第4話「守りたい」

 その日は神々の夢を見なかった。

 正しい時刻に目覚めたカルブは、すぐに布団の中を確認したが、イタズラ者の幽霊は入っていなかった。


 お湯でふやかした乾燥豆をスプーンですくいながら考える。

 ファラオはどこをほっつき歩いているのだろう。


(十八歳だし夜遊びぐらい別にいいけど、泊まるなら泊まるって一言言ってくれればいいのに)

 作業机を見ても護符に向き合う気になれない。


(セト神……か……)

 いったいどんな神様なのだろう。

 調べるならば確実なのは神殿だが、いささか自宅から遠いので、カルブは友人のパピルス屋を訪ねることにした。




 パピルスとは植物の一種であり、その植物で作った紙であり、その紙で作った書物もまたパピルスと呼ばれる。

 友人の店ではその全てを扱っていた。


 水を多く使うために川辺に建てられた工房では、職人達が植物の茎をまず長さをそろえてカットし、皮を剥いて短冊状にスライスしている。

 水に浸して粘り気が出たら、短冊の端と端を張って繋げて大きくして、丈夫になるように二枚重ねて重石を乗せて乾燥させる。


 工房の奥には神殿のように飾った小部屋があり、そこではカルブの友人のターイルが、古そうな立派な巻物に書かれた祝詞を、自分の工房のゴワついた紙に書き写していた。


 日の出の書。

 死者が再び日の光の下にで来るための書。

 死者とともに墓に納められるため『死者の書』とも呼ばれる、冥界の旅のお守りである。



「まいどありー」

 ターイルが気のない声を上げる。

「いや、立ち読み」

「ちっ」

「セトって神様が出てるヤツ、ある?」

「オシリス神話がねーわけねーだろ」

 売店の方向をあごで示す。

 日の出の書を売る店の中では、その祝詞を受ける神々がどのような存在かを記した書物も売られている。

 カルブは店内で巻物を広げた。



 それは遠い昔。

 エジプト王国がまだ一つの国でなく、ナイル川の上流と下流の地域に分かれて争っていた頃。

 神々の世界でも王位を巡る争いが起き、当時の王であったオシリス神が、実の弟によって殺害された。


 その遺体をアヌビス神がミイラに加工して、オシリス神の妻である女神イシスが魔法をかけて生き返らせた。

 エジプト人がミイラを作り、死者の復活を信じるのは、この神話に基づくものである。


 復活したオシリス神は、しかし地上に長く留まることはできず、冥界に帰って死者達の王に。

 女神イシスのもとに残された息子のホルス神は、成長してエジプトを統一して、地上に生きる人々の王となり、ファラオ達の祖となった。


 その後、祭りなどで民の前でシンボル的に崇められる神の座は、人間達の支持・信仰によって何度も変わり、現在ではアメン神が務めているが、ホルス神がファラオにとって重要な神であるのは変わらない。



 有名な神話だが、カルブがきちんと勉強したのは、死者の復活に関わる部分だけだった。

 オシリス神を殺したのは誰か。

 実の兄を殺してまで王位を奪おうとした弟に対して、今までカルブは興味が沸かずにいた。


 巻物の挿絵は、夢で見たツチブタ頭の神だった。

 カルブはその神の名前を見た。

 複雑な神聖象形文字ヒエログリフを読み解く。

 そこにはセトと記されていた。

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