第37話 見定め

「――どうだね秋吉くん? 利央の手料理は旨かろう」

「ヤダあなたったら。秋吉さんは利央の家出中に幾らでも味わう機会があったでしょうからそうやって自慢げに言っても意味なんてないでしょう?」

「うぐ……確かにそうか」


 さて、座敷牢での充実したひとときのあとは、利央から夕飯を食べていくように誘われてご相伴にあずかっている。


 そんな食事の席は飛竜と利央の2人きりではなく、宗五郎と利央の母こと紅葉もみじも一緒である。

 予想していた状況とはいえ、飛竜は若干緊張気味。


 座り心地の良い座椅子に腰を下ろして食べているのはすき焼きだ。

 4人で同じ鍋をつついているわけではなく、旅館の食事のようにそれぞれ単独の小鍋が用意されている。

 食材はどれも良い代物だそうで、メインの牛肉はA5ランクだそうな。

 トコトン上流階級だ。


 副菜として綺麗なだし巻き卵やししゃもの唐揚げ、トマトとオクラを用いた冷製サラダなどもあって、食卓の彩りは鮮やかである。

 味はもちろん文句なし。

 利央の料理は相変わらず満足度が高い。


「秋吉さんは今後、撮影が終わるまで頻繁に我が家を訪れるのよね?」

「あ、はい……そのつもりですが、大丈夫でしょうか?」

「全然大丈夫よ。ね、あなた?」

「ああ。秋吉くんは家出中の利央を健全に匿ってくれたのだから信用出来る。幾らでも足を運んでくれたらいいさ」

「……あ、ありがとうございます」

「だが――もしまかり間違って利央に手を出した暁には……」


 宗五郎はその先は何も言わず、静かにご飯を食べ進めるのみであった。

 この親バカおじさんを認めさせるのは大変そうだが、飛竜は戦々恐々しつつも何ひとつ諦めようとは思わない。


 映像クリエイターとして上を目指し、稼ぎや地位を確立していずれ認めてもらう。

 そのために今は表面上人畜無害な好青年として頑張るしかないのだ。



   ※



「――ねえ、ちょっといいかしら?」

「あ、はい……?」


 やがておいとますることになった飛竜は、立派な門から一歩外に出たところで、そこになぜか佇んでいた紅葉に呼び止められた。

 薄闇に浮かぶ微笑みの和装美人にはちょっと恐怖心を掻き立てられ、予期せぬ待ち伏せと合わさって飛竜の心臓をばくっと跳ねさせた。


「えっと、何か……?」


 恐る恐る問いかけてみれば、紅葉は飛竜の耳元に顔を寄せながらこう囁いてきた。


「若いって良いわね? いつでもどこでも怖いモノなしに愉しめちゃうんだもの」

「……っ」


 その囁きが何を指しているのか理解した飛竜はタジタジとなった。

 十中八九、座敷牢での情事を知っているという仄めかしだ。


「あの、それは……」

「大丈夫よ秋吉さん、私は利央の味方だということは分かっているはずよね? つまり座敷牢でナニをしていようとバラすつもりはないし、咎めるつもりもないのよ」

「……なら、どうして今呼び止めたんですか?」

「まぁそうね……若いリビドーというモノが気になっているから、かしら」


 紅葉はどこか妖艶な微笑と共にそう言うと、飛竜の手をねっとりと掴んできた。

 さながら獲物を前にしたウワバミである。

 飛竜はギョッとした。


「若い肉欲ってやっぱりすごいんでしょうね?」

「いや、あの……」

「最近、宗五郎さんの元気がなくなり始めているのよ」

「げ、元気とは……」

「あら言わせるつもり? まぁそれを抜きにしても……ふふ、娘のお気に入りがどういう逸材なのか親として確かめておくのは大切なことだと思っているわ」


 じゅるり、と口元がなまめかしく動いている。

 なんだかとんでもない状況であり、飛竜は目線が右往左往。


「い、いやあの……僕美味しくないので……」

「美味しいかどうかを決めるのは私よ? さあほら、裏口から私の部屋に――」

「――ぼ、僕は利央さんとしかそういうことはしないと決めているので……」

「あら堅いのねぇ。別にいいとは思わない?」


 つややかに誘う言葉。

 蠱惑的な微笑み。

 それでも飛竜が頑なに抵抗しようとしたそのときだった。


「――母さん何してるんですかむすむすむす……!」


 怒りのオノマトペを撒き散らしながらベストタイミングでこの場に駆け付けたのは、何を隠そう利央であった。飛竜と紅葉の間に割って入ってくると、繋がっていた2人の手をむすっと分断させてくれた。


「あらお邪魔虫が」

「誰がお邪魔虫ですかっ」

「利央ったらどうしてここに?」

「飛竜くんがスマホを忘れていたので慌てて届けに来たんですっ」


(あ、ホントだ……)


 ポケットにスマホが入っていないことに今気付いた飛竜である。


「そしたらコレですよ、まったく……母親のくせに何やってるんですかホントに」


 ぼやく利央がスマホを手渡してきたので飛竜は受け取った。

 一方で紅葉が楽しげに微笑んでいる。


「ムキになっちゃってまあ。ちょっとしたお戯れなのに」

「うるさいです洒落になってないんですよさっさと家の中に戻りますよむすむす……!」

 

 飛竜から遠ざけるように母の背中を押し始める利央。

 そんな娘の行動に大人しく従う紅葉は、流し目気味に飛竜を振り返ってくると、


「一応ネタばらし。――私を拒もうとしてくれて安心したわ」

「――――」


 そう言われた瞬間、悟った。

 今の誘いは利央を最優先にしているか否かを試されていたのだということを。


「抜き打ちでごめんなさいね?」

「い、いえ……そういうことだったんですか」

「ふふ。それと、これからも是非利央と仲良くしてもらえると嬉しいわ」

「は、はい……それはもちろん……」

「あ、ちなみに若いリビドーに興味があるのは別にウソじゃ――」

「変なこと言ってないできびきび歩いてくださいむすむす……!」

「和服の人間に無茶言わないの。それより秋吉さんが利央一筋で良かったわね?」

「べ、別に割り切りなのでどうでもいいですっ。では飛竜くんまた明日ですっ」


 そんなやり取りをしつつ遠ざかっていく親子を、飛竜は胸を撫で下ろしながら半ば苦笑しつつ見送るしかなかった。

 そしてふとこう思う。


(……お袋さんが今みたく利央さんのために動くのは、この家に生んでしまったがゆえの贖罪みたいなモノなんだろうか)


 家柄の影響で人が寄り付かなかったり、色々と不自由を与えている申し訳なさが、紅葉を利央の味方たらしめているのかもしれない。


(そんな大事な娘が青春を託そうとしている相手を改めて見定めようとしたのが、今のハニトラなんだろうな、きっと……)


 そして恐らく、その期待には応えられたのだと思う。

 あとは紅葉の見定めを裏切らないように引き続き頑張るだけである。


(撮影はまだまだ続くし、利央さんの両親とは仲良くやってかないとな)


 そんな風に気を引き締め直した飛竜は、今日のところはひとまず帰路に就くのだった。

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