第2話「もし本当に」
遅い朝食の後、工房へ行き、ミイラにかぶせたナトロンを交換する。
カルブの作業が終わるのを待って、ずっと黙りこくっていたツタンカーメンが口を開いた。
「もし本当に暗殺だとしたら、犯人は誰だと思う?」
「へ?」
ふざけて返そうかとも思ったが、この幽霊が長時間おとなしくしていたのだから相当に真剣なのだろうとカルブも読み取る。
「そうですね……」
あごに手を当て、王が死にいたる傷を追った日の様子を思い出す。
祭りの中で威勢を張って猛スピードで走る
「殺害方法は、チャリオットへの細工ですかね?」
「馬にも台座にも複数の警備兵が着いてたし、そいつらが妙なことをすれば別の警備兵が気づく」
「警備の目を掻いくぐれるのは?」
「おれの側近中の側近だけだな。部下に命令するとかじゃなく、自分で直接、手を下すってことになる」
「となると……」
「ああ。アイとホレムヘブだ」
挙げられた名前は、次のファラオの候補と一致した。
「動機はじゅうぶんに思えますが、お二人のうちのどちらかという決め手は……」
カルブは途中で声をひそめた。
当のファラオが相手だからこそこんな話をしているが、はたから見れば独り言。
神官のトップと軍のトップに対する不遜な話を外の兵士に聞かれたら、儀式です、ではごまかせないだろう。
「王位の他にも動機はあるぞ。二人ともな。まずホレムヘブは単純に、アンケセナーメンに惚れてるからだな」
「ふむふむ」
「あいつは先々代のアメンホテプ三世王の時代からエジプト王家に仕えてるからな。アンケセナーメンを、おれと会うより前から知っているんだよ、あのロリコンの変態親父は」
「いやでも今はもう王妃も二十歳ですしっ! ちゃんと大人の恋愛ですしっ!」
「アンケセナーメンへの襲撃を仕組んだのもあいつかも。アンケセナーメンがなびかないんでキレて傷つけようとしたか、寸前で助けに入って点数を稼ごうとしたのかも」
「そんな幼稚な」
ツタンカーメンはしばし天井を眺めた。
ファラオの死が本当にただの事故ではなかったのかも、その犯人がアンケセナーメンを狙ったのと同じ人物なのかもまだわからない。
「アンケセナーメンを殺したがってるのって、一番怪しいのはアメン神の神官連中なんだよな」
王が視線を下ろす。
その目はカルブを通り過ぎ、自身の足もとを見つめる。
「アンケセナーメンは、今はアメン神を崇めてるけど、もともとは先代のアクエンアテン王と一緒にアテン神を信仰していたんだ。おれがツタンカー“テ”ンだった頃な。
……おれが改宗したのはおれの意思だけど、アンケセナーメンはおれについてきただけで、自分で考えて決めたわけじゃないんだ。あの頃はおれも子供だったから、あいつの態度を無邪気に喜んでた。でも今はその危うさがわかる。
ヒッタイトの王子との婚約、な。おれ達はザナンザのやつはエジプトには来ないって知ってるけど、王宮では到着が遅れてるだけだって思われてる。
もしもアンケセナーメンがヒッタイトの王子と結婚をして、夫にヒッタイトの神々への改宗を迫られれば、あいつはそれに従う。名前だって、もともとはアテン神への信仰を表したものだったのをおれに合わせてアンケセン・アメンに変えたように、アンケセン・テシュプにきっとなる。それが国内にもともと居る神官達の反発を招き、自分の命を危険にさらすことに繋がるってわかっていても」
ファラオが顔を上げた。
王の視線はどこか遠くを見ていた。
「ヒッタイトの王子がエジプトのファラオになれば、エジプトの神々の神殿は、ヒッタイトの神々の神殿に建て替えられる。アテン神は変わり者とはいえエジプトの神々の中の一人。それでも先代の宗教改革ではあれだけの混乱が起きたんだ。異国の神々に乗っ取られるってなれば、どれだけの血が流れるかわからない」
「それでは襲撃者を仕向けたのは、神官達の長である大神官のアイ様なのでしょうか?」
「ところがそうでもないんだな、これが。アンケセナーメンの名前を勝手に使ってヒッタイトの王に手紙を送ったのは、他ならぬアイのやつだったんだ」
「そんな! 何でアメン神の大神官がそんなことを?」
「おれが前にちょこっと異国の神々に興味を持った際に、アイがいろいろ調べてくれたんだよ。もしその時にヒッタイトの神官との繋がりができていたとしたら、アイを下から突き上げてくる国内の神官を、ヒッタイトの神官に横から押さえつけてもらえる」
「まさか……それではアイ様ご自身の信仰心は……」
「先代アクエンアテン王の宗教改革で多くの神官が右往左往する中、アイは神々の間を器用に渡り歩いて今の地位を手に入れた。でもそのせいで足場が弱いんだ。あいつな、大神官のくせに子分の神官におちょくられてるんだよ。アイが王宮に勤めてる間に何度もファラオが代わってるのに、一度もファラオの葬儀を仕切ったことがないって」
王の葬式を“司る”のは王の後継者の役目で、ここでいう“仕切る”は裏方の代表という意味である。
庶民に知られることはあまりないが、王宮の中では重要だ。
「アクエンアテン王の時代には、王族の葬儀は全部、根っからのアテン神官が取り仕切っててな。もちろんアクエンアテン王本人のもな。その時の神官ってのがアイより若くてさ。
先々代や、もっと前のファラオの時は、アイも新人とか中堅とかだったから仕方ないとしても、先代の葬式を隅っこで見てるしかなかったのは、子供だったおれから見ても、めっちゃ悔しそうだったぜ。
でも国教がアテン神信仰からアメン神信仰に戻る際にほとんどの神官が切り替えにつまづいて、アイだけが群を抜いた立ち回りのうまさを発揮したんだ。それでアイが全部の神官を束ねる一番上のボスになったんだけど、年ばっか食って実績はないわけだからな」
「ま、待ってください! それじゃあ、アイ様がツタンカーメン様を暗殺したのだとすれば!」
「そう。その動機は、おれの葬式を挙げたいから」
「それによって大神官としての箔をつけたいから……」
「…………」
「…………」
「さすがにそれはないか」
「ないですよそれはさすがに」
今日の分の仕事を終えて工房を出て、アスワドと、新しく来たもう一人の見張りの兵士と挨拶を交わす。
アテン神とアメン神の戦いは今も続いているのだろうか。
いつものように沈み行く夕日。
夢で見たケペリ神は朝日の神で、夕日はまた別の、アトゥムという人型の太陽神が司っている……
「なあ、カルブ」
「何ですか?」
「クレープ作って。フルーツとクリームがたっぷり入ってるやつ」
「ちょっとトート神と話がしたいです」
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