第3話「審判の天秤」

 否定告白を粛々と終えて、いよいよ結果が示される。

 最奥の玉座から冥界の王が見守る前で、正義の女神マアトが天秤を掲げ、人間の体にトキの頭のトート神が審判の記録をつけている。

 人間の体に犬の頭のアヌビス神が、ツタンカーメンの胸から取り出した心臓を、天秤の片側に載せる。

 天秤のもう片方には、マアト女神の頭飾りから外したダチョウの羽が載せられている。


 心臓は、生前に犯した罪の分だけ重くなる。

 死者の心臓と、正義の羽。

 この二つがピタリと釣り合わなければ、アアルの野には入れない。


(重くなんかない……おれの心臓は、重くなんかない……!)

 心臓に言い聞かせるように、胸の中で唱え続ける。


 アヌビス神が、天秤皿から手を離した。


 天秤がかたむいた。

 広間中がため息であふれた。

「ウソだろ!? 軽すぎるなんて!!」

 響いたのはネフェルテム神の幼い声だったが、この場に居る誰もが同じ気持ちだった。


「理由がわかるか?」

 冥界の王・オシリス神が穏やかな声で問う。

 ツタンカーメンは唇を噛み、うなずいた。

「……ファラオとして、助けられたはずの人が居ました」


 ファジュルのこと。

 ガサクのこと。

 楽しかった冥界の旅。

 けれどそれは、二人の若者の悲しい死の果てのものだった。

(この二人だけじゃない……!)

 ファジュルのような病の人は、ガサクのような孤独な人は、エジプト中にたくさん居るのだ。


(二人を助けるのは……死後の世界でじゃなくて、生きてるうちに助けることが、ファラオの務めだったんだ……!)

 そもそも自分がこの年で死んだのだって、祭りの日に見栄を張って、立ち乗り馬車チャリオットの不調にも気づかずスピードを出しすぎて……

 そんなことをしたって、王の力を見せたことにはならないのに……


(本当に尊敬されている王ならば、あんな真似はしなかったはずだ!)

 ツタンカーメンは顔を伏せた。


 地上に残してきた、自分のために祈ってくれた人達の眼差しが浮かぶ。

(太陽の船から見守ってるって約束したのに……)


 オシリス神の玉座の陰で、獣の吠え声が上がった。

 ワニの頭とライオンの体を持つ怪物・アメミットが、嬉しそうにしっぽを振っていた。

 審判に落ちた心臓は、この怪物の餌にされ、死者は二度目の死を迎えるのだ。


 ツタンカーメンは目を閉じた。

 足が震えたが、せめてきちんと立っていたかった。


(心臓を食われるのってどんな感じなんだ……?)

 じらしているのだろうか?

 予想した痛みはなかなか訪れない。


 アメミットが、お預けを喰らった犬のような寂しげな声を出した。


「ほう」

 トート神が感嘆の声をもらした。


「良い神聖な甲虫スカラベだ」

 これはアヌビス神の声?


 未熟なファラオが目を開けると……

 黄金で作られたスカラベの形の護符が、審判の天秤にしがみついていた。



「カルブ……!!」

 それはファラオの葬式の直前。

 護符に祈りを込めていたミイラ職人の少年の名が、ファラオの唇からこぼれ出た。

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