アテン神☆ぷりーず ~ツタンカーメン王の幽霊とミイラ作り職人の少年~

ヤミヲミルメ

ツタンカーメン王の幽霊とミイラ作り職人の少年

帰ってくるって信じています

第1話「初めてか?」

 ナイル川の流れが遠い南の地から運んでくる泥を、四角い木枠にギュッと詰めて固めて乾かして作る、日干しレンガ。

 白茶の家々が連なるは、エジプト王国の首都、大都市テーベ。


 聖なるナイル川をはさんで、日の出の東岸は生ある人々が暮らす町。

 日の没する西岸は、死者の家である墓や、葬式専用の神殿などが集う場所。


 その西岸の岩陰に隠れるように建てられた工房で、年若いミイラ職人・カルブは、部屋の中央の作業台に乗せられた生乾きの遺体を前に、ハァッと盛大なため息を吐いた。


「……ツタンカーメン様……」

 祈りを込めてその名を唱える。

 享年十八歳。

 カルブと同い年だった。

 若くして死した王は、生まれながらにいくつもの障害を抱えており、杖なしでは歩くこともままならなかったと聞いている。




 数日前の祭りの日に民の前に現したファラオの姿を、群衆に混じってカルブも仰ぎ見ていた。

 砂粒を巻き上げたカラカラに乾いた風が、灼熱の太陽に照りつけられた人々の素肌と、男達の腰布と、女達の筒状のワンピースをたたきつけていた。


 ファラオは白馬に引かれた豪勢な立ち乗り馬車チャリオットに乗って駆けていた。

 馬の足が早すぎたために、カルブは国王の頭の形にも足の細さにも気づけず、カルブの目にはツタンカーメンはただただ立派なチャリオットを操る立派なファラオとだけ映った。


 ファラオを死に追いやった事故は、カルブの目の前で起きた。

 日の光の眩しく照りつける下で、瞬きをした次の瞬間、群衆の歓声は悲鳴に換わっていた。




(本当はじいちゃんに来た依頼なのに……こんな時に腰を痛めて入院なんて……)

 一般的な業者ではご遺体一人に複数の職人がつくのに対し、カルブの流派ではご遺体と一対一。

 全ての責任がカルブ一人に来てしまう。

 処置の最中は、周囲に人はなるべく少なく、厳粛なる作業場に余計な話し声など立てないように……というのがカルブの一族の流派である。

 だからファラオのご遺体があるのに、ろくな警備もついていないわけだが……

(だからって逃げるわけにもいかないしなぁ……)


 覚悟を固めてファラオのお体を眺める。

 まず目につくのが、いびつな形の頭蓋骨。

 次は内向きにゆがんだ細い足。

 しかし顔だけは整っていて美しい。


 カルブは目を閉じて深く息を吸い込んだ。

 薬品のニオイが肺を満たす。

 ハーブやスパイス……といえば聞こえは良いが、単品でもニオイのきつい葉っぱや木の実をつぶして混ぜて煮詰めて作った強烈な虫除けと、防腐剤。

 普通の人ならばクサいクサいと大声で叫び出すようなものではあるが、幼い頃から嗅ぎ慣れたカルブには心地良い。


「良くムセないな」

 誰のものとも知れない声に、カルブはハッと目を開けて当りを見回した。

 誰も居ない。

 死者の守り神であるアヌビス神の像があるだけだ。

 見張りの兵士は建物の外、それもニオイを嫌ってか、戸口からずいぶんと離れている。

 先ほどの声はカルブのすぐ耳もとで聞こえた。

(今のはオレの心の声……? いや、あれはオレの友達に言われた言葉だ。しょっちゅうあんな風にからかわれてばっかいるからな。その記憶が幻聴になってよみがえったんだ。きっとそうだ)


 宗教的な細工の施された黒曜石のナイフを手に取り、アヌビス神の像に一礼し、ファラオの遺体に視線を戻す。

 細い足にはめられているギプスをはずすと、足の皮を突き破るほどの骨折の跡が現れた。

 数日前の祭りのさなか、王はチャリオットから落ちた。

 生まれつき虚弱だったツタンカーメン王は、この傷口から感染症を起こし、事故からわずか数日でこの世を去った。


 最初に遺体を洗い清める作業は、すでに神殿で済まされている。

 カルブがこれから行うのは、遺体からの内臓の摘出。

 そのために遺体に切れ目を入れるのは……遺体に傷をつけるのは、気が沈む。


 皮膚に触れ、ナイフをどこまで深く入れるか、皮膚の下の臓器をイメージする。

「一人でやるのは初めてか?」

 心の声に耳を閉ざす。

(ここが胃、ここが肺……心臓は最後まで残す……)

 位置を確かめようとして、カルブの指が思いがけずファラオの乳首に触れた。

「なんかエロいな」

 確かに聞こえた!

 こんなの自分の声じゃない!

 振り返ってもアヌビス神の像があるだけ……?

 違う! 居た!

 神像の台座に腰かけて、いかにも幽霊といった半透明な姿の少年が、ニカッと笑って白い歯を見せて手を振った。

 その幽霊は、歪んだ頭蓋骨と細すぎる足をしていた。

 カルブは慌てて手もとと後ろを見比べた。

 その幽霊は、手もとの遺体と同じ顔をしていた。

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