第2話「ファラオの葬式」
棺の中でカルブがささやく。
「タイミングが良すぎますけど、これも神様のお導きですか?」
「んーと……ここに居る神々はみんな違うって言ってるな。もし関わってる神様がいるんなら、ここに来てないわけないし、偶然だろ」
「ちょっと待ってくださいっ。そんなにたくさんの神様がいらしてるんですかっ?」
「だってファラオの葬式だもん」
「神様達はホレムヘブ様を止めないんですか?」
「人間同士の問題だからな。セト神が暴れたのとは事情が違うんだ」
布越しのカルブの耳に、不穏な金属音が響く。
「お待ちなさい!」
不意に飛び込んだのは、もともとか細いのを無理に張り上げたような声だった。
「ホレムヘブがアイを斬ろうとして剣を鞘から抜いたら、アンケセナーメンが侍女を一人だけ連れて入ってきた」
ツタンカーメンがカルブに説明する。
「これも偶然ですか?」
「んにゃ。ヒッタイトの神様が導いたっぽい」
「何で異国の神様が?」
「ザナンザ王子を迎えるために先乗りしてたっぽい。何もせずに帰るのが嫌で、エジプトの神々からの守護の薄いアイにつきまとってたっぽい。で、アンケセナーメンが、もともと来る予定だったのをちょっと時間を調整して話を聞けるようにしたんだな。エジプトの神々も、しょーがないなって顔で見てる」
「では自力で来たのはホレムヘブ将軍だけですか」
「そうなるな。やーい、仲間はずれー」
「ツタンカーメン様、それはやっちゃダメなやつです」
「うー」
叱られてファラオはシュンとなった。
「ホレムヘブ様、あなたがナイル川で殺したわたくしの侍女のイステヤーは、こちらに居るカラヘッヤの親友です」
アンケセナーメンの隣で、暗い顔の侍女が肩を震わせた。
「イステヤーは死ぬ前にカラヘッヤに話していました! ホレムヘブ様が、つーたんのチャリオットの手綱に細工をしているところを見たって! そのことでホレムヘブ様を脅して金塊をもらうつもりだって! その金塊を元手にしてみんなで自由になるんだって!」
どうやら王妃は“ゆする”という表現を知らないらしい。
「ふんっ。一国の王妃ともあろうお方が、たかが侍女の世迷い言を信じるなど……」
「カルブ様のミイラ工房でわたくしを殺しに来た方は、ホズン様とおっしゃるそうですね。ホズン様のお父上はアメン神殿の神官で、ホズン様ご自身も幼い頃は神官としての修行をなさっておられて……でもその神殿は先王様の宗教改革で破壊されて、ホズン様のご両親は絶望の中で亡くなられたと……」
アンケセナーメンの声が震える。
ホレムヘブは王妃がどこまで知っているのか覗き込むように睨みつけている。
「イステヤーやカラヘッヤも同じ境遇で、三人は幼馴染みだそうですね。行き場をなくした神官の卵達をホレムヘブ様が引き取って育てて……そこまでは素晴らしいですわ……でもホレムヘブ様が望んだのは、この方達の幸せではなかった……。あなたはこの方達の素性を隠して自分の手駒として王宮に送り込んで……そして……ホズン様を手引きしてわたくしを襲わせた……」
掌をグッと握り締め、王妃の透き通った声が響く。
「ホレムヘブ様はホズン様を逃がすことだってできたのに!」
「ホズンは、例え逆賊として捕らえられても口を割らずホレムヘブ様の名を出さず拷問にも耐え抜けば、アメン神のもとにきちんと葬ってもらえると信じておりました! それなのに……それなのに……」
「いくら身元を隠すためだからって、遺体を焼き捨てるなんてひどすぎます!!」
泣き崩れるカラヘッヤの肩を、アンケセナーメンが抱き締める。
死者の復活を信じてミイラを作るエジプト人にとって、屍を燃やすのは最大の冒涜。
自分が殺されかけたのに、アンケセナーメンはその襲撃者を哀れんでいた。
「みなさん! お願いします!」
アンケセナーメンが手を振り上げる。
戸口の陰に控えていた兵隊が広間になだれ込み、ホレムヘブを取り囲んだ。
その後ろから神官団もおっかなびっくりついてきて、アイは無事かと様子をうかがう。
アンケセナーメンは拳を強く握っており、両目に涙を溜めながらも、その雫はこぼれる直前で堪えられていた。
アイがホレムヘブに歩み寄る。
「何故じゃ……何故おぬしがアンケセナーメン様を……」
「その女がヒッタイトの王子を、異国の神々をエジプトに引き込もうとしたからだ」
将軍の言葉に、神官団の間にざわめきが起こった。
それは神官達の利益に関わる問題だからだ。
「ザナンザ王子が行方不明になったのは、アメン神の呪いである!」
ホレムヘブの叫びに、ツタンカーメンの幽霊は気まずそうにほおを掻いた。
「ではツタンカーメン様を殺した理由は……」
「アイ殿と同じだ。アテン神への唯一神信仰に戻ろうとしたのが許せなかった」
「おぬしもエジプトの混乱を恐れて……」
「しがらみがあるのは神官の世界だけではない! アクエナテンの宗教改革の時代を、アイ殿がありもしない信仰心をあると装うことで神官の世界を生き延びたように、私は篤い信仰心を隠すことで軍人の世界を生き抜いてきた! ずっと前から奴を殺したかった! 奴の名が気に入らなかった! あのような半端者の小僧が、あの名を名乗るのをやめさせたかった! アテン神信仰への復帰も、あの名を名乗り続けることも許せぬ! あの速度のチャリオットから落ちても即死せず何日も苦しみながら死んでいったのには笑ったぞ! ツタンカアメンだと!? アメン神の生き写しだと!? その名は! そのような立派な名は! 私にこそ相応しいのだッ!!」
当事者のファラオと場違いなカルブは、置き去りにされた気持ちでその叫びを聞いていた。
「アメン神はホレムヘブのこと気に入らないって言ってる。あ。アテン神と意見が合った。今、握手した。わー、アテン神の全部の手と順番にやってる。すっげー時間かかりそー」
ツタンカーメンは棺の端に腰をかけ、遠い世界を見つめながら細い足を揺らしていた。
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