第22話 案外良い感じ

「――どうよ飛竜っ、サプライズ帰宅にビビった?」


 さて、飛竜はリビングでギャル母・希実香きみかと顔を合わせている。

 すらりとスレンダーなアラフォー。

 金髪ショトカの若作りが無理なくフィットする程度には外見が良い。


 ともあれ、飛竜は2階で待機中の利央をコッソリ帰らせたいので、希実香に隙を作りたい状況だ。

 タイムリミットは10分。

 それを超えた場合、希実香に挨拶したがっている利央が顔を合わせに来てしまうので、スピード勝負である。


「……なんで急に帰ってきたんだ?」


 隙作りの前にその理由だけは訊いておきたかった。


「いやね、高速の混み具合が予想してたよりスムーズでさ、ホントはどっかで泊まって明日の朝帰ってくる予定だったんだけど、それがだいぶ早まった感じ」


(……そういうパターンも想定しておくべきだったかぁ)


 しかし今は反省している余裕などない。

 10分しかないのだ。

 9分を切ったかもしれない。

 

 利央の存在が表沙汰になればシリアスな状況にはならないにせよ、母のからかいスイッチがバチンとONになる可能性大である。

 飛竜的にそれは面白いことではない。

 母に会った利央が何をしでかすか分からないのも怖い。


(……だから母さんの隙を急いで作るぞ。作戦は幾つかあるけど、まずは――)


「あのさ母さん……風呂、入ってきたらどうだ?」


 作戦その1――お風呂促し作戦。

 希実香をお風呂に向かわせ、その隙に利央を帰らせるプランだ。


「あ、お風呂なら帰りにスーパー銭湯入ってきたよ」


(……)


 お風呂促し作戦――あえなく撃沈。


「ていうか飛竜こそお風呂入ってきたら? なんか汗臭くない?」


 希実香がスンスンと鼻を鳴らしてくる。

 今の飛竜は利央との汗だく情事を済ませたあとである。

 一応汗は拭いてきたが利央の甘い香りが染み付いている感じは否定出来ない。


「……女の子の匂いもしない?」

「それはほら、今日の6時間目が体育でさ……内容がダンスで、女子とペア組んで色々やらされたから」


 あらかじめ考えていた誤魔化しを伝える。

 希実香は「なるほどねぇ」と割と簡単に納得していた。

 ふぅ、とひと息吐きながら、飛竜は第二の矢を射ることに。


「それより母さん……せっかく早く帰ってきたなら夕飯作ってくれよ」


 作戦その2――キッチン張り付かせ作戦。

 希実香をキッチンに拘束し、その隙に利央を帰らせるプランだ。


「ウーバーじゃダメ?」

「ダメ。明日にはまたすぐ居なくなるんだろうし、たまには手料理をさ」


 その言葉は割と本音だ。お袋の味が恋しいのである。


「手料理なら明日からでいいじゃん。今回の帰宅は早めの夏休みだから1週間くらい滞在する予定だし」

「え」

「今日は仕事の疲れもあるからウーバーで」


(な、流れが悪すぎる……)


 キッチン張り付かせ作戦もあえなく撃沈である。


 ――そのときだった。


【残り5分です】


 視界の端にそんなカンペが出現していた。

 いつの間にか利央がすぐそこの廊下から顔を半分だけ出しつつ、手元にそのカンペを持っていたのである。


(降りてきてる……っ)


「ん? どうかした?」


 飛竜の驚いた表情を見て、希実香が廊下を振り返る。

 その寸前に利央は陰に引っ込んでおり、母の視界に利央が映り込むことはなかった。

 しかし――


「あれ……あんたからするのと同じ匂いが廊下から……」


 利央のふわっと甘やかなフレグランスがこちらまで漂ってきていた。


(やりやがった……若菜さんめ、手持ちの制汗剤か何かをプッシュしたんだ)


 その証拠に小さくぷしゅ、ぷしゅ、という噴射音が廊下から断続的に聞こえてくる。倍プッシュどころではない。

 挨拶したいがために仕掛けてきている。

 無理やり突入してこないだけ良心的だが、これはほまれを浜に捨てたやり方と言える。


「ねえ飛竜……コレ絶対廊下に誰か居るよね?」


 そして案の定、疑惑の眼差しを向けられてしまった。


「な、なんのことだか……」

「ほら、この匂いとプッシュ音。誰か居るよね?」

「気のせいだろ……」

「へえ。じゃあ今から廊下を確かめてもいい?」

「だ、ダメだ」

「はい怪しい~。誰も居ないなら堂々と行かせてくれればいいのに。その必死さ、ひょっとして女子?w」


 希実香はすでにニヤニヤと勘付いているようだった。

 これだけ状況証拠が出揃えばそりゃそうなる。


(これはもう……万事休すか……)


 利央の誉れなき一手により、盤面は完全に飛竜の詰みと化していたのである。



   ※



 そんなわけで――


「――お母様、はじめまして」


 その後、場をきちんとセッティングし直して、対面のときがやってきた。


「え、うわ……ひょっとしてあなた、若菜さんとこの?」

「はい、若菜利央です」

「はー……飛竜あんたヤバい子捕まえてるじゃん」


 食卓越しに利央と向かい合って座りながら、希実香が目を点にしている。

 その「ヤバい」には恐らく様々な意味が込められているのだと思う。

 この街に住む者として、希実香も若菜家のことは当然知っているのだから。


「えっと……飛竜とは具体的にはどういう仲なの……?」

「ただのお友達ですが、すごく良くしてもらっています」


 にこやかに応じる利央はセフレのことを隠してくれていた。

 口裏合わせはせずにコレ。

 時折イタズラな表情を覗かせるとはいえ、飛竜を本当に困らせることはしないでくれる辺り、利央はやはり善性寄りではあるのだろう。


「……飛竜が友達で大丈夫?」

「むしろ飛竜くんが良いんです。私も1人で居ることが多いですから、孤独の理解者として心強いと言いますか」


(……そんな風に思ってくれていたんだ)


 今の言葉が本心なのかは分からない。

 でも恐らく本心な気がするので、もっと利央を理解出来るように頑張りたいと飛竜は思った。


(そう考えてしまう辺り、僕も結局割り切れていないのか……)


 そんな自分の感情には前々から気付いている。

 だから利央にふさわしい男になれるように頑張ろうとしている。

 今はまず割り切りで、自分のキャリアを積んでいくしかない。


「お母様、ちなみに私の家のことで飛竜くんにご迷惑を掛けたりはしませんので、どうかご安心していただければ」

「んー、いや、迷惑は全然掛けていいよ? あたし含めてね」

「え」


 希実香の言葉にポカンとする利央。

 母は穏やかに言葉を続けた。


「おっきい家に生まれて大変な部分って多分あるだろうし、飛竜やこの家を逃げ場にして、って言ったら違うけど、利央ちゃんにとって安らげる場所であればいいかな、って思うからさ」

「お母様……」

「実はあたしも色々面倒な良いとこの生まれなんだ。旦那とは駆け落ちしててね。あんたら2人は別にまだそういう仲じゃないんだろうけど、いざとなれば人生ってなんとでもなるから、ってことだけ覚えといてよ。協力もするし」


 経験者は語る。

 ニヒルな笑みを浮かべて。


「はい……ありがとうございます、お母様」


 どこか感極まりつつある表情で、利央は嬉しそうに笑っていた。


(蓋を開けてみれば……母さんは僕を茶化すどころか、案外普通に良い感じの対応をしてくれたわけか)


 そう考える飛竜の脇腹が不意に希実香の肘でつつかれる。


「(というわけで、あたしの滞在中も遠慮せずに利央ちゃん、連れ込みなよ?w)」


 何事かと思えばそんなお節介を耳打ちされた。

 大きなお世話だよと思いつつも、母のそうした気遣いに救われる部分があるのは確かなことで。


(ま……会わせて良かったのかもな)


 母が何をどこまで察しているのかは定かではないが、自分たちの味方が増えたような気がして、飛竜としてはひとつの安心感を得たのは間違いないことであった。

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