第29話「そんなことねーよ」

 トゲは生えたり引っ込んだりをくり返し、その度にガサクの肌の文字は変化していく。

 ツタンカーメンはガサクを助け起こそうとしたが、トゲが邪魔でなかなか手を出せなかった。

 ガサクは倒れたまま目だけを動かして自身を眺めた。

「これって、さっきの字と違うのか?」

「ああ」

「何て書いてあるんだ?」

「憎いとか悔しいとか悲しいとか」

「くそ! セトが言った通りだ! アクエンアテンの声が頭から離れない……!」

「ガサク……」


「俺、アケトアテンに行ったんだ」

 アクエンアテンがファラオだった当時の首都の名だ。

「王様に、村を助けてって頼みに。アケトアテンは遠かったよ。俺は村の子供の中では一番、足が速かったけど、そんなの関係ないってぐらいに遠かった。

 だけど宮殿で、文字通りの門前払いをされた。子供だから相手にされなかったってのもあるけど、それ以前に……」

 ガサクの背中からひときわ大きなトゲが生えて地面を砕き、ようやくガサクは起き上がれた。

「……門前払いされたあと、演説を聴いたんだ。祭りの日に、広場の隅っこで。

 アクエンアテンは神の愛とやらを語ってた。子供だった俺の耳でも現実離れしてて薄ら寒かった。

 簡単に言うと、宗教改革で忙しくって、ほかのことになんか構ってられないって話だった。それが国境の警備を手薄にしていた理由なら、国境の近くだった俺の村のみんなを見殺しにした理由なら、村のみんなはアクエンアテンに殺されたのも同然だ!!」


 ガサクの脇腹から生えたトゲが、ガサクの腕を刺し、すぐにまた引っ込む。

 何も言えぬまま護符を差し伸べたツタンカーメンの手に、新しく生えたトゲが刺さった。

 ガサクはツタンカーメンから護符をひったくって自分で使おうとしたが、効果はほんの少ししか現れなかった。

「やっぱ神様は俺には冷たいや」

「そんなことねーよ」

 ツタンカーメンが護符を受け取ってやり直すと、ガサクの怪我はあっさりと消えた。

「コツがあるんだよ。おまえはそれがわかってないだけ。神々はおまえのことだって守りたがってる」


 ガサクは、すぅっと深く呼吸した。

神には感謝してる」

「うん」

「ホルス神も。つーたんはホルス神の分身なんだもんな」

「うん」

「村ではどんな神様を奉ってたんだろう……役人がアテン神の像を持ってくる前の……村のお年寄りが隠してたあれは、誰の像だったんだっけ……」


 ガサクの心が落ち着くにつれて、体のトゲは小さくなっていった。

(このまま縮んでなくなってくれ……)

 ツタンカーメンがそう思ったその時……


 空に光と影が差した。


 影の主は、わかりやすい姿をしていた。

 天を覆うほどの巨大なヘビ。

 アポピスだ。


 光の主は、類を見ない姿だった。

 光を放つ円盤。

 球ではなく円で表された太陽。

 そこから無数に伸びる、これまた光り輝く、触手のように細長い腕。


「アテン神……」

 ガサクの口から漏れた声には、憎悪の響きが込められていた。

 トゲが一気に大きくなった。

「あいつのせいだ……あいつのせいでエジプトがおかしくなったんだって、村の大人もアケトアテンの役人も言ってた……」

 地獄の空でアポピスは大口を開けてアテン神を追いかけ、アテン神は必死で逃げ回っている。

「ハ……ハハッ……ざまぁみろだ」

 トゲがどんどん長さと鋭さを増していく。

「アクエンアテンがあんな奴に夢中になったから……!!」



 その様子をツタンカーメンは悲しげに見ていた。

 ガサクのトゲがツタンカーメンをかすめ、とっさにかわす。

 トゲの先端が腰布に引っかかってスカートめくりのような状態になってしまってちょっと慌てたが、ガサクは気づいていなかった。

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