第3話「がびーん ~黄金のマスク~」

 アイだけがわずかに振り返る。

 神官達が通路を抜けて地上へ向かう足音がだんだん小さくなっていき、墓所と生者の世界をへだてる重い扉が閉ざされる音のあと、辺りは静寂に包まれた。


 墓所内には、衣装箱の他にもさまざまな副葬品が納められている。

 生前に愛用していた椅子や寝台。

 ミイラを守るために作られた神々の像。

 いずれも死者が、死後の楽園で豊かに暮らすための備え。

 だけどこれらを使う前に、まずオシリス神の社殿で、楽園に入れてもらえるかどうかの審判を受けなければならない。

 さあ、ここから長い旅の始まりだ。


(えーっと、あれはどこだ?)

 ツタンカーメンがキョロキョロしながら飛び回る。


「何を捜しているのですか?」

 誰かの声がどこからか響いた。

 穏やかで、若い……といってもツタンカーメンよりかは年上っぽい男性の声。

 それに続いて、謎の音。


「死者の書(日の出の書)を」

 ツタンカーメンは不思議に思いながらも素直に答えた。

 その書物には、先ほどの葬儀で唱えた祝詞の他に、死者が神々にお目通りする際のマナーなども記されており、冥界の旅には欠かせないのだ。


「それならここですよ」

 声は厨子ずしの奥から聞こえた。

 そしてまた先ほどと同じ謎の音。


 厨子には確かに死者の書の文言の一部があしらわれているけれど……

「これはミイラを守るための祈りだし、こんなの抱えて旅するなんてできないぞ」

「そうではなくて、もっと奥です」


 ツタンカーメンが厨子の中を覗くと、棺のふたをすり抜けて、黄金のマスクがゆっくりと浮き上がってきた。

 うっすらと発光する半透明の存在。

 物質としてのマスクはミイラとともに棺の中に残したまま、マスクの霊体カーだけが抜け出てきたのだ。


「はじめまして、ツタンカーメン君」

 マスクの声に続き……

「……クエーッ!」

 鳥の声らしきものが響く。

 これが謎の音の正体だった。


「えーっと、あなたは……おれの顔をしているんだから、おれ?」

「私は大地の神プタハ・ソカルですよ。……クエーッ!」

 鳴き声はこの神が発していた。


「あ! 地平に接する朝日の神様!」

 太陽の船の一等航海士である。

「そうですね。それに加えて、農業の神であり、鉱山の神であり、冥界神の一員でもあり、創造神の中の一人として地上を作り……まあ、何せ古い神ですので、地面関係のことは大体全部、担っていますね。……クエーッ!」

 それだけ高位の神ということである。


「鉱山の神であることから鍛冶の神にもなり、このマスクを作り上げた職人達の祈りを受けてここに来ました。冥界の旅で君を守る、死者の書の祝詞は、このマスクの背中側に書かれています。……クエーッ!」

 穏やかなしゃべり方からは、威圧的な言葉に頼る必要のない、確かな荘厳さがにじみ出ている。

 鳥の鳴き声はいまだに謎だが。


「え? え? プタハ・ソカル神、いつからそこに……?」

「お葬式が始まった時からずっとですよ。貴方がアイさんに向かって“開放感!”とやっている時に、私は貴方を真後ろで見ていました。……クエーッ!」

 アイの顔とミイラのマスクとは、ぴったり同じ高さで向かい合っていた。


「ちなみにソカルというのは、ナイル川の流れが分かれる辺りに住む鳥で……クエーッ! ツタンカーメン君? ……クエーッ! 聞いていますか? ……クエーッ!」

 黄金のマスクが困ったように首をかしげる。

 誰にも見られていないと思い込んでいたツタンカーメンは、真っ赤になって放心していた。

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