第9話「干しブドウが入ったパン!」

 二人が一息ついている間にも、アテン神は縮んでいく。

 ツタンカーメンとカルブの、動けなくなるほどに膨らんだ腹がペコッと引っ込み、食事の前のようにぐううううっと鳴り出した。


「二週目、行きます! 干しブドウが入ったパン!」

「来い! 干しブドウが入ったパン!」

 ガツガツむしゃむしゃ、アテン神に霊力カーを送る。


 蚊が霊力カーを吸って膨らんで、蚊と蚊の間の空間が埋まって、二匹がくっついて一匹になる。

 それがさらに膨らんでくっついて、数を減らしながら大きくなって、だんだんと人間の姿になっていく。


 ツタンカーメンの心臓の霊力カーを奪ったハシャラ。

 老婆ハシャラの魂は、天寿を全うしたあともアケトアテンに留まり続け、廃墟にふらりと帰ってきたスメンカーラーを守っていた。

 何年かしてファラオが死に、アテン神とアメン神が争っていると聞きつけてテーベまで様子を見に行ったが、テーベへの道のりは遠く、ハシャラがそこに着いた時には神々はすでに仲直りしていた。

 アテン神に、もっと闘ってほしかった。

 アメン神が屈するまで。

 だけどそれを望むのは、他ならぬアテン神の教義に反する。

 ハシャラは悩み、もだえ、誰も居ない砂漠で暴れた。

 よれよれになってアケトアテンに戻ってみると、スメンカーラーは死んでいた。


「行きます! ソラマメの煮物!」

「来い! ソラマメの煮物!」


 カルブのミイラ工房に遺体を託されている、病死した中年貴族のホッマは、アケトアテンに住んでいた頃、パンの研究に明け暮れていた。

 アケトアテンを離れたあとは、パンの安定した発酵技術でさらに裕福になった。

 だけど心は満たされなかった。

 周囲の顔色をうかがい、他の神を崇めるフリをどれだけ続けても、心はアケトアテンに置き去りで、安らぐのはアテン神を想う時だけ。

 先王アクエンアテンが語った神は、ホッマの性格に合っていた。

 慈悲深くあれという教えを、なかなか実行できない自分にさえ慈悲をかけてくれる。

 駄目な自分を許してくれる。

 だからこそ自分も他人を許そうと思える。

 そんな素晴らしい神なのに、たたえてくれない人のことが、いつしか許せなくなっていた。


「行きます! ビール!」

「来い! ビール!」


 蚊柱がどんどん人に戻っていく。

 十人……二十人……

 それぞれに事情を、想いを、抱えた人々……


「行きます! 水鳥のソテー!」

「来い! 水鳥のソテー!」


 幽霊達は触手にしがみついたままフワフワとたゆたっていたが、自分が人の形に戻っていると気づいた途端、畏れるようにアテン神から離れ始めた。

 ずっと求めていた存在を目の前にして、彼らは気づいてしまったのだ。

 自分達の行いが、この神の信者として、ふさわしいものではなかったことに。


「行きます! レモンが入った発酵乳!」

「来い! レモンが入った発酵乳!」


 アテン神の触手が幽霊達の手を優しく握る。

 神はゆっくりと回転をしながら、太陽そのものの笑顔を全方向に振りまいた。

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