第77話 事務所

「さあ秋吉くん、ここが約束の事務所だ」


 沖縄旅行から帰ってきたその翌日、飛竜はとあるオフィスビルを訪れていた。

 オフィスビルと言っても太陽光をテラテラと照り返すガラス張りの成金チックなモノではなく、駅前通りの古めかしい細ビルである。

 

 なぜそんな場所を訪れているのかと言えば、そのワンフロアを結婚記念日旅行の撮影報酬として貰い受けることになったからだ。

 まだ午前の時間帯、宗五郎と合流しつつその場に足を踏み入れている。


「意外と広いですね」

「幅は狭いが奥行きがあるのでね」


 室内は取り立てるほど目立った内装ではないが、冷暖房完備でシャワーやトイレ、簡易キッチン、仮眠室まであるようだ。

 机や椅子が幾つかと家電が大体用意されており、至れり尽くせりの状態で譲渡してもらえるらしい。


「……本当に貰っていいんですか?」


 古めかしいテナントとはいえ、駅前オフィスビルのワンフロアを貰えるというのはやはり破格過ぎるのでは、と思わないでもない。


「まぁ書面上は引き続き私の所有だから、完全にあげるのではなく無償で貸すという形だがね。なに、遠慮する必要はないさ。この程度のビルなら幾つも持っている。我が家にとって大したモノではないんだ」


 決して安くはないであろう資産を大したモノではないと言い切る辺り、やはり若菜家のスケールは桁違いだ。


 だからこそ、飛竜はその家に見合う男を目指して頑張らないといけない。

 でなければ、宗五郎は利央との正式な付き合いを認めてくれないはずである。


「では仕事があるので私はこれで。大事に使ってくれたまえ」

「もちろんです。ありがとうございました」

「一応言っておくが、利央を招くのはいいとして変なことはしないように。では」


 そんな釘を刺しながら、宗五郎がオフィスをあとにする。


(……多分無理です)


 とはいえ、今はひとまず持ち込んだノートPCを起動させ、ショートフィルム第2弾の動画編集に勤しむ飛竜なのであった。

 場所が変わったおかげか、作業への集中が捗ったのは言うまでもない。



   ※



「――ふむ、ここが父に譲り受けた事務所なのですね」


 午後。

 利央に場所を伝えてこの場に招いてみた。

 本日は髪型がポニテで、私服は大人びたパンツルック。

 非常に可憐な美少女っぷりなのは言うに及ばずだが、よもやこの娘がえっちでむすむす言いまくる変人だとは誰も思うまい。


「キッチンがあって調理器具や食器、冷蔵庫に電子レンジなども揃えられ、シャワーとトイレ、仮眠室まである……ふむ、これだけ充実していると普通に暮らせそうな勢いですね」

「ああ。スーパー近いから食料にも困らないしな」

「そういえばお昼は食べました?」

「あ、いや、作業してて全然……」

「むすむすむすっ……!」


 利央は腕組みしながらほっぺを膨らませていた。


「飛竜くんは相変わらずそういうところがいけませんね。己を省みずに頑張り過ぎて身体を壊したら元も子もないんです。食材を買ってきますね」

「え、わざわざここで作ってくれるってこと? 別にカップ麺とかでいいけど……」

「ダメです」


 むすっと言い切って、利央は来たばかりなのに事務所をあとにし、15分ほど経過した頃スーパーの袋と一緒に戻ってきた。

 簡素なキッチン横のテーブルにドサッと袋を下ろすと、調理器具をカチャカチャとセッティングし始めていた。


「……何を作るのか聞いても?」

「スタミナ増強のためにレバニラ炒めです」


 とのことで。

 10分後にはパックご飯と一緒に飛竜の手元に湯気をくゆらすレバニラ炒めが運ばれてきた。


「うま……」


 早速頬張ってみれば、利央の手料理は相変わらず飛竜の口にジャストミート。


「飛竜くんの胃袋、ガッツリ掴めたでしょうかね?」

「いや……そんなのはとっくに掴まれてるし」

「ふむ、だとすれば嬉しいですが、その言葉がウソだった場合むす千本飲ませますので」


 むす千本が一体なんなのかサッパリ分からないものの、利央がとにかく飛竜への独占欲を強固に発揮しているのだけは明瞭に感じ取ることが出来る。

 相変わらず全然割り切ってくれないセフレだが、無論悪いことではなかった。


「……そういえば黄金井さんは?」

「優芽でしたら今朝自らの地元に帰りましたよ」

「あぁそうなんだ。遠いんだっけ?」

「いいえ、電車で30分程度です」

「思ったより近かった……」


 長期休暇のときしか遊びに来ないという話だったので、てっきり遠方なんだろうと思い込んでいた飛竜である。


「夏休みが終わる前にまた来るかもと言っていました。来なくていいんですがね」

「仲間なんだからそういうこと言わないの」

「でしたら、言わせないように飛竜くんが私を満足させてくれたらいいんじゃないでしょうか?」


 ジッ、と向けられた眼差しは誘いの色をふんだんに含んでいた。

 飛竜はごくりと喉を鳴らしつつ、


「……レバニラ炒め食った直後にヤるのは女子的にいいのか? 匂いとかさ」

「飛竜くんなら問題ないというものです」


 そう言われれば、飛竜的にも障害はなく――やがて食事を済ませた飛竜は、仮眠室のふかふかベッドの上で利央の火照ったぬかるみに包まれたのである。


 それが済めば、利央の胸に抱かれながら意図せずして寝落ちし、昼寝を取ることになっていた。


 ここ最近は陰キャの夏休みとは思えないほどハードなスケジュールだったが、ようやく雰囲気としては普通の日常が戻りつつあるだろうか。


 1時間ほど眠って目を覚ませば、ずっと付き添ってくれていたらしい利央が柔和に微笑んでみせる。


「むふん。寝顔、可愛かったです」

「……だいぶ補正入ってそうな感想」

「つまり私だけが飛竜くんのビジュアルの良さを分かっている、ということなんです。むすむす」


 どこか誇らしげにそんなことを言う利央であった。


 飛竜としては若干照れ臭い部分がありつつも、利央にそう言われて嬉しくないわけがないのだった。





――――――――

お知らせです。

更新速度を再び変更し、本日から中3日でやっていくつもりです。

時間の進みが遅い作風でペースを落とすのはすごく申し訳ない限りですが、ご理解いただけると助かります(* ᴗ ᴗ)⁾⁾

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