第5話「アイとホレムヘブ」

 いつの間にやら工房の前に立派な馬車が二台並んで停まっている。

 その一台から、枯れ枝のような老人が、こちらの様子を伺いながら慎重に降りてきた。

 ツタンカーメンのもう一人の側近の、大神官アイだ。


「おお、アンケセナーメン様。ご無事で何よりですじゃ。急に居なくなったので心配いたしましたぞ。こちらにお出でとは、わしの勘が当たりましたのう」

 アイの言葉にホレムヘブが舌打ちをした。

 小さな音だがカルブには聞こえた。


「カルブ様が助けてくださいましたの! カルブ様は命の恩人ですわ!」

 アンケセナーメンがカルブの背中に隠れながら、もともと小さな声をアイにも届くよう張り上げる。

 ホレムヘブのほうを見ようとしないのは、そちらを向くと襲撃者の死体が目に入ってしまうからだろうか。

 月ぐらいしか明かりがないのが幸いだった。


「ほほう、何と何と。さすがはわしが選んだミイラ職人じゃ。まさか兵士よりも頼りになるとはのう」

 言い方が妙に嫌味っぽいのは、その兵士達を鍛える立場であるホレムヘブへのあてつけなのだろう。


「それにしても惜しかったのう、ホレムヘブよ。もう少しでアンケセナーメン様の命の恩人になれるところじゃったのにのう。職人よ、礼を言うぞ。おぬしのおかげでホレムヘブの英雄譚の証人にさせられずにすんだわい」

 アイは辺りをきょろきょろしながらゆっくりとカルブに歩み寄った。

 神官ならば葬儀に携わることも多いだろうからミイラ工房が珍しいとは思えないのだが、ここのように小さいところは初めてなのかもしれない。

 そしてカルブのすぐそばまで来てささやく。

「王妃の恩人だからって、職人風情が王妃の婿になれるなどとは思うでないぞ」


 突然の予想外の言い様に、カルブは目を丸くするしかなかった。

 どうしたものかとカルブがツタンカーメンに目をやると、王の視線は工房の外に向いていた。

 戸口から宿舎へ続く道では、ホレムヘブが連れてきた兵士が、見張りの兵士の手当てをしていた。

 アスワドは軽傷。

 アブヤドは重傷だが、他の人も含めて命に別状はないらしい。

 カルブはツタンカーメンの横顔を見て息をのんだ。

 傷ついた兵士を痛ましげに見守る王の眼差しは、自分の死骸から内臓が引きずり出される様を見てケラケラ笑っていた少年とは別人に見えた。


 工房の警備はホレムヘブが連れてきた兵士が引き継ぎ、襲撃者の遺体も彼らが処理する。

 兵士は将軍の担当ということで、アイは負傷兵をホレムヘブの馬車に乗せるように指示し、アンケセナーメンをアイの馬車に招き入れた。

 ホレムヘブがアンケセナーメンに微笑みかけると、アンケセナーメンは目を伏せた。




 星空の下をカルブとツタンカーメンの二人きりで船着場へと歩く。

 先ほどまでがウソのように静かで、風の音しか聞こえない。

「なあ、ホレムヘブのこと、どう思う?」

「オレが女なら抱かれてもいいって思うぐらいのナイスミドルっスね」

 カルブの答えにツタンカーメンがムッとする。

「アンケセナーメンもそう言うと思うか?」

「そうですねぇ」

 カルブは口もとに手を当てて王妃の態度を思い出した。

「タイプじゃないみたいに見えましたけど、でも、そーゆーのってわかりませんからね。むしろ、ってこともありえますし」

 アンケセナーメンの目のそらし方には明らかに特別な意味があったが、それを好意と断定するにはカルブ自身の恋愛経験が足りなすぎた。

「今ンとこ、あいつとアイの二人が次のファラオの候補だ」

「ということはつまり……」

 ツタンカーメンがうつむく。

 次のファラオになるというのは、アンケセナーメンの再婚相手になるということだ。

「なら次のファラオは……」

 カルブはホレムヘブの名前を言おうとした。

「アイだな。あいつもう勃たなくなってるから」

「たっ……!?」

 直接的な言葉に思わずたじろぐ。

「おまえさ、何でアヌビス神が、おれがおまえと話すのは許してもアンケセナーメンと話すのはダメってしてるのか不思議に思わないのか?」

「オレが無力で現世に何の影響もおよぼさないからでしょう?」

「は? 違げーよ。何だよそれ? そんなんじゃなくてさ……」

 ファラオは深々とため息をついた。

「おれがあいつに『こっちに来い』って言っちゃいそうだからだってさ」

 ファラオのため息を吸い込むように、カルブがハッと息をのみ込んだ。

「言うつもりはないよ。言うつもりはないけど、いざとなったら言わない自信がない」

 カルブはツタンカーメンの横顔を見つめ続けた。

「誰にも渡したくないんだよ……いけないってわかってるけど……誰にも渡したくない……」

 それから川を越えて自宅に着くまで、風の音だけが二人の耳を満たしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る