第3話「アポピスの胃液」

「落ち着いてください。この聖なるランプの光には、悪しき者は近づけません」

 プタハ神がランプをツタンカーメンに渡す。

 すると急に光が弱まって、悪霊達の声が近づいてきた。



『悔シイ』


『恨メシイ』


『何デ俺ガ コンナニ苦シマナケレバ イケナインダ』


『悪イノハ アイツナノニ』



 いったいどれだけ居るのだろうか?

 おどろおどろしい声が渦を巻く。


「君が怖がっているからですよ。ランプの光は心の光です。

 大丈夫、私がここに居るのです。心を強く持ちなさい」

 プタハ神の言葉にツタンカーメンがうなずくと、ランプの明かりが強まった。


 悪霊達が照らし出される。

 アポピスの胃の中の悪霊は、輪郭が辛うじて人っぽいだけで、地獄の大地で見た悪霊よりもさらにグネグネとおぞましい姿をしていた。



『アイツガ幸セニ生キテイルノガ悔シイ』


『アイツガ俺ヨリモ幸セナノガ恨メシイ』


『俺ガコンナニ 苦シンデイルノニ、何デ アイツハ地獄ニ 落チテイナインダ』


『アイツコソ地獄ヘ』


『ミンナミンナ地獄ヘ』


 光に阻まれながらもその視線はツタンカーメン達に集中している。


『オ前ニモ、恨メシイ奴ガ居ルノダロウ!?』


『オ前モ、我ラノ仲間ナノダロウ!?』


「違う! おれはアアルの野へ行くんだ!」

 ランプがカッと輝き、悪霊達を追い払った。



 プタハ神が感嘆を漏らす。

「姿が見えたら余計に怯えるかと思ったのですが」

「もしもガサクみたいなやつが居たらどうやって助けようって考えてたのに、必要なかったや」

 ツタンカーメンはプウとむくれた。


 ガサクが罪を犯したのは、ファジュルを天国へ行かせるため。

 そのために、自分が地獄へ落ちる覚悟をしていた。

 ここに居る悪霊達の望みは、他者を地獄へ落とすこと。

 自分が天国へ行くことよりも、そちらを強く望んでいた。



 悪霊は遠巻きにまだ声を張り上げ続けている。


『アノ女ガ アノ男ヲ 選ンダリシナケレバ、俺モ アンナコト シナクテ済ンダンダ!』


『アイツナンカノ商売ガ 俺様ヨリ ウマクイクナンテ アリエナイ! 何カズルイコトヲ シテイルカラニ決マッテイル!』


『イイ服ヲ買ッタカラッテ自慢シヤガッテ! デカイ魚ヲ釣ッタカラッテ自慢シヤガッテ! 呪ワレロ呪ワレロ呪ワレロ!』


 プタハ神がため息をつく。

「悪霊には二種類居ましてね。

 悪いことをして何が悪い、いっそ究極の悪を目指してやると開き直る悪霊は、邪神セトのしもべに。

 自分よりも悪いヤツが居る、自分の悪事なんか他と比べたら些細なものだと言い訳をする悪霊は、アポピスの餌になるのです。

 アポピスのお腹の中には悪いヤツがいっぱい居ますから、彼らはここで、自分より悪いヤツを見つけて安らぎを得るのです」

「安らぐんだ」

「安らぐんです。おっと! アポピスの胃液が来ました!」


 それは波のように押し寄せてきたけれど、ツタンカーメンは防護服が重たいので流されはせず、背中の酸素ボンベのおかげで溺れる心配もなかった。


 波が引くと、悪霊達が、溶けていた。



『悔シイ悔シイ悔シイ。何カワカラナイケレドモ悔シイ』


『恨メシイ恨メシイ恨メシイ。誰カ覚エテナイケド恨メシイ』


『呪ワレロ呪ワレロ呪ワレロ。誰ヲ呪ッテタンダッケ?』



 プタハ神がまたまたため息をついた。

「これが逆なら助けることもできたんですけどね。

 彼らにとっては、自分がここから出たいという気持ちよりも、自分傷つけた相手への恨みが。

 それよりも、他者を呪うという快楽こそが、他のことを忘れてでも維持していたい重要な記憶なのです。

 アアルの野は永遠なる記憶の野。仮に彼らがアアルの野に来れば、抱えている悔しさが永遠のものになってしまう。それこそ救いのない話です」

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