第2話「救い」

 先王アクエンアテンは、以前ツタンカーメンから渡された防護服を着たまま、以前とは異なるアテン神体操を踊っていた。

 アポピスが暴れているため、腸の中も騒がしい。

 ツタンカーメン達がすぐ近くまで来て、ようやくアクエンアテンは二人に気づいた。

「おお、ラムすじ肉よ! 今ちょうど、新しいアテン神体操が出来上がったところだ!」


 アクエンアテンは前に逢った時よりもやつれていた。

 アポピスの胃液は人の記憶を溶かす。

 それが防護服によって邪魔されている。

 罪人への責め苦のためのこの場所で、記憶が消えないのは苦痛が蓄積されるということ。

 だけど……

「この服を着てからアイデアが次々と浮かぶようになったのだ!」

 正確には、アイデアが消えなくなった。

 防護服を着る前は、アイデアは出るそばから、出たという記憶ごと消えていた。

 アクエンアテンの目は深く落ち窪みながらも爛々と輝いていた。


「……ち……ち……」

 父上、と、言えそうで言えない。


「ああ、しかしラム筋肉よ、お前はこんなところに居るべきような者ではあるまい。何用か知らぬが長居はせぬほうが良い」

「一緒に外へ出ましょう」

「む……?」

「外へ。出ましょう」

「……気持ちはありがたいが、そうはいかぬ。この服を着てからな、ここに居る悪霊達の苦しみが、我が心にますます深く染み入るようになったのだ。彼らを残して自分だけ逃げるわけにはゆかぬ」

「悪霊達は救いなんか求めていません」

「それでも救うのがアテン神の教えだ」


 プタハ神がツタンカーメンに耳打ちする。

「外に誰か救いを求めてる人がいるって言ったら着いてきてくれるんじゃありませんか?」

「…………」

 それじゃ悲しい。


「ラム筋肉よ、お前のおかげで悪霊達を救う道が見えてきた」

「あなたに彼らは救えません。あなたには、おれを救えていないのだから」

「……お前はいったい……?」

「わかりませんか!? !!」


 ツタンカーメンの体が光に包まれた。

 アアルの野で完全体になったツタンカーメンは、自分が望む姿に自由に変身できる。

 少年王は体を縮ませ、父と死に別れた頃の、幼い頃の姿になった。

「陛下!!」

 実の親子だと明かせなかった頃。

 そう呼ばざるを得なかった頃。

「……覚えていませんか……?」

「…………」

「……ちちうえ……」

 二人の生前、一度だけ、そう呼んだことがあった。

 その時は、国王にひどく困った顔をさせてしまったのですぐやめた。

「ツタンカーン……? まさか、そんな……何故お前がこんなところに……!?」

「父上!!」

 ツタンカーメンがアクエンアテンに抱きつく。

 二人のファラオをさらに外側からプタハ神が抱きかかえ、空間転移の力を使った。



 父親の腕の中でツタンカーメンは、これからのことを考えていた。

 今までは、うまくいかないことは全てアクエンアテンのせいにしていた。

 みんなが自分に期待しすぎるのは先王様のせい。

 自分がみんなの期待に答えられないのは父親が居ないせい。

 でももうそんな言い訳はしない。



「しまった!」

 プタハ神が叫んだ。

 大蛇アポピスの胃袋の外は、太陽の船とのくんずほぐれつの戦いの最中さなか

 ツタンカーメン達三人はアポピスの顔の真ん前に出現してしまっていた。


「シャ? シャーーーーーーー!!」

 いきなり現れたご馳走に、アポピスは無遠慮に踊りかかる。


「ダメええええええええええええええ!!」

 飛び出してきたのはアテン神だった。


 アテン神がツタンカーメン達を突き飛ばし、三人は危機を逃れたが……

 アテン神自身が退くだけの余裕はなかった。


 戦う力のない、ただ光るだけの、ただ優しいだけの神。

 ツタンカーメンが神の名を叫んだ。

 アテン神の体を、アポピスの牙が捕らえた。

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