第20話「彼の名はサルワ」

 ツタンカーメン一行よりもずっと先を進むサルワは、一人黙々と足を動かしながら、自分が地上で歩んできた人生を思い出していた。


 古代において、死は身近だ。

 サルワの両親は、サルワがまだ若い頃にこの世を去った。

 マラリアだった。

 二人が同時期に発祥したせいで呪いめいたウワサを立てられた点を除けば、この時代のエジプトにおいては実にありきたりな死因だった。

 この病が、蚊がマラリア原虫を媒介して感染するものであるとイギリス人医学者のロナルド・ロスによって証明されるのは、西暦でいうところの一八九八年になってからであり、サルワ達が知るはずのない話である。


 サルワは自分の両親が、冥界の楽園であるアアルの野で永遠に幸せに暮らせるようにと祈りを込めて、伝統的なやり方で二人の葬式を挙げた。

 この頃、アクエンアテンはまだ王子で、のちに宗教改革を起こすだなんて誰も予想していなかった。


 幼い弟が一人に、妹が三人。

 サルワは自分の手で支えていこうと決めた。

 難しいことではないはずだった。

 何故ならサルワの両親は裕福な貴族で、広大な農地とたくさんの小作人を残してくれていたからだ。



 弟は、畑で遊んでいて、サソリに刺されて死んだ。

 この時代では珍しくない話だ。


 サルワは弟の葬式を、両親と同じやり方で挙げた。

 世間では新王アクエンアテンが宗教改革を始め、伝統的な葬式が禁止されたと騒ぎになっていたが、サルワは、どうせバレない、バレたところでこちらは貴族なのだから大した咎めは受けないはずだと高をくくっていた。


 結果、役人にバレて、貴族の地位と財産を没収されて、兄妹は屋敷を追い出された。

 妹達はサルワを恨まないでくれた。

 一番下の妹は幼すぎて状況がわかっていないだけだったが、上の二人は弟を愛しており、弟が両親とともに在れるようにとオシリス神に祈った。

 兄妹は河の近くにあったボロボロの空き家を修理して暮らし始めた。



 ある朝、一番下の妹が、目を覚まさなかった。

 毒蛇が家に入り込んでいたのだ。

 珍しい話ではなかったが、近所の人からは、お前が無用心だからだと攻められた。


 末妹の葬式は、両親や弟の時とは比べ物にならないほど質素なものになってしまったが、それでも伝統的なやり方を貫いた。

 アアルの野へ行けるように。

 バレるバレないの前に、貧しい兄妹に役人は関心を払わなかった。



 平均寿命が短い世界では婚期も早い。

 残る二人の妹は美しく成長し、良い相手に嫁いでいったが、二番目の妹は初産に際して母子ともに命を落とした。

 良くある話だ。

 サルワの最初の妻もそうだった。


 この二人の葬式は、アクエンアテン王が勧めるやり方で執り行われた。

 締めつけが厳しくなっていったのは、そうでもしなければ誰も従わない、宗教改革がうまくいっていない証拠だった。

 妹の魂は、両親に会えないかもしれない。

 そう考えるとサルワは救いようのない気持ちになった。

 妻の両親は、いずれ来る自分達の葬式をどうするべきかと悩んでいた。



 古代において、死は身近だ。

 自分の手で幸せにしたかった人達が、いともあっさりと遠くへ行ってしまう。

 だからこそ、死後の世界に夢を見る。

 自分の手では守れなかった人達が、自分なんかよりもはるかに大きな力のもとで、幸せに暮らしていると信じる、それが永遠であるように祈る。



 妻の父は行商人で、サルワはその仕事を受け継いだ。

 サルワは誰もが驚くほどの商才を発揮し、貴族時代のコネもあって、富は見る見る膨らんだ。

 二番目の妻との間には、多くの子供に恵まれた。


 初孫が生まれたのと同じ頃、アクエンアテン王が死んだ。

 マラリアだった。

 新しいファラオはエジプトの宗教を、改革以前の形に戻すと宣言した。


 サルワは故郷の神殿の再建に財産を注ぎ込み、妹と最初の妻の葬式を伝統的なやり方で挙げ直し、二人がアアルの野に迎え入れられるように祈った。

 数年後、王宮から、神殿へのサルワの貢献を称える書簡が送られてきて、サルワの一族は貴族の地位を取り戻した。



 晩年のサルワの評判は、偏屈だったり、傲慢だったり。

 けれどおおむね穏やかに過ぎていった。

 地上でするべき務めは果たし終えた。

 心残りがあるとすれば、新しいファラオに直接お会いしてお礼を伝えることが最期まで叶わなかったぐらいだろうか。

 地元の祭りで高い酒をたくさん飲んだのが、サルワの生前最後の記憶だった。


 葬式の日。

 冥界への旅立ちの儀式の日。

 喪主セムを務めた長男は、サルワを良い父と呼び、アアルの野で暮らせるようにと、立派な死者の書を持たせてくれた。





 サルワは冥界を歩く。

 一刻も早くアアルの野に着きたい。

 弟が、妹達が、アアルの野の永遠の幸せの中に在るのをこの目で確かめたい、待ちきれない。

 老いた足に鞭を打ち、アアルの野を目指して歩く。

 アアルの野へ、アアルの野へ、アアルの野へ……


 やがてサルワの進む先に、冥界の二つ目の門が姿を現した。

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