第32話「ファジュルに」

「さあ、ガサクよ!! アクエンアテンへの復讐を果たせ!!」


 邪神セトの呪詛に呼応し、ガサクの無数のトゲが触手のように自在に曲がりながら、しかし金属の鋭さをもって、ツタンカーメンの翼に刺さる、刺さる、刺さる。

 ファラオの背中から生えるホルス神の翼を、アポピスのウロコに縫い止める。

 ツタンカーメンは痛みに叫びそうになり、とっさに奥歯を噛んで声をこらえた。

 セト神の前で弱さなどさらせない。


「そのままファラオの心臓をつらぬけ!!」

 セト神はツタンカーメンを、名前ではなくファラオと呼んだ。


「故郷を奪われた恨みを、アクエンアテンの息子に思い知らせてやるが良い!!」

 名前でなくアクエンアテンの息子と呼ぶ。


 ガサクの霊体カーから色が失われて灰色になっていく。

 ガサクの霊体カーが悪霊になっていく。

 それをランプの光が照らす。


「違う……」

 自身の手を見て、ガサクがうめいた。

「これは……こんなのは……ただの八つ当たりだ……」

 ガサクのトゲが、根もとからすっぽ抜けた。

「いくら学のない俺でも、つーたんを傷つけるのが間違ってるってぐらいはわかる。今の俺は悪人になってる。墓泥棒なんかよりもずっと……」

 ツタンカーメンはアポピスにはりつけにされたまま首を回してガサクを見た。

「でもさ……」

 トゲが抜けた穴から、新たなトゲが生えてこようとしていた。

「自分じゃ止められないんだ」

 そのトゲが伸びきる前に、ガサクはアポピスのウロコを蹴って、体を空に投げ出した。





 なりたい自分があったんだ。



 ファジュルにふさわしい男。



 なれないって、わかってた。



 でもせめて、こんなトゲだらけの醜い姿は見せたくないから。





 ツタンカーメンは磔から逃れられぬまま、はるか下へと目を凝らした。

「人の目では遠すぎて見えぬか? 奴の霊体カーはバラバラに砕け散ったぞ」

 邪神セトが嘲笑う。

「せっかくこの我輩が導いてやろうとしたというのに、アレでは悪霊として生きることすら叶わぬ。お前がもっと冷たい王であれば、あやつも気兼ねなくお前にトゲを突き刺せたのだぞ?」


 アポピスのしっぽのしなりが、ゆっくりともとに戻っていく。

 ゆっくりとツタンカーメンを持ち上げて、ファジュル達が待つ地へと運んでいく。

 邪神の声は、もうしない。







 上の冥界。

 ガサクが落ち、ツタンカーメンが飛び込んだ穴。

 その穴のへりに指がかけられたのを見て、ファジュルとプタハ神が駆け寄る。

 這い出てきたのは、ツタンカーメン一人だけだった。


「つーたん!! ガサクは!?」

 ファジュルの問いに、ツタンカーメンは下を向き……


 服の中に手を突っ込んで、青色に輝く小鳥を取り出した。

 普段は霊体カーに包まれて守られているバー

 気を失っているが、確かに生きている。


「ああ!! ガサク!!」

 ファジュルはひざまずき、ツタンカーメンの手の中の温かな魂に口づけをした。


 ツタンカーメンの背中の翼は切り落とされて、代わりに両腕両脚が、ホルス神のやたらとマッチョなものと入れ替わっていた。

 この肉体をもってすれば、アポピスの麻痺が解ける前に下へ行ってガサクを拾って戻ってくるのも、たやすいとは言わないが不可能ではない。


 余談だが古代の腰布にはポケットはなく、服の中から取り出したとは、つまりはパンツの中からである。

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