第115話

「誰が誰と婚約だと?」


その場が一瞬で凍りつくような冷たく低い声に、俯いていた顔を上げてみる。

そこには、先日までの優しく柔らかい雰囲気は一変。仁王立ちで、射殺すような鋭い視線を聖女に向けるアルフレードがいた。


「随分と勝手な事をしてくれたな」


聖女は顔を歪ませ、唇を強く噛み締めている。


怒りと殺気がこちらにも伝わってきて、周りの者らは顔面蒼白になりながら震えている。


私と言えば今だに状況が飲み込めず、茫然としながらアルフレードを見つめていた。

その視線に気がついたのか、こちらに視線を向けてきた。


「ローゼル」


優しく微笑みながら手を差し伸べてきた。私の名を呼びながら……


そこでようやく意識がはっきりした。同時に涙が溢れ、気が付いたらアルフレードの胸に飛び込んでいた。


「なんで私達のこと忘れてんのよ!!馬鹿じゃないの!?」


涙は止まらないが、文句の言葉は忘れない。


「すまなかった」


泣きじゃくる私を宥めるように、大きな腕で力強く抱きしめてくる。忘れかけていた温もりに、ようやく安堵する。


「お取り込み中のとこ悪いんだけど、姉さんに触らないでくれる?」


イナンが睨みつけながらこちらを指さしたが、アルフレードは「断る」と即答。


「おかしいなぁ。こんな未来視えなかったけど……」


イナンはアルフレードにかけていた術が解けた事よりも、この現実が受け入れられない様だった。


どうやって術を解いたのかなんてどうでもいい。今この瞬間が現実ならそれでいい。


「アルフレード!!」

「ああ、クラウスか。心配かけたな」


令嬢達に囲まれていたクラウスも駆けつけ、正気に戻った事を確認すると、その場に崩れ落ちた。


「良かった…本当に…」


ポタポタと涙で地面が濡れている。

初めて見せた涙に色んな思いが込み上げてくる。


簡単に解けるようなものではないと聞いていたが、本当は簡単に解けるものだったんじゃないの?あの爺さん適当ぬかしやがったか?と、この場にいないユーエンに恨み節をぶつけるが、アルフレードが「お前の所の魔術師のお陰だ」と口を開いた。


「もしかしてルド?」

「そうだ。わざわざ私を嗾けるような置き言葉をくれたんでな」


遠くにいるルドを見ると「知らんな」と手を頭の後ろに組み、素知らぬ顔をしている。主従関係があるから、心内は何となく分かる。


(素直じゃないわね)


ルドらしいと感心しつつ、この件が終わったら改めて礼をしようと考えた。


「お前達には世話をかけた。ゆっくり礼をしたいところだが……そうもいかんようだ」


アルフレードの言葉に、グッと涙を止めて前を見据えた。

今は、感情に浸っている場合では無い。


その証拠に、いつの間にか来場者が騎士に入れ替わっていて、聖女様なんて鬼の形相でこちらを睨んでる。


「お前達は何者ですの?アルフレード様を返しなさい」

「返せと言われて返す馬鹿はいないわよ。それにアルフレードはあんたのものじゃない」


アルフレードを庇うように前に出て言うと、後ろから嬉しそうに笑う声が聞こえる。


「まさか、お前に庇われる日が来るなんてな」

「勘違いしないで。あの女が気に入らないだけだから」

「ほお?妬いてくれたのか?」

「──ッ!?ち、違うわよ!!」


背後から抱きしめられ、スリッと頬を摺り合わしてきた。思わぬ行動に、心臓が痛いほど脈打っている。


そんな二人を止めるように、アルフレード目掛けてクナイが飛んできた。クナイは頬を掠め、壁に突き刺さった。


「…いい加減にしてくれる?それ以上、汚い手で姉さんに触らないでって言ってるだろ?」


視線の先には殺気まみれのイナンがクナイを手に、アルフレードを睨みつけていた。その目は完全に獲物を仕留めるものだ。


「あいつの相手は私が……」


飼い犬が間違ったことをすれば、叱るのは飼い主の責任だ。前世とはいえ、イナンハーデスの教育係でもあった私に責任はある。


そんな思いで腰につけていた剣を抜いたが、それをアルフレードが止めてきた。


「いや、あの者は私が相手になる。向こうもその気だろう」


真っ直ぐとイナンを見据えている。二人共殺る気でいるが、相手は元殺しのプロ。しかも、今世では狡い能力付き。変な術を使われたらおしまい。また、私達の事を忘れるかも……


そんな心配が頭を横切るが、アルフレードの大きな手が頭を撫でて来た。


「安心しろ。もう二度と忘れない」

「…………」


優しく微笑みかけられ、アルフレードの首に手を回し抱き着いた。


「絶対よ」

「ああ」


耳元で確認するように呟くと、アルフレードは強く抱き締め返しながら一言だけ伝えた。

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