウスの声にハッとした。


完全に自分の世界に入っていたことに気づき、大きな溜息を吐きながら頭を抱えた。


「大丈夫ですか?」

「ああ、少し考え事をしていた」

「周りに気づかないなんて、らしくないですね」

「お前に言われたくないがな」


先ほどのお返しだと言わんばかりに言い返され睨みつけるように見ていると、どちらともなく「クスッ」と笑みがこぼれた。


「ありがとうございます。だいぶ頭が冷えました」

「おかげでこっちは夢見が悪そうだ」

「あははは、それはすみません。ですが、聞いておいて良かったでしょ?」

「確かにな」


これだけ軽口を言えるのなら大丈夫だろう。


「報告は以上です。暫くは用心しておいた方が良さそうですね」

「ああ、すまないが頼む」

「勿論です。お仕事中失礼致しました。では、失礼します」


入って来た時とは打って変わって、晴れやかな顔でその場から去って行った。


ドアが閉まると「フー」と息を吐き、シワの寄っていた眉間に手を当てた。


そして、空を見上げながら想い人の顔を思い浮かべ呟いた。

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