第3話「ヤだ」

 カルブがアテン神の像を棚から取り出したのを見て、ツタンカーメンが口の端をゆがめた。

「この生き写しはさすがにねーだろ」


 エジプトの神々の大半は、人間にそっくりか、人間の胴体に動物の頭を乗っけた格好をしている。

 例えば人の体に犬の頭のアヌビス神はその代表。

 犬は墓所を護る聖なる生き物なので、ミイラ職人の守り神にふさわしい姿である。

 神々のリーダーであるアメン神は、この時代の人間が考える理想形のような顔に、この時代の人間が考える理想形のような体をしている。

 太陽神のラーは勇壮なるハヤブサの頭に人の体。

 エジプトにはラー神の他にも、日の出のケペリ神や日没のアトゥム神、太陽の運行を手助けするトート神に、これまたハヤブサ頭で太陽のパワーを瞳に宿すホルス神など、さまざまな太陽関係の神がおられる。

 先ほどから名前の出ているアメン神もまた、豊穣神であると同時に大気の神であり太陽の神でもある。


 アテン神もそうした太陽神の一人なわけなのだが……

 アテン神の姿は独特であらせられ、もっとも太陽神らしい太陽神であるとも言える。

 外見的にまさに太陽。

 擬人化なんかしていない天体としての太陽。

 つまりただのマル!

 そのただのマルが顔であり頭であって、そのマルから伸びる無数の光の筋が、無数の腕の形になって、地上の人々に救いを差し伸べているのである。

 つまりアテン神の姿には頭と腕しかない。

「さすがに無理がありますね」

「ところが先王サマはそう思っていなかったんだよ。

 先王サマは、おれのこの貧弱な脚がいつか消えて、胴体もなくなって、このゆがんだ頭蓋骨から腕が生えて本当にアテン神そっくりになる日がくるって本気で信じていたんだ。だからおれを跡継ぎにしたわけ。

 先王サマはおれのことをアテン神の息子だって思い込んでいたんだ。アテン神本人に違うって言われたけど」


「確か本当の父親は、アメンホテプ三世様でしたっけ?」

 アクエンアテンの前の代のファラオである。

 名前のとおり、アメン神に忠実だった。

「アイにはそう教えられた。でもそれは、そうしておくのが政治的に都合がいいってだけの話だ」

 アクエンアテンに破壊され、ツタンカーメンによって修復されたアメン神の神殿の壁には、ツタンカーメンの父親はアメンホテプ三世だと書かれている。

「じゃあ……」

 本当の父親は誰なのか、訊いてはいけない空気を感じてカルブは口をつぐんだ。

 ちなみにツタンカーメンの母親は、男ならば本人がファラオになっていてもおかしくないぐらいに高貴な血筋の出だったが、一人息子を生んですぐに亡くなっている。


アメン神の生き写しツタンカーメンに改名したらおれもアメン神みたいなカラダになれるかなって思ったんだ。筋骨隆々に」

「名前だけじゃ無理っしょ」

「努力しなかったわけじゃーねーよ。でも杖なしで歩けるようにすらなれなかった。

 で、アメン神への信仰心が薄れ始めたら、急に先王サマが懐かしくなって……一応は親代わりだったからさ……名前をツタンカーテンに戻そうかって側近に相談していたところでの事故死。

 だから王名表にツタンカーメンって書くかツタンカーテンって書くかで、アイとホレムヘブでもめちゃってさ。

 アイは自分がアメン神の神官だからツタンカーメンを、将軍のホレムヘブは宗教にはそこまでこだわってないから、おれの言葉を引っ張ってツタンカーテンを押してるわけ」

「それは……ホレムヘブ様を応援したいですね」

「んにゃ、名前を戻したいってのはそこまで本気だったわけじゃねーんだ。おれは思いつきでちょっと言ってみただけだし、ホレムヘブはアイに対抗したいだけだし」


 カルブは拍子抜けして目をしばたかせた。

 少し考えてから尋ねる。

「ご自分ではどうなさりたいんです?」

「決めらんねー。外国の神様もいいかななんて、生前は思ってたりもした」

「じゃあヒッタイト王国のうわさは……」

「その話はするな」


 カルブは頭を抱えた。

 そしてまたしばらく考える。

「とりあえず王宮へ戻りたくない理由はわかりましたけど、だからってミイラ工房に入り浸る理由にはなりませんよ。現世に居る意味がないんなら、さっさと冥界へ行けばいいじゃないですか」

「ダメ。冥界では今、アテン神とアメン神がおれを奪い合って殴り合いのケンカをしてる」

「殴り合いですかっ? 神々がっ?」

「うん。もう何日も休みなしで続けてる。人間界の陰険な裏工作合戦よりスッキリしてていいよな」


 カルブはまたまた考え込んで、棚からアメン神の像を取り出して右手に掴み、アテン神の像を左手に持ってカチャカチャぶつけて戦わせてみた。

「一対一なら手数の多いアテン神の方が有利でしょうか?」

「いやいや、アメン神はマッチョだぜ。それに他の神々の応援も、手出し無用とはいえアテン神にはプレッシャーになってる。特に女神の集団の黄色い声援はな」

「とにかくそのせいでアナタは現世に足止めを食らっておられるのですよね? それでは他の死者にも影響が出ているのではありませんか?」

「それは大丈夫。他の神様が頑張ってるから」

「やっぱり多神教はいいですね」

「でも仕事が増えて忙しくなっちゃって、ちょっとヒマがあればケンカの見物で、だーれもおれの相手をしてくれない」

 ファラオは深々とため息をついた。


「ご家族は? 冥界にご先祖様が大勢いらっしゃるはずでしょう?」

「会うのは葬式の後だ」

「普通はそうでしょうけれど、ここに居るのよりかは普通に近いでしょう? 神様に頼んだらどうにかしてもらえるのでは? さっさとお母様にお会いして……」

「ヤだ」

「何で?」

「父親のこと、知るのが怖い。実はアクエンアテンでしたとか言われそうだから」

「うわあ」

「うわあとか言うなよ。葬式が終わるまでには覚悟を決めるつもりなんだからさ」

 そしてまたため息。


「おれが死んだのって事故は事故なんだけれどさ、おれってアテン神とアメン神のどっちから天罰を食らってもおかしくないじゃん? だからあんまりチョロチョロして機嫌を損ねたくないんだよ」

 カルブは呆けた顔でファラオを見つめ、いきなりいろいろ聞かされた中で自分が一番に考えるべきことは何なのだろうと考えた。

「……オレはツタンカーメン様とツタンカーテン様のどちらの名前でお呼びすれば良いのですか?」

「つーたん」

「嫌です」

 カルブは即答した。

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