第3話「忘れ物か?」
明日はもう、来るのをやめてしまおうか。
そんなことを考えながらの帰り道。
宿舎までまだ距離のある岩場で、カルブは白い影を見て悲鳴を上げた。
「ひゃあ!?」
しりもちをつく。
めくれた腰布を反射的に直し、ランプを拾って顔を上げた時には、その影はすでに居なくなっていた。
「つ、ツタンカーメン様? 違いますからね! 不意打ちだったから驚いただけで、お化けなんか怖くないですからね!」
暗闇に向かって言い訳するが、返事はない。
(くだらないイタズラだ! どこかに隠れて笑ってるんだ!)
カルブは工房に駆け戻った。
「おや? カルブ殿、何か忘れ物でも……」
見張りの兵士のアスワドに問われ、カルブは指を口に当てて声を出すなと合図した。
(今度はこっちがアイツを脅かしてやる!)
カルブは工房の裏側に回り、窓枠にそっと手をかけた。
(居る居る! もう戻ってきてる!)
月明かりの照らす作業場の隅に、洗ったばかりでまだ濡れている器具。
部屋の中央の作業台の遺体の上には、カルブが出て行く前にかけておいた虫除けの布。
ツタンカーメンの幽霊は、台の陰、自分の遺体の足もとで、膝を抱えてうずくまっていた。
(泣いている……?)
カルブの角度では背中しか見えない。
「おわっ!?」
身を乗り出そうとして窓枠から手が滑り、カルブは工房の中に転げ落ちてしまった。
「あ……あれ? どした? 忘れ物か?」
「王様、さっき外に出ましたか?」
「ずっとここに居たぞ」
ツタンカーメンはヘラヘラと笑っている。
でもそれは悲しみを隠すための笑い。
幽霊の顔には涙の跡こそ見えずとも、イタズラを隠すための笑いには見えなかった。
カルブは作業場を突っ切って玄関へ走った。
「外に怪しいヤツが居ました! 泥棒かもしれません!」
見張りの兵士二人が顔を見合わせる。
アスワドは周囲の捜索に、アブヤドは離れた場所に居る他の見張りとの連絡に向かい、それが終わるまではカルブ自身が工房を見張ることになった。
兵士達がかかげるたいまつが去っていく。
「ちょっと待て! 兵士が二人とも離れるっておかしくないか?」
驚くツタンカーメンを見て、カルブは工房の奥へと戻りながら気まずそうに頭を掻いた。
「今朝ちょっと雑談してて、どういう流れでそうなったのかは覚えていないんですけど、オレ、見栄を張って格闘技が得意だみたいに言っちゃったんですよね」
「マジか? レスリング系か? ボクシング系か?」
「やったことないのでわかりません」
「待て待てこらこら! おまえそーゆーやつだったのか? マアト女神はウソに厳しいんだぞ!」
「ウソとは言い切れないですよ。やってみたら案外強いかも知れないじゃないですか。それにいざとなったらナイフとかありますし」
「いやいやそれじゃあ格闘技じゃないし……。いやいやいやいや! いざとなったら迷わず逃げろよ! 道具とか薬とかまた買えばいいじゃん!」
「今ここにあるもので一番高価なのはアナタのご遺体ですよ」
「こんなもん売れねーだろ」
「買いたがる変人はいつの時代にも居るものです。問題はあの人影が本当に泥棒なのか……もし悪霊とかそういうのだったら……」
「あ……」
「え……?」
戸口の日除け布が風に舞う。
流れ込む月光を背に受けて、白い影が立っていた。
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