第5話「光」

「悲しい記憶が浮かんできたり、未来への不安でどうしようもなくなったら、我々神々を思い出しなさい。

 君が審判の神々に認められたこと。

 ネフェルテムが君を待っていること。

 今この瞬間もアヌビス君が、君を襲った蚊柱を追跡していること。

 防護服の霊体カーを維持するために、トート君が時空を支えていること。

 アヌビス君やトート君をたくさんの神がサポートしていること。

 ともに旅した私のことも。

 エジプトにはたくさんの神が居て、君を待ち受ける苦難の数より、君を守ろうとする神の数のほうが多いのです。

 それを決して忘れないように」


 そう言い残し、プタハ神は瞬間移動の術を使おうと手を掲げ……

 その手を何度も途中で降ろして、念のため杖を持ってきたけれど無闇に歩き回ったりしないようにとか、ランプがあるからって油断して悪霊に自分から近寄ったりしないようにとか、しつこくしつこく注意してから、ようやく立ち去った。


 一人きりになったツタンカーメンは、ひざまずき、神々に感謝の祈りを捧げつつ、時が流れるのを待った。

 五分間だけ。

 五分もすると退屈になって、アポピスの胃の中を探険し始めた。

 あんな風に口ずっぱくチョロチョロするなと言われれば、チョロチョロしたくならないほうがおかしい。



 重たい防護服で、よちよち歩きで、あっちへこっちへしていると……

 床が揺れた。

 アポピスが動き出したのだ。


「うわっ!」


 平らだった床が、一瞬で急斜面に変わる。

 生まれつき足の弱いツタンカーメンでは、踏ん張っても無駄だった。

 大蛇の細長い体の中の、細長い胃袋を、ファラオは転がるように滑り落ちていった。


「うわあああっ!?」


 あまりのスピードに目が回りそうになり、目をつぶる。

(杖はどこだ!? それよりランプだ!!)

 何があってもランプだけはなくすまいと握りしめる。


 体が止まり、目を開ける。

 辺りは真っ暗闇だった。

 ツタンカーメンの手に握られていたのは歩行用の杖で、ランプはどこかへ行ってしまっていた。


(やばい……やばいやばいやばい!)


 ひやり。


 へたり込んだままのツタンカーメンのほほに、何か冷たいものが触れた。

 全身を完全に覆う防護服をすり抜けて、直接。


「ひっ!」


 悪霊の手だ。

 それが、ツタンカーメンの顔をまさぐり、で回す。


 一本、二本、三本。

 次々とヘルメットの中に入り込んでくる。


「ひいいっ!」


 いくらもがいてもどうにもならない。

 ツタンカーメンの指は、ヘルメットの顔の部分の透明なシールドを掻きむしるだけ。

 悪霊の腕がここにあるなら胴体はこの辺、と、当たりをつけて杖を振り回しても、手ごたえはない。


 のたうって、転げて体の向きが変わって、遠くのほうに明かりが見えた。

(ランプ! あんなところまで飛ばされて……!)


 そちらへ駆け出そうとして、足首を悪霊に掴まれ、ブヨブヨの床にヘルメットの顔面を打ちつけられてズブリとうずまる。


(くそっ! ランプっ!)


 顔を上げると、光が、先ほどよりも大きく見えた。


(え?)


 光のほうからツタンカーメンに近づいてきている。

 最初は誰かがランプを手に持っているのかと思った。

 けれどその光は、ランプのものではなかった。


 あのランプがどこへ行ったのかはもうわからない。

 気にする必要は、もはやない。


 ランプはあくまで小さなランプ。

 だけどこの光は太陽のようにまばゆくて……

 目を射られ、ツタンカーメンが掌で作ったひさしが、ヘルメットのひたいにコツンと当たる。


 それは、光る人間だった。

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